世界はスローモーションで廻りはじめる
今日は家から出れないな、というのは起きた瞬間にいつもすぐ分かった。そういう時はバイトを当日欠勤して代わりに小説を書く時間に充てたりしていた。
働かないとお金を貰えないし、それを何回も続けてたらまたクビになるのかもしれなかったが、そんな事はもうどうでもよかった。私がいなくても会社というものは回り続けるし、書いてさえいれば現実とは違う場所に深く潜っていられた。その時間が長ければ長いほど、気分は楽になったし、それで初めて、書き続けるためにも現実生活とも帳尻を合わせようという気になった。
一年、二年と経つうちに少しずつ私は歳を取って子供ではいられなくなり、それなのに大人になる事もすっかり諦め、いつでも雨戸を締め切った薄暗い部屋の中で息を殺すようにして、創作の世界に没頭し続けていた。周りの友達は皆仕事が忙しくなったり結婚したりして次第に私を忘れていくようだったが、自分なりの幸福を一生懸命築こうとしていく彼らを自分の閉じた世界に巻き込もうとする気持ちはなかった。私はいつでも彼らを遠巻きに眺めているような心境だった。有り体にいえば、私には書く事だけが残った。ただそれだけだった。
それを続けて自分の暮らしが良くなるとか、周りに認められるようになるとか、そういう期待は全く持てなかった。夢も希望もなく、ただただこの世界で正気を失わずに生きていくために書いている。そんな感じだった。
例えるなら私は、誰にも邪魔されない場所で自分だけの箱庭を作っていた。
箱庭の中では時間は永遠だ。世界は限りなく透明で残酷で美しい。
誰にも気兼ねする必要なんてなかった。
そしてどうにかこうにか一本仕上げて文学賞とやらに送ってみるも、箸にも棒にもかからない。何回送っても結局同じことの繰り返し。
出版不況、もう誰も文学なんて真剣に読まない、と叫ばれている中、どうして大した才能もない自分が小説を書くことにこんなに固執しているのか、自分でも分からず毎日真綿で首を絞められているような気持ちだった。
それに加えて、最初の会社であった出来事、それから色々あって正規の仕事をする事をあきらめた事を、私は逃げだと思っていた。社会人として向き合うべきこと、同世代の友達が依然として闘っている事から自分は尻尾を巻いて逃げたのだと、自責の念にいつも駆られていた。その空白みたいな日々を言葉で埋める為にもがき続けていたわけだが、本当に少しずつしか前には進まず、自分が死ぬまでにどれだけのものが作れるのか不安で。作り上げたとしてもきっと無視されることの連続で、これはただの自己満足じゃないか、客観性がなさ過ぎるんじゃないか、恥ずかしい事をしているだけなんじゃないか、と、頭の中は暗い悩みでいつもいっぱいだった。
しかし、自分の事を責め続けている自分自身とは全く違って、周囲の人はいつも温かく励まし、見守ってくれていた。
見ず知らずで初対面の人でさえも、小説を書いているんですとぽつりと言うと、目がふっと優しくなる瞬間があった。誰も冷たい目で見たり、馬鹿にしたり、現実を見ろなんて言う人はいなかった。23歳から書き始めてもう十年近くになるが、そんな人は本当に一人もいなかった。
頑張りなさい。途中でやめてはいけない。とにかく書き続けなさい。
言われるのは大体いつもそんな感じの事だった。
心の持ちようなんて他人との縁でいくらでも変わってしまう。私が今の所、何とかここまでやってきているのはそういう人達がいつでもどこでも誰かしら必ずいて、常に寄り添っていてくれているからだと思う。
太宰治の墓を見に、三鷹の禅林寺に行った事があった。
別に太宰の小説が好きなわけでもなんでもないのにどうして行こうと思ったのか、よく覚えていない。そんなに大した理由はなかったと思う。当時は高円寺に住んでいたから、地理的に近かったとか、そういう事だったと思う。
夕方前、門が閉まるぎりぎりの時間に行くと墓地には誰もおらず、思ったより墓石も複雑に入り組んでいたので、一つの墓を探し当てるのに手間取った。途中でたまたま清掃のおばさんが私を見つけ、「太宰さんに会いにきたなら墓はあっちだよ」と優しく教えてくれてようやく見つけられたわけだが、見てみるとそれは、斜め向かいにある森鴎外の墓と比べても、何というか、とても簡素なお墓だった。
そもそも訪れるのはファンの方とか縁者の方とかであり、私は墓前で何を思ったり願ったりすればいいかも分からず、とりあえず手を合わせながら、しばらく、ただぼんやりと墓石を見ているだけだった。
閉門時間まであまり時間もなく、その場を後にして、寺を出ようとした瞬間に門の近くの鐘が鳴った。
その音で寺の屋根にいたらしい鳩の群れが急に飛び立ち、しばらく空をぐるぐる回っていた。その光景がなぜかスローモーションに見えた事だけは覚えていて、そのタイミングの良さになんだか誰かに励まされているような、言葉にならない何かを言われているような、そんな不思議な気持ちがした。
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