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朝ドラ;”とらちゃん”と”ともちゃん”と私

まえがき

現在進行中の朝ドラ「虎と翼」を見ている人は、表題の「2人」が同一人物であることはご存じだと思う。その人物の名前は「猪爪 寅子」(いのつめ ともこ)で主人公だ。
 
私は「とらちゃん」が戦後再び法曹界に舞い戻った5月末から6月初め(つまり今週)のドラマを見ながら、つい、自分はその頃何をしていたか、という訳の分からないことを考えながら見てしまう。
 
昭和22年と言えば、私はまだ3歳だ。「とらちゃん」の娘「優末」(ゆみ)が1918年12月生まれだから、私より4か月前後お姉さんだ。
 
そういうわけで、私はとらちゃんの子供の姿を見ながら、自分はどういう生活をしていたかに思いを馳せながら今回の朝ドラを見ている。
 
傷痍軍人
6月5日(この記事を書き始めた日)のドラマの中に、私の目を止めた場面がある。それは、足を失った傷痍軍人が、生活のためにお金を入れる缶詰の空き缶を前に、街中でハーモニカを吹いている姿だ。
 
父親が出張するたびに見送りに行った国鉄の駅。そこにはたくさんの傷痍軍人がいた。ハーモニカはもちろん、アコーディオンを鳴らしたり、トランペットを吹いたり、バイオリンを奏でたり、いろいろだった。
 
まさか、朝ドラで、傷痍軍人の姿に出会うなど思いもよらなかった。

まさに朝ドラの「優未」ちゃんくらいの時から、しばらくの間は駅周辺で毎日でも傷痍軍人を見ていた。不思議な気持ちで見ていた。奏でていた曲はほとんどが「短調」で、もの悲しい雰囲気を醸し出していた。
 
今思えば、傷痍軍人は戦争の傷跡を背負って生きていたのだ。朝ドラで見た白い着流し姿は説明がなくても、私を一気に過去へ追いやった。どんな様子だったか詳しく述べるのは差し控えるのだが、身体の何かをなくしている姿に、私は何か怖いものを見ている緊張感を感じながらそばを通ったのだ。
 
父を見送った後、一人の時は逃げるようにしてSG荘に向かっていた。兄弟が一緒の時には、その緊張感は幾分かは和らいでいた。父親が送ってきてくれたからと手に握らせた10円か5円を大事に握りしめていた。
 
 
LAの傷痍軍人
 
傷痍軍人とは言わないけれど、私は1970年に3か月の留学をしたことは既に記事にしている。その時に、ロサンゼルスで牧師をしていた兄のアパートで泊めてもらった。役1週間の滞在だ。
 
別の記事で書いているが、いろいろな場所に連れて行ってもらった。その中で最もユニークな訪問先は、LAの陸軍病院がある。
 
「今日は陸軍病院に慰問に行くけど、ついて来る?」
 
「え! ついて行っても大丈夫なの?」
 
「毎週行っているから、大丈夫。牧師だから入れてもらえるよ」
 
と言うわけで、私は兄が運転する車の助手席で陸軍病院に行くチャンスを生かすことができた。これは稀有の経験だ。
彼の車は昔のことなので、前の席に運転者以外に2人が乗れる広さだ。あまりに余裕があるので、どのように座れば安定するのかわからなかった。
 
病院の受付で、兄の後ろにいてそのやり取りを見ていた。牧師であることの身分を表す名刺のようなものを見せたかどうかは知らない。
 
前からの知り合いのような調子で、中に入っていいと促しているのだ。
兄はギター片手に、病院の中を目的地が分かっている人の確信に満ちた様子で、病室の一つに入っていく。
 
「ハ~イ、グッドゥ アフターヌーン!」
 
一斉に兄の姿を見る患者さんたちは、異様な様子だ。
私は入るなり、大きなショックを受けた。
その病室は、外科なのか整形外科なのかわからないが、手術後のリハビリの青年たちだった。
彼らは、誰一人、いた場所を動くことができないのだ。太い針金が体の中を通っていて、身動きできないでいるという(私から見れば)重傷者の方々だった。
 
クンバーヤー マイ ロード、クンバーヤー、オーローード、 クンバーヤー!
 
当時アメリカの教会ではやっていた黒人霊歌だ。讃美歌だ。
兄がギターを弾く。歌いながら弾く。
患者たちも歌う。中には手をたたいて歌う。勿論、手を針金で固定されている人は、そういいうわけにはいかない。
 
アメリカの傷痍軍人たちは、当時ベトナムに派遣された戦争の場で傷を負って帰国して治療にあたっていたのだ。
私は26歳だったが、病室にいる青年たちは私よりも若い人もいたように感じた。
 
心が落ち込んでいたのは、私だけだったのかもしれない。
この新しい(と私が感じた)黒人霊歌を病室のほぼ全員が賛美していたのだ。
彼らの顔は明るかった。
 
兄は難しい話はしなかった。ただ、いろいろな讃美歌、みんなが知っている讃美歌をギターで奏でた。そして、歌った。針金で身動きできない青年たちが一緒になって歌った。ニコニコしながら歌っている。
 
兄は大体七めんどくさい話をするのだが、ここではそんなことはない。ただ、神様があなた方を愛してくださっているから安心しなさい、と言う風に話す。柔らかな言葉の数々。耳を傾ける真剣なまなざし。
 
しばらくして、兄は最後の讃美歌を独唱する。
 
「また、来週来ますよ」
 
青年たちは、うなずく。「Thank you! Pastor!」
 
(Pastorとは牧師のことだ。それもプロテスタントの教会の牧師だ。Priestという言葉を聞くことがあると思うが、これはカトリック教会の司祭を指す。)
 
 
*本当はこの続きで、傷痍軍人の近くに雑誌を売っていた人のことを語るつもりだったが、別の記事にすることにした。話が飛びすぎる気がしてきたからだ。
 その方のことは、別の記事に少し記録したからだ。
 

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