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バイクのトラブル

文字数:1637字

 私は以前50㏄バイクを通勤に利用していた。バイクを通勤に利用するとなかなかやめられない。車の半分の時間で仕事場に運んでくれるし、雨であろうと渋滞が異常であろうと、途中交通事故があろうと、毎日の通勤時間が一定した時間以上にかかるということはまずない。
 もしあるとすれば自分が事故に巻き込まれた時だ。もう1つの可能性は、バイク自身のトラブルということになる。
 パンクは何度か経験があるが、これは不可抗力でどうすることもできない。時にはチェーンが外れることだってある。スクーターにはそういったことはまず起こらないのだが、私のバイクはクラッチを使うRG何とかというタイプで、初めて外れた時には何が起きたのか全く分からなかった。
 赤信号が青信号に変りバイクを発進させる。右折してアクセルをふかす。(注:スピードをあげる)「グワォーッ」という音が声高に響くだけでバイクのスピードはみるみる落ちて行く。そして交差点を曲がり切らないうちにバイクは止まってしまう。うしろに続く車のことを考えて慌てて道路の左端に停車させる。無事を感謝する。
 バイクを買った店がすぐ近くだったので、そこまでの上り坂を重いバイクを押して行く。店の人は手際よくチェーンをはめ直し、少しの遊びを与えてチェーンをしめる。
 それまではバイクのチェーンが外れるなど考えもしなかったことだ。しかしこの1件以来、時々チェーンを手で押してみて緩みはないか確認することにした。遊びが必要以上に大きくなるとバイク屋に駆けつけるのだ。
 ところが、別のトラブルでは何が原因なのか分からず困ったものだ。
朝、バイクを点検したが何の異常もない。発進させるといつものように快調だ。約8キロの道のりの半分ほどに来た頃、バイクの調子がおかしいことに気づく。同じアクセルのふかし方なのに普通だったスピードが少し落ちた感じだ。「あれっ」と思った途端に元のスピードに戻る。それの繰り返しだ。
帰りは不安なまま走る。スピードは普通になったり落ちたりと訳が分からない。ガソリンはちゃんと入っている。そしてついに時速5~10キロでボトボト走る。上りにさしかかると、スピード計は0を指す。あとは自力で押して上るだけだ。汗みどろになりながら例のバイク屋に立ち寄る。
 「マフラーに、排気ガスと一緒に出る廃油がたまるとこうなるんですよ」
 マフラーとは円筒形の消音器のことだ。それを分解して煤(すす)を取り出してくれた。驚くほどの量だ。筒の中が埋まるほどだ。金具でこそぎ落とさないと取れないほどの量だ。そこをきれいに掃除してもらった後のバイクの乗り心地は、糞詰まりが解消した後の感触だ。
 そこでマフラーも自分で時々掃除することにした。少々手が煤で汚れたとしても、時間が予定より多くかかったとしても、バイク走行中にあやふやなスピードになって、歩くよりも遅いスピードで事故になるよりもはるかに良い。
 「転ばぬ先の杖」という言葉があるが、私は転んで困り果ててからこの言葉を守る。しかしこれらの失敗は私の魂までも滅ぼすものではない。魂の失敗は時としてその失敗に気づかないままになることが多い。学校の教師をしているとそんなことを切実に感じる。
 自分は確かな歩みをしているという自信に満ちて魂の失敗に気づかない人生行路は、マフラーが詰まったバイクに乗った人生だ。気持ちよく走っているかと思えばスピードダウンだ。しかもそれが何の理由によるものか分からないのだ。
 どこかの国の政治家など見ていると、そこにはマフラーが詰まったバイクに乗った人たちの姿を見る。それはあたかも集団で走る暴走族だ。急に前のバイクのスピードが落ちて仲間内で追突や衝突を繰り返す。周囲で見ている人たちにはその原因がすぐ分かるが当の本人は格好よく走っている気になっているから原因に気づかない。見ている方は危なっかしくてたまらない。
 私たちの人生なんてものは、そんな危なっかしさを身につけているのだ。
 

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