とても要らん手紙 気持ちだけ頂戴しときます

生まれた時には既に新興宗教二世だったので、宗教と距離を置いた今でも私の幼少期を知る信者のひとから母親経由で手紙が来る。とても要らない。
ただ、私に手紙を書いて気にかけてくれるのを無碍には出来ずにいる。あの宗教の教えはわたしの人生と精神を確かに歪めたけれど、信じている方々は穏やかで思いやりのある人ばかりだった。誰かになにかしてあげたいみたいな。自発的にボランティアのような奉仕活動のような、そういうことが良しとされていた宗教だったからだろうか?
自然消滅してもう10年も経つ。基本的な信者層は60代~70代の高齢者がメインで、50代でも若手扱いなほとんど限界集落みたいなところ。わたしがまだ現役だったころは年下の子供たちも沢山居たけど、親が研究生とかだった子たちは多分自然消滅したんじゃないかな。いまあの限界集落に残されてるのは両親も信者の生粋の二世や三世の子たち。あの子たちは今の人生、自分らしく生きられていると思えるのかな。

おじいちゃんおばあちゃんのような年齢の人達が、一生懸命慣れないパソコンとかを使って私にってメッセージカードを作ってくれたんだって、母親経由で知ってるのもあって捨てるのに罪悪感がある。自分のトラウマを刺激する物にしかならないのにね。こんな私にあなたの気持ちの一部を向けてくれてありがとう。出来ることなら宗教抜きだととっても嬉しいな。宗教が無かったら関わることも無かった人達だけれど。
あなたと私の唯一の繋がりである宗教が、私を気遣ってくれる事に対して私を複雑な気持ちにさせるの。悲しいね。

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