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楽しむのが苦手な私への備忘録

 友達から、ごはんに誘われました。わざわざ外出するものではなく、お昼休みに、というものですね。あまり人から昼休みにご飯を一緒に食べようといわれた事がないので、ちょっと驚き。

 今まで生きてきて、人と一緒にいる、それも選択的に誰かと常にいる状態は多くありませんでした。でもまぁ友達とか、クラスメイトと一緒にいる時間って、きっと楽しいものだと思うんですよ。

 社会人になったからこそ、学生時代にもっと青春しとけば良かったなぁ、愛想よく振舞えばよかったなあと最近思います。ということは、学生時代は結構無愛想だったわけで。

 私はなぜか、人生、あるいは自身の行動をいつの間にか「修行」に置き換えているです。辛くても大丈夫。耐えればなんとかなる。楽しんでいる人はそれでいいから、自分は耐えて努力しようってね。そういう癖が染みついていやがるんですね。うわばきにこびり付いたとれない汚れみたいに。

 デフォルトが、「修行」なんです。私は。
こんなに楽しんでていいのかな。
何かしないといけないかも。
他の人はもっと頑張ってるかも。

 って思ってしまうような気がするのです。

 なんででしょう。楽しんでいいのにね。そいえばアインシュタインは、「人生とは18歳までに身に着けた常識という名の偏見を解きほぐすことである」と、言っていた気がします。なるほど。18歳までに身に着けたものは、いい意味でも悪い意味でも自身を規定するでしょう。

 きっともっと時間が必要なんでしょうね。良いところはもちろん残していたい。その「良いところ」も、現在の自分の置かれた状況によって、簡単に振り回されるんでしょうが…ははは。

 ただ、私には「強い後悔を感じない」という偏見が根付いています。昔にとらわれすぎては、あまり無いと思います。まぁ、こうしておけば良かったって思っちゃうこともありますが….どっちやねんな。

 とりあえず、友達とのご飯は行ってきましょう。過去の悔恨、とも言えないほどに薄れつつある青い記憶との上手な折り合いを見つけて、でも時々、ノスタルジーへ私を誘うヨルシカさんの音楽を傍に、感傷に浸ってます。

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