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ぼくの初恋ものがたり


まえがき

 これは7回に分けた続き物の初恋物語だ。何十年も昔の初恋物語だ。当然、書きながら恥ずかしいのだ。昭和初期のぼくの手元には写真がわずかしかない。そのわずかな写真の中からその画像を挿入するかどうかで未だに迷っている。
 まえがきを書いた次の日に「その1」を書く予定にしている。恥ずかしいからもったいぶるだけの話だ。
 (表紙の画像は、New Yorkのレッドキューブをビーズアートで作成するときの途中の部品です)

ぼくの初恋ものがたり その1

 この話はS小学校が舞台。
 ぼくの最初の淡い思い出は、小1の担任。でも、小2の時には転勤でいなくなった。それで夏休みに遊びに行った。一人で行ったのか、友達と行ったのか思い出せない。優しい先生だったけれど、そのうちがっかりすることになろうとは・・・。
 ぼくの初恋は・・・小3の時。S小学校は学年2クラスの小規模校。だから、学年全員で運動場や学校の裏の竹やぶで遊びまくっていた。それは楽しい小学校生活。ぼくの妹が「お前の兄さん、また立たされてる」って言われて嫌だったらしい。ぼくの兄が週番で回ってきたら、毎日のように廊下に立たされていたらしい。っていうか、その自覚が明確にある。
 昼休みも放課後も掃除の時間もほぼ全員が2組に分かれて大騒ぎ。
 
 ある日の昼休み。当時はやっていたドッジボール。校庭のそばには兄が通っていたころに火事で焼けた校舎の焼け跡があって不思議な姿の運動場。丁度ボールがぼくの手元に来て、その焼け跡の石段(結構高い)に何人かを追い詰めた。ワクワクしてボールを投げようとしたら、目の前に好きだったHKさん。ニコニコしながら逃げ惑うHKさん。HKさんの顔には大きなえくぼ。そのえくぼから目をそらして、咄嗟にボールをぶつけるふりをした。ボールが彼女に当たらないようにする(可愛いー笑)。 そのボールは別の敵に取られてしまった。敵にボールをぶつけられてぼくはアウト。すがすがしい気持ちのアウトだ。その場面がその後ずーっと何かの時にリアルに顔とえくぼと場面が表れて・・・ドキドキ。とうとうスキとも言えず小5の3月初めに転校してY小学校へ。
 
 転校したその日に、校長室に行く廊下で「○○ちゃん」と声をかけられる。見ると小1の時の担任。でも、あの優しそうな顔が消えていたことにとってもがっかりした転校初日。その後、校長室に入ると、見慣れた顔が・・・。前の年までS小の校長だった人がY小の校長だったのだ。「○○くん、また会ったね」と言ってくれたのだ。これですっかり不安解消。
 
 《あまりに長くなりそうなので、今回はここまで・・・さて、小3の時の初恋の相手とはどうなっていくのか?それとも、新たな・・・お・た・の・し・み・に・・・笑》

ぼくの初恋ものがたり その2

(今から読むなら食事は厳禁―笑)(理由は読めばわかる)(今日は「恋」の話はどこへやら・・・)
 
 実は、S小学校へはN町というところからの校区外通学。入学前まではS町のやっちゃん家のバラック在住。家主の子供が同級生(呼び名はやっちゃん)。ところが台風で崖崩れ発生。バラックが宙に浮く。これはスリル満載な家となる。部屋の中で、宙に浮いた部分にそっと動くと、家が傾いて揺れる。楽しくて遊んでいたら、父親激怒。そりゃそうだ。で、家主のおばちゃんが自分の家の一室を貸してくれて次の住みかが見つかるまで滞在した。嬉しくてうれしくて・・・同級生のやっちゃんと遊びまくり。で、お金持ちってこんなんやと感心。自分も仲間入りした気分で快適に過ごした少しの時間。
 次に移ったのが、N町。N町小学校の門の下の旧旅館をM市が改修した「引揚者住宅」《白菊寮》(中国大陸からの引揚者)。姉の友人の父親(市会議員)の口利きで引揚者でないのに入れた。
 そこは27世帯在住。ぼくの家族は旅館の大広間。3つに分けた一つ。1室だけど中に舞台の部分も含まれて楽しかった。隣は毎朝念仏とチーンとカネの音。その向こうの広い1室は病院の病室。これは恐かったよ。何故かというと、この3室が大広間だった部分で周りは廊下。病室の向こうに共同トイレが6つ。3つは入院患者用。残りの3つをそれ以外の2階の居住者。夜トイレに行くと暗い廊下を通って行きついても怖くて震えて落ちたこと数度(笑)「ポッチャントイレ」だから腰辺りまで・・・(あとはご想像にお任せする)
 部屋に帰って母親に洗ってもらって、兄弟からは「くさいくさい」と鼻つまみ者扱い。そういうみんなも経験者ばかり。
 書けばきりなし。
 
