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健康で文化的な通勤時間の喪失

写真は特に関係のないサイゼリヤのミックスグリル。
「アイドルマスター SideM」の9thライブの後に食べたので「真夏にハシャいで疲れた身体に肉と塩分が沁みるァ"~♡」となりました。

以下、本題。
~~~ ~~~ ~~~ ~~~ ~~~

徒歩 2分
電車待ち 数分
電車 25分
徒歩 10分
バス待ち 数分
バス 20分
徒歩 15分

その合計が、私の通勤路です。

先だって仕事を辞めた私は、この途方もない往復2時間強の浪費から解き放たれました。

結果、頭の中に「ラジオ体操第1・第2」が流れ続けることとなりました。

なんでもできるようになると、なんにもしなくなる

というのが、仕事を辞めてみての所感。
しかし、その事実には辞める前からうっすら感づいていたので、最終出勤日を終えて早々、私は私に日課を与えました。

・ラジオ体操 第1・第2
・外出 or 外出の予定がない場合は散歩
・筋トレ 2種
・ニュースを読む
・何かしら書く(このようなnoteだったり、小説だったり)
・何かしら読む(シナリオだったり、小説だったり)

毎朝5時~6時くらいにフッと目が覚める私は、上から4つに多少の家事を加えても、8時半くらいには終えてしまうことがほとんど。
あとはのんびり書いたり読んだり。

しかし読み書きも一日中しているわけではありません。
では「だらだらする」ときに何をしているかというと、もっぱらSNSです。

良くな~~~~~い! 良くないよ! ダメだよ! 得られるものなんてないのにSNSに入り浸る! 人生の無駄遣い! 無益! 無益! お前! お前お前お前! SNSで浪費したその30分、本を読んでいたら何ページだ!? その1時間、ドラマCDが1本聞けたぞ!?

うるせ~~~~~~~!!!!!!!!!!!!! そんな正論でスッパリ辞められたら苦労せんわい!!!!!!!!!!

驚くことにこの人間、「あたくし多趣味なんですのオホホ……」と多方面に嘯いておきながら、「これが趣味です」といって挙げていることを、ろくに行わないのです。
絵を描かない。音楽も聞かない。買いっぱなしのライブのBlu-rayも見ていないものが多々。
かろうじて本は日課レベルで少し読んで、書くのも少しだけ。

お、おまえ、それでも自称「趣味人間」か!!?!?!??

恐ろしい話です。
なんでもできるようになると、なんにもしなくなってしまいました。

では今まではどうだったかというと、仕事に行っていた間は、「通勤時間」が「趣味の時間」になっていたのです
電車やバスに揺られる間は本を読み、ゲームをし、歩いている間は音楽を聞く。

しかし辞めた今はどうだい。
通勤時間がなくなった途端、趣味の時間を上手に確保できなくなってしまったわけです。

結果、「日頃聞いている音楽」の9割が「ラジオ体操 第1・第2」のピアノ演奏になってしまい、日常でふと脳裏に流れる音楽もそれになってしまったわけです。
あ~ダメだ、また来た、今上半身を大きく回転させているときの旋律がグルグルと……。

「趣味」を己に「課す」べきか?

というのが、このnoteを書きながら悩み始めたこと。

「いずれ仕事になるといいナ♪」などとナメたことを考えている「文章」については、読むことと書くことを日課とするのはごく自然でしょう。

しかし、絵は? 音楽は? ライブ鑑賞は? 裁縫だって一応趣味のはずだし、歌うのも踊るのも好きだからカラオケくらい行ったっていいはずだし……。

これらは、己に「課す」べきか?

課すべき。

書きながら決意しました。
だって、実際、やりはじめたら楽しいんだもの。
集中力がペラッペラなので合間合間でズルズルとSNSに齧りつくのは目に見えていますが、それでもやはり課すべきである、課そう、今そう決めました。
ライブ感でnoteを書いている。

よしよし、ではネオ日課はこんな感じかしら。

・ラジオ体操 第1・第2
・外出 or 予定がない場合は散歩
・筋トレ 2種
・ニュースを読む
・何かしら書く(このようなnoteだったり、小説だったり)
・何かしら読む(シナリオだったり、小説だったり)
・絵を描くか音楽を聞くか裁縫などをする ←New!!

ウム。よろしい。

とりあえず今日のところは、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)」を聞くところからはじめました。

は~ ボディコン着てディスコ行ってみてえ~
ダンシング・ヒーローでディスコを想起するのが正しいのかどうかもよく分からんけど~

その後、このnoteを読み返して推敲している間にダンシング・ヒーローを聞き終えてしまったので、寺尾聰の「ルビーの指環」と沢田研二の「勝手にしやがれ」を聞きました。

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