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うばがもち

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京都市出身とは言いつつも、実は、生まれは福岡の博多、小学校1年までは滋賀県の草津という土地にいた私。

博多には2年に1度位、仕事のついでや用事で祖母の家に行く機会があるけれど、草津にはもう私が住んでいた家もないし、わざわざ行きたいご飯屋さんや、用事もない。

昔住んでいた場所にまた行ってみたいな、と思うことはあるけれど、車がないと行きにくいし、駅からの道も全然分からないし、京都に帰省した時にそんな時間もなく、もう行くことは一生ないのかも、とも感じていた。

父方の祖母はまだ草津に住んでいた。でも、会うことはほぼなく、京都にいる弟が頻繁に会ってくれているので任せてしまっていた。

1月末、父から、祖母があと数ヶ月かもしれない、と言われた。偶々その週に京都に帰省する予定があったので、弟とお見舞いに、久しぶりの草津に行った。

病院は住んでいた場所の比較的近くにあったので、運転してくれていた弟に「前住んでいた場所に寄り道してくれない?」とお願いをして、そこまで連れて行ってくれた。


住んでいた場所は、時が止まっていた。私の住んでいた家は別の家に変わっていたけれど、それ以外は、そのまんま。向かいの家たちも、鬼ごっこをしていたマンションも、近くの公園も。

それが恐怖に感じた。

東京でそれなりに忙しく生きている私にとって、そこは“変わらない”停滞という恐怖があった。

やっぱり私は都会でとにかく走っていたい。この場所に来て、改めて分かった。

祖母はお見舞いに行った翌週に亡くなった。最後、お見舞いに行ったときに手をぎゅっと握ってくれて、「幸せになるんよ」と言ってくれたことを、私は一生忘れない。私は今、「幸せ」だと思うけど、「幸せ」ってなんだろうな、とそこから度々考えている。

お葬式の帰り道、草津駅で、「うばがもち」を買った。

うばがもちは、草津発祥の和菓子。草津にいた頃、日常にあった和菓子。1袋にころんと6つ入っているその和菓子は、お餅にこしあんが包まれていて、上にはちょこんと白あんと山芋の練り切りがのっている。

「おばあちゃんのお餅」まさにそう。何度もおばあちゃんと食べていたこのお餅は、あんこもお餅も限りなく優しい味だった。

“変わらない”という優しさも同時に感じた、今年の冬の出来事。

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