 学校からの帰りは、校区外なので途中からは一人旅。当時はバナナを蒸らす倉庫があって、歩きながらなんかいい匂い、と思っていたけど、それがバナナとはつゆ知らず。バナナなど買えるわけがなかったから。
ぼくは発熱常習者。これはラッキー。当時は、栄養価の高いバナナは高級果物。熱を出さねばもらえない。発熱のご褒美的存在。
 学校を一番長く休んだのは小3か小4の時、肺炎か何かで1~2か月。バナナは食べれるは、卵は食べれるわのバブル状態(笑)
当時我が家は誕生日の人だけゆで卵がご褒美。しかも家族8人のうち6人が1月生まれで一人ずつ誕生会もできないためまとめて6人同時開催。つまり、ゆで卵の独占的気分が半減する。ぼくはその点、本当の意味での独占権確立。
 その頃は、戦争が終わってまだ一桁。だから、多分日本中の多くがそんな感じ。ん?うちだけだったのかも。でも、何故か自分とこは金持ちと勘違い(笑)
 きっと同じ白菊寮の子供たち20~30人と一緒に遊び回った日々が勘違いを生んだのだと思う。上は20代直前から下は妹の2,3才まで裏のN町小学校の運動場が庭。そこには裏山があって遊び場だらけ。
 この辺でやめておかないと、「こいばな」が消し飛んでしまう。自分は分かって書いてるけど、読者にはチンプンカンプンかもね。ごめん。
 更につづく 

ぼくの初恋ものがたり その3

  書けばすぐに別路線に迷い込んでしまう。楽しかった日々が次々と映像として浮かんでくるせい。友達とのことを書き始めると止まらないので、やはり「こいばな」に戻ろう。
 
 転校してからは、非行グループに取っ捕まり、気分が落ち込む日々。ひどいときは、真冬に職員室に立たされたことも・・・。それは中学一年の時。無事?解放された時友達がどうだったか聞いてきた。「ストーブのすぐそばで暖かかった~っ」とうそぶく可愛いはずのぼくでした。あっはっは。。。
 ところが・・・中2の12月初旬、何故かこの非行少年(と言っても親分ではなく子分の一番下の位かも)は急に「自分は将来教師になろう」と決心!
 一応非行少年だったのに、何故か読書魔。それはN町にいる時から。N町小学校のキャンパス内にあった児童図書館のおかげ。母のおかげ。母は大の読書家。母に頼まれて図書を借りに行ったおかげ。自分の本も借りたから。近視になったのはそのせい。眼鏡は中1デビュー。
 というわけで、12月から非行グループからの脱出計画開始。脱出などできるわけがない。そこで考えたのは、一度連中から殴られたらいいんじゃ。その時が来そうなときに、グループの親分的存在(背が高く体格のいい柔道部の主将)が何故かぼくを守ってくれた中庭への呼び出し。覚悟して行ったのに、親分が「帰ってええぞ、こいつに手を出すな」
 勉強家が友達になってくれ始める。でも隙あらばグループの連中がつけ狙う。殴られる覚悟ができているから、あまり怖くなくなった。
 中学ではそれまでは不勉強。でも、教師になるには勉強しなきゃ。中1では学年600人中100番、中2では250番(えへへ)中3では2,30番に。つまり勉強家への変身、と言うほど勉強はしなかったけど。
 高校はMM高(以前商業学校)という2級高校。自分より成績が下の友人がたくさんMH校に行ってるのを知って、再度不勉強に。ところが高2の4月の学力で突然のトップに。。。仕方なく勉強に傾倒。地位の維持に努力。でも、高3になると大学入試のための勉強などいやだとまたもや不勉強へ。。。おかげで浪人生活。
 でも、この高校がやっちゃんとの再会を果たすことになる。と言うことは・・・あの初恋の。。。つづく

ぼくの初恋ものがたり その4

 
 MM高の普通科クラスになんとやっちゃんがいた。隣のクラスだけれど、懐かしい姿。何を話したかは全く思い出せない。そして会うのが普通になって、後に彼がMM高にいたことすら忘れていた。
 実は今日も気持ち悪い話。お気をつけて読むがよい!
 
