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虚勢と空虚のひとをマネージメントした思い出 ①

痛いオトナになっていないか?

おまえ、自分はいい感じで年をとれてるなんて思ってない?
おまえ、若い時に煙たがっていた『痛い中年』になってるんじゃないの?

ある人物のことを思い出したら、頭の中で、アラートが鳴った。

以前、とあるタレントさんのマネージメントをしていた時期があった。
期間は半年にも満たなかったが、最近そのタレントさんの出演している動画をYoutubeで発見して懐かしいなと思い、今これを書いている。

十数年前、30歳くらいの時だったと思う。友人から会社を始めるので手伝ってほしいと言われた。しばらくは業務委託で様子を見てうまくいけば社員になるというような話だったと思う。そしてその委託された業務というのが40代の元芸人の男性タレントのマネージメントだった。マネージメントと言っても、仕事内容のメインは彼を使ったコンテンツのディレクションだった。小さな舞台やイベントでのディレクション経験が多少あった私は好奇心だけで内容もろくに確認せずOKしてしまった。

ここからは、多少フェイクを入れていく。

その男性タレントは、43歳の元漫才師で、名前を仮にアスーカ(ASUUKA)さんとしよう。
初対面の日、確か5月くらいだったと思う。彼は日焼けした肌にビス付き黒シャツ。革パンにいかついシルバーアクセサリーの重ね付けで先の尖った革靴を履いていた。

当時はイベントMCをしていると言っていたが、水商売が本業のようだった。彼は、友人が始めた会社の執行役員として、自分自身を売り出すプロジェクトを始めようとしていた。


初対面で渡された名刺には

ASUUKA SPECIAL PROJECT
EXECUTIVE PRODUCER
ASUUKA

と記されていた。

今思えば、その時点で何か気付くべきだったのかもしれない。

しかし当時の私は「わ、なんだこれイタイ!そして日本語がないw」くらいにしか思わず、末端とはいえ芸能人の名刺なんてそんなもんなのかなぁ、と。
(当時私の周りはそんなイタイ感じの大人だらけだったので特別変だとは思わなかった)

お互いに簡単な自己紹介を終えると、彼は昔漫才師時代に交流があった有名芸人とのエピソードトークを始めた。そしてバブル時の芸能界はどれだけ羽振りが良かったかという話を面白おかしくしてくれた。そして話は自分(ASUUKA)はもう1度売れたい。という内容へと変わっていった(彼が過去に売れていたかどうかは知らない)。自分ひとりでは売れるのは無理だとわかった。売れるためにはプライドを捨て、どん底から這いあがってみたい。そのためには仲間と若者の助言が必要だとも。で、なんだか喋っているうちに高揚してきた彼は、私と面白いもの一緒に作りたいと熱っぽく語ってきた。(具体的な話は一切出なかったが)そして私はそれに大人の作法で、興味がありますよ的に肯定的相槌で返した。


すると彼は言った

「プロデューサーにならない?」

一瞬、間が空いたと思う。

反射的に私は答えていた。

「プロデューサーとか興味ないんで、遠慮しておきます。でも、ディレクターならやりたいです」

私の答えが予想外だったのか、彼は一瞬固まっていたと思う。
その後の会話はこんな感じだった。

ASUUKA:でもさぁ、名刺にプロデューサーって書いてあったほうが良くない?

私:プロデューサーって何か恥ずかしくないですか?あと本来お金集めてくる人ですよね、私営業とか無理なんで。ディレクションなら出来ると思いますけど、プロデュースとか無理だし興味がないので嫌です。

ASUUKA:そっ、そうなんだ。じゃ、プロジェクトのディレクター兼俺のマネージャーってことでどうかな?

私:それならOKです

ということで、プロデューサーという肩書きを回避した私は、
その日からASUUKAのマネージャー兼
ASUUKA SPECIAL PROJECTのディレクターとなった。


ASUUKAさんは、私の名刺の肩書を

ASUUKA SPECIAL PROJECT
Manager&Director
じゃんぺね

にして欲しがったが私は


株式会社○×
制作・マネージメント
じゃんぺね


とした。

これはプロデューサーとなってアイドルを育てる例のゲームが流行り始める少し前、プロデューサーといえばTKというのが一般的だったあの時代の少し後の話。

ここからの約半年、私はこのASUUKAさんをどのように売り出していこうかと頭を悩ませることとなり、結果白旗を揚げ、プロジェクトから離脱することとなる。

思ったより長くなりそうなので、本題に入れなかった。
あと1~2回で終わる予定です。


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