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30代中盤の非IT系業界の営業が半年間プログラミングと向き合ってエンジニアになった話【前編】

誰が書いているか?
歳は34歳。男性。東京の大学の文系学部を一浪一留の末、卒業。大学時代はサークル活動ばかりで全く勉強せず。リーマンショック直後の2009年3月に不動産会社に新卒入社、半年後にリストラに合い、その後、アパレル(半年)、食品商社(4年)、食品メーカー(3年半)と10年で4社渡り歩く。経験した職種は営業と貿易実務のみ。最終年収400万、家賃補助無し、賞与無し。鬱による休職歴有り、離婚歴有り。

1年前の状況
中小日系食品メーカーの営業として所長と2人きりのロンドンオフィスに名ばかり駐在。ロンドンは家賃が高い為、一人暮らしは出来ず、ブラジル、イラン、アフリカなどの移民5人とシェアハウスに入居。業務用食材をロンドンや地方都市にあるレストランやパブ300店舗以上にアポなしの飛び込み営業をする日々。もちろん全然売れない。売掛金を踏み倒して消えた卸売会社社長の自宅を探し出し、連日張り込みをして資金回収をするなどおよそ海外駐在とは思えないような仕事の数々を経験。

募る漠然とした不安感
営業という職種に対してのうだつの上がらなさ。この会社で5年経った時、少しは物が売れるようになっているかもしれない、でもそのやり方はこの会社でしか通じない。5年経てば、自分はこの会社以外では働けない人間になっていると思った。営業をこの先ずっと続けたいとは思わない。この会社にこの先ずっと居続けたいとは思わない。でも年齢は33歳を迎えた。営業以外の経験もない。これといったスキルもない。そして既に3度も転職していた。

その時に出会ったモノ
LIFE SHIFTという本。以前住んでいた東京のシェアハウス、そこの友人が始めたコーチング。そして付き合っていた彼女の妊娠疑惑。LIFE SHIFTに描かれた人生100年時代と自分が80歳まで現役で働き続けなければならない未来のリアリティ。衝撃を受けた。5年後、この会社でしか働けず、営業という職種しかやれない自分が、80歳まで十分な収入を得ながら働き続ける事が出来るだろうか?答えは当然NOだと思った。でもどう動けばいい?取れる行動はものすごく限られていた。友人のコーチングを通して、その道を模索する日々。そんな中、付き合っていた彼女の生理が来なくなった。妊娠の可能性を覚悟した。妊娠であれば自分はこの仕事を続けなければならないと思った。どんなに給料が安いとはいえ、成長が限られているとは言え、収入を失う事は出来ない。数週間後、彼女の生理が来た。妊娠していなかった。その時、ガツンと頭をハンマーで殴られた思いがする。人生はいつ何が起こるか分からない。そもそも今の自分には変化を恐れるほど、失うものが実際は多くないという事実。退職を決意した。

変わる為に必要なお金はそんなに高くない
数年前から海外でMBA取得やデザインスクールの学位を学ぶ知人も増えていた。でも学費と生活費を合わせて軽く数千万を超える。自分には三桁(万)の貯金もない。ビザと生活費を考えると日本しか行き場はなかった。耳にするようになったデータサイエンスを学ぼうと思った。その検索欄の中に半年間の平日コースがあるプログラミングスクールがあった。サイトには経産省からの助成金が受けられる旨が書いてある。卒業すれば学費50%、卒業後就職すれば70%が返金され、さらに通学の日数に応じて日当の給付金が出る。計算すると掛かるお金は30万以下だった。実家に住めば家賃は安く済む。自分でも手が届く。それが表参道にあるG’s Academy Tokyoに通う事にした決め手。程なく退職し、帰国。そこから、ひたすら黒い画面と向き合う日々が始まる。

後編に続く

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フード&テクノロジー全般を追う駆け出しエンジニア。10年弱食品業界で営業を経験、30代中盤にして一念発起し、半年間のプログラミングスクール通学の後、エンジニアへ転身。劇的に変わる食xテクノロジーの未来を追い続ける。趣味はペア読書。
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