 選んだクラブは「生物部」。地味。中学でも「テニス部」と「生物部」。近くの有名な山に昆虫採集に行った記憶がある。中学では夏休みにカエルを捕まえて教室で解剖。全部しきれなくてビンに入れたまま忘れてしまう。 8月の登校日に自分の机の上のビンの中でうごめく物。よく見るとカエル、と思ったけれど実はそれはカエルの死骸とハエの子供、つまり「ウジ虫」。カエルの死骸にウヨウヨ。雑巾でビンの口をふさいでトイレへ、ビンごとタコつぼに投棄。今のようなトイレなら不可能。さすがに一日中気分が悪かった。
 高校での生物部員は布団屋の御曹司と2人だけ。いろいろ実験をしていたけれど、卒業してからのフクロウの解剖と剥製製作しか覚えていない。フクロウはM市で一番高い戸ノ上山(と言っても550m)からうちの庭に降りてきた。けがをしていたのでクジラの肉を与えたりして飼ってみた。鋭い口ばしが怖いから兄と2人で小屋を作った。でも、2週間でダメだった。夏休みだったので、御曹司と連絡を取って高校に掛け合う。許可をもらって懐かしい生物室に籠り二人で剥製製作。数年経ってから訪ねてみたら、まだ剥製が飾られていた。つまり成功したということだ。
 
 折角恋バナに近づきそうなのに、まだたどり着けない。ヒントくらいは書いて次号につなげよう。
 そのヒントは、高2の時。クラスで一人図書部員を決めないといけないとの担任の話。それって図書委員じゃんと思いつつ、なかなか決まらないので本が読めると思い込んで挙手。図書部員となる。
つづく

ぼくの初恋ものがたり その5
 

さて、高2の図書委員。いや、図書部員。
 4月のある日、放課後に図書室集合の初会合。
 部員全員出そろい、部長と副部長の選出。何故かぼくが部長に。。。これは困った。
 でもその前に。。。
図書室に入ると既に数名がいた。女子の集団だ。これは緊張する。そして一応ちらっと目を向けた。そして・・・ハッとする。あのS小時代のよく知る人だ。でも人違い。
 選出された副部長2人。どちらも女子。初会合が終わって3人での初打ち合わせ。この頃のぼくは至極真面目。そして気がついたのは・・・最初にハッとした女子はあの初恋児童。
 「もしかして、HSさん?」
 「違うよ、○○さん。私、HKよ」
 「あ、そうか~。HKさんだったよね。懐かしいねぇ」
 「そうよね、転校してから会ってないもんね」
 「え、2人って知り合い?」(と、もう一人の副部長)
 「そうなのよ、S小で同級生。いつもクラスみんなで遊んで楽しかったよね、あの頃は」
 
 この日の帰り道、「夢」見る思い。
 ウキウキして帰宅した。次の日から毎日図書室通い。理由は簡単。部長だから・・・(えへっ (笑))副部長も毎日図書館通い。理由は不明。
 
この学校はそれ以外は不良が多く、学校外の不良が運動場を放課後占拠するほどのひどい状態。野球部はその周りでキャッチボールしかできない。この学校の内外のひどいことを書くとすれば相当量を要するはず。学校もお手上げ状態。
ちょっとだけ一例;学校の手前の坂道。小学生が近づいてくる。一人で登校中のこと。小学生が「金持ってないか」
「持ってない」「ポケットとか探すど」「(自分でポケットをまさぐって)ほら、ウソと思うなら探してもいい」
 小学生が高校生のポケットに手を突っ込む。「ないから行ってもええ」それもそのはず、ぼくはもともとお金を持っていない。持っていてもそんな学校に持って行くわけがない。
 なぜ小学生がそこまでできるかというと、その地区は逆らうと大人が出てくること間違いなしだから。大学に行く頃にはある警察官の努力でそんなことはなくなっている、と新聞で読んだことがある。
 折角の初恋の再会話がえらい話に転じてしまった。
 
