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ふろく (ぼくの初恋ものがたり)

まえがき

 「ぼくの初恋ものがたり」のタイトルは、元々「おませなぼくの初恋ものがたり」にする予定だったのに、気が付いたら最初の部分(ぼくが一番大切に使いたかったのに)がカットされてしまっていた。
 この「ふろく」は、「おませな~ものがたり」を書いているうちに、付録として書きたいと思っていたものだ。まだまだたくさんあったはずなのに、今思い出せる話は「やっちゃん」と「島村君」のことだけだ。本当はあと数人思いつくのだが、なかなか乗り気になれない。とにかくその友達の話もそのうち書く気になるだろうと思っている。
 表紙の画像は、ビーズアート作成中の作品である。自分で撮影した桜の木を利用してみたものだ。爪楊枝でビーズ一つ一つを取り上げて接着していくのだ。時間がかかるが、実はその過程こそが「ワクワク」する時間なのだ。同じ時にふとこの作成途中の作品を立ててみたらどうなるかと思って撮影してみたものが下記の写真だ。思いかけず気に入ってしまった。



やっちゃん

 やっちゃんとの出会いは「ぼくの初恋ものがたり その1~7」で述べたとおりだ。そしていつの間にか普通の存在になっていた。まるで兄弟みたいな関係。高校を卒業した後は、全く交流は途絶えてしまっていた。
 それから数10年、ぼくは勤めを早期退職してM町に戻っていた。手向け山近くのマンション。それは妻の実家の近くに建ったばかり。父親は既に亡くなっていた。だから少しでも近くにと思って引っ越したのだ。 
 そのうちひょんなことからM駅近くのマンションに引っ越した。ぼくのことをよく知る人は、ぼっくのことを「引っ越し魔」と呼ぶ。大学を卒業してから、S市内で7か所、その後K市のM地区で2か所、そして現在のS市だ。
 M地区に越してからすぐにしたことは、A家を訪問することだった。いつもは車で移動するが、その日はあえてJRだ。どこをうろつくか知れたものではないからだ。そもそもA家は崖の上で駐車場があるかどうかも分からないのだ。また、M地区は、車を停めるのに苦労する。
 MK駅から懐かしいS町目指して歩いた。知った道ばかりだ。そしてついに台風で崩れた後修復した崖の下にやって来た。
 こんなだったっけ?という外観。とにかく勝手知ったるA家の門の前に立つ。
 ピンポ~ン!
 「Rです。RAです」
 するとややしばらくして玄関が開いた。門扉から玄関までの距離は15mほど。お年寄りが出てきた。やっちゃんの母親だ。
 「あ、Rです。Aです。おばちゃん、お久しぶりです」
 「まあ、Aちゃん、おはいりなさい、おはいりなさい」
 居間は昔のままだったような気がした。突然の訪問を喜んでくれているのが、おばちゃんの右往左往する様子でよく分かる。
 長い間の話の数々。
 85才のおばちゃんはいまだに近くの公園内にある公民館(ここで成人式があった)でお茶を教えているとのこと。その腕前で入れてくれたお茶はやはりおいしい。
 そして帰る時に、何故かリンゴを3つ、裸のままもらうことになった。歩くには邪魔だ。仕方なくMK駅の待合室で一つ食べた。まだいまは全国区になっている観光地はできていなかった時かもしれない。
 その時やっちゃんがK市役所を退職して、近くで働いていることを知る。早速その場所に姿を現してみた。職場で立ち話だ。
 もう一度はぼくがA家近くの場所を借りて「シーグラス・ランプシェードの展示即売会」に来てくれた。そしてあの元気だったおばちゃんがなくなっていたことを知ることになった。
 その後、数年して彼を訪問した時には、やっちゃんの奥様が出てきた。私は今まで会ったことがなかったのだが、「Rです。RAです」と言うとすぐに家にあげてくれた。彼の仏壇がそこにはあった。亡くなってから1年も経っていなかったことを知り、もっと早く来ればと後悔が残ったのだった。
 
 変な尻すぼみな話になってしまった。男同士って、こんなものかもしれない。現在中学以来某予備校で一緒だった友人が遠く離れた場所にいるが、彼のことを書こうとしても同じだ。彼とはコロナがなければ1年に一度は会っていたのだが、だからと言って書くことがない。変な言い訳を書いてしまった。もっとかけると思っていたのに・・・。