図書部の活動、がんばれー!
つづく

ぼくの初恋ものがたり その6

 学内もなかなか大変だった。高1の4月のある昼休み。男子全員教室で待機命令。それは上級生による「風紀検査」だ。なんのことはない、自分たちと同じ格好の悪そうなのをピックアップ。放課後どこそこに集合。勿論ぼくは大丈夫。覚えているのはバスケ部のよく知っている男。ビビっていた。でも彼は翌日風紀検査をした上級生と仲良しになる。
 ところで、高2の図書部。夏休みはみんなで話し合って海水浴へ。M市から出かける海水浴と言えば、N海水浴場かA海水浴場。で、Aに決定。まさか自分が将来そこに住むことになるとは・・・。
 当時はなかなか繁盛の海水浴場。部員のほぼ全員参加した。部長、副部長その他。楽しかった一日。男子の中には悪そうなのもいたけど、部活では意外とおとなしめ。
 中学の時、家族で来たのもこの海水浴場。その時に、大人になったらこの近くに住みたいと思っていた。何故か海に魅せられた。近くの神社の松林にあこがれた。その近くにあるバス停の前の果物屋が羨ましかった。毎日泳げるじゃんがその理由。
 『クリスマスキャロル』を書いたイギリスの作家ディケンズ。彼は貧しくてある日父に連れられて散歩をした時、豪邸が目に入る。父親曰く「お前だってあそこに住めるようになれるんだぞ」それがディケンズの心に焼き付いた。そしてのちに売れる作家となりその豪邸を買うことになった。夢は持つべきもの。
 留学前にその海水浴場から川を隔てた近くの新築マンションに住んだ時、達成できたと思っていた。留学から帰って引っ越した先はまさにその海水浴場のすぐ近く。歩いて30秒。
 さて、物語はどうなるのか・・・?
 期待するほどではない結末。でも・・・
 つづく。

ぼくの初恋ものがたり その7

なんだか終わりに近づいたかも?
 図書部は高3になっても殆んどの人が残った。きっとみんなそれなりに楽しんでいたのだろう。顧問の社会科の先生がユニーク文字では表現できない。
 一度全員が家に呼ばれて、何故かワル部員まで行ってきた。意外や意外、その先生は絵を描いていた。そのアトリエたるや本格的。
 授業は小さな声でつらつら板書するだけの人。生徒はそれをノートに写すだけ。でも何故かひょうきんな面もあって、クスクス笑いの授業。思想的には多分「左」の人。
 高3の文化祭に、日本でも有名な作家の直筆原稿用紙などを展示することになった。勿論先生が持っていたり作家から借りたものを展示。
 文化祭当日、もしそれがなくなったりしたら大変だから、部長であるぼくは教室に張り付いていた。意外と字が下手な作家もいれば、清書した後から付け加えたりしている原稿用紙。あれだけの本物を借りてくる先生は凄すぎると思った。
 高校を卒業すると、HKさんは地元の銀行に就職したと、後になって風の噂。
 そしてややしばらくすると、結婚したとまたもや風の噂。
 その後は全く音沙汰なし。それもそのはず、ぼくは普通科、彼女は商業科。だから図書部以外は接点はなかったのだ。そして、その図書部員とは音信0%。
 それが何と、数年前。ある集まりに来ていた女性がS小出身者だと分かった。何かの話で、その女性はぼくを知っていたと話してくれた。それで聞いてみた。HKさんてご存じ?
 知っていますよ、と彼女の返事。てことはその人もぼくと同級生? 全く記憶にない。それだけのことでこのお話は終了だ。
 ちなみに、その女性の娘さんにも一度お会いした。でも記憶にない。ぼくに習ったというのに、思い出せないのも珍しい。でも、覚えていない。申し訳なさが残ってしまった。

ついに・・・おしまい!

なのに

、何故か未練が残っている。きっとS小時代の話を思い浮かべて書いてみたくなっているのだ。それが付録となるのかはまだ分からない。


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