頭のいい島村君

 今まで島村君は登場していない。しかしながら、本当は登場済みだ。ぼくの心の中では、「初恋ものがたり」を書きながら、彼の姿がちらほら脳裏によぎっていたからだ。
 彼には世話になった。
 それは小3の時。
 事件の前日、家で宿題をしていた。「牛の皮でできている物を3つ考えてきなさい」というものだった。必死で考えてノートに3つ書いたのだ。3つ目を考えついた時には気分爽快、次の日に先生が自分を当ててくれる姿を想像してウキウキした。だから夜は興奮してなかなか寝付けない。
 次の朝、そのウキウキ気分を背負って登校。兄弟で校区外の家からやっちゃんの家の前を通って登校するのだ。
 N町の3階建ての元旅館から階段を降りる時、なんだか誇らしい気分なのだ。大金持ちになった気分になれる大きな屋敷だからだ。階段の手前の庭から大きな百日紅(さるすべり)の木が覗く。ぼくはこの木がとても気に入っていた。肌触りが何とも言えないのだ。現在住んでいるところにも同じような場所に百日紅がある。時々触ってはその昔のことを思い出す。
 3時間目に例の宿題の科目の時間が来る。意気揚々とカバンから宿題を書いたノートを机の上に乗せようとした。ところがいくら探してもそのノートが見つからないのだ。一気に落ち込む。いたずらぼうずが奈落の底に落ち込んだのだ。でも、心の中では宿題をしてきたとの自負がある。
 そこでぼくは、算数のノートを教科書の下に置いてそれがその教科のノートであるかのように振る舞うことにしたのだ。
 昨日の夜とは違って、「当たるな、当たるな」という必死の心の叫び声だ。
 でも、そんな時に限って「当たる」ことになる。
 すっくとノートを持って立ち上がると、「カバン、靴、髭剃りを研ぐ革バンド」とか細い声でのたまうことになる。最後の革バンドは、父が髭を剃る時の刃を磨く時に使うのを何度も見ていたものだ。
 先生がつかつかと近寄って来る。いつもは来ないくせになんてこった!ドキドキ。前から3番目の席に先生が到達するのにたいして時間はかからない。
 「ノートを見せてごらん」
 絶体絶命!
 隠し持っていた算数のノートを差し出す。
 「宿題をしてこなかったのに、してきたような顔をしたのね」
 安田先生が言った。迫力のある女性の先生だ。
 「いいえ、してきました」
 心の中で付け加えた。「でもノートを忘れたんです。ノートにはちゃんと書いているんです」
 「先生はしてもいないのにしてきたふりをする人は嫌いです。嘘つきはきらいです」
 「昨日、ちゃんと宿題をしました」
 「じゃあ、宿題を書いたノートを見せなさい」
 そんなやりとりに勝てるわけがない。でも頑固な少年は、それ以降口を開くことはなかった。
 「後ろに立ってなさい」
 頑固な少年は憮然として後ろの方に歩く。
 そのうち昼休みになった。
 いくら何でも、あの怖い安田先生でも・・・、との淡い期待は消えうせた。
 給食が始まった。少年の机上にはパンと(粉)ミルクが乗せられた。
 みんな楽しそうに給食を食べている。
 給食が終わって、みんなは校庭にドッヂボールをしに出て行った。一人取り残されたのだ。
 そんな時に姿を現したのが、島村君だ。
 「先生に謝ったら?」
 「いやだ、宿題はしてきたからあやまらん」
 「謝った方がいいのにね。なんなら僕も一緒に行ってあげるから」
 「いやだ。絶対に謝らない」
 このやり取りをしているうちに昼休みの時間が終わってみんなが戻ってきた。何人かが ”あやまったほうがいいよ” とか ”ねばらん方がいいのに”などと話しかけてくれた。でも、硬い決心の少年はびくともしない。
 5時間目の安田先生は普通に授業をする。
 当然、終業はやって来る。次は掃除の時間だ。教室の机が後ろに下げられる。少年は机の中に埋もれて行く。少年の机の上にはパンとアルミでできたお椀に入った粉ミルク。さすがに先生が紙を上に乗せていた。
 そのうち掃除も終了となり、一人また一人と帰路につく。島村君がまたやって来た。
 「ねぇ、謝りに行こ!一緒に行くから」
 それでも嫌だと言ってきかない少年。島村君も帰ってしまった。
 教室には誰も残っていない。
 だんだん薄暗くなってくる。
 少年は不安になって来る。安田先生は自分が立たされたままなのを忘れてしまったんじゃないか、という不安だ。
 学校中から生徒の声が聞こえなくなったような気がした。季節がいつ頃だったかは覚えていない。ただ、空気全体が薄暗くなってきたことだけが記憶に残っている。
 やっぱり先生は忘れてしまったな、黙って帰ろうか、でも・・・と思って不安が募って来たころ、廊下を歩く人の足音がだんだん大きくなってきた。
 教室のうしろをウロウロしていたのをやめてじっと立たされた時と同じように立っていた。
 姿を現したのは、安田先生だった。
 先生は意外と優しい声で、「悪いことをした時にはちゃんとあやまりなさいよ」と一言言った。
 少年は何も言わずにうなずいた。そしてわ~っと泣きだした。でかい声で泣いた。涙で溺れそうなほど泣いた。
 先生が急いでここにきて給食を食べなさい、と言ってくれた。パンをほおばる少年。パンをのどに詰まらせないようにミルクを飲む。しっかりと冷えていた。きっと晩秋から冬の時期だったのではないかと思う。あの冷たい粉ミルクの味は美味しくはなかった。毎日粉っぽい味の同じミルクだった。でも、しゃくりあげながら涙でうすめながら飲むミルクは不思議な記憶の味だった。
 大分後になって、島村君の家に遊びに行ったことがある。S小のすぐ近くだ。10数年前にやっちゃんの家に行ったその帰りに行ってみた。だが、表札は「島村」ではなかった。彼の家で覚えているのは、6畳くらいの部屋だ。周囲の壁には所狭しと島村君が獲得した賞状がびっしりと飾られていた。やはり優秀だったのだ。
ぼくが小学校でもらった賞状はたったの1枚だけだ。それは「おかあさん」というタイトルで書いた作文だ。皆勤賞も精勤賞もない。病気がちだったからだ。
 

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