見出し画像

私の話 スピンオフ

 私の話がZINEになって本屋さんに並んでいる。自分が好きでついつい本を買ってしまう書店さんに、自分が書いたものが並んでいるのが不思議だ。SNSをフォローしていたら『フェミサイドは、ある』入荷のお知らせが流れてきてびっくりする。

 実はこのZINEを書き始めたのはつい先月、7月のことだ。タバブックスに出勤した日の昼休みにご飯を食べながら、8月で小田急線事件から1年だから何かしたいけどどうすればいいかなぁと悩んでいたら、宮川さんが冗談混じりっぽく「gasi editorialでやる?」とポロッと言った。それが始まりだった。
 gasi editorial(gasiは韓国語で가시=棘の意)はタバブックスが今年5月に始めた新しいレーベルで、第一弾のZINE『反「女性差別カルチャー」読本』がけっこう話題になった。私は宮川さんの言葉を聞いて、え、私が書いていい可能性あるんですか?と思った。冗談なのか本気なのかよくわからなかった。

 でもやっぱり1年が経つこのタイミングで、フェミサイドに対して自分が考えたこと、行動したことの記録をなんらかの形で残しておくべきだと考えた。仮にgasi editorialからでなくても、自分でZINEを作ってもいいと思った。そのときちょうど私はイ・ランさんのエッセイ『話し足りなかった日』を読んでいて、自分自身のことをずっと記録しているランさんに触発された部分もあった。
 その日、家に帰る道で1年前のことを思い出して、何を書こうかメモを書き出した。活動をしながら嫌な目にも遭ったから、普段は思い出さないように遠ざけていた。その記憶を引っ張り出してきた。家に着いて晩ご飯を作りながら、書きたいことが次々に湧いてきた。たぶん私はこの話をしたかったんだと思った。話したかったけど、自分自身の感情や思考から一旦距離を置いてみなければ、話し出すことができなかった。1年経ったから記憶を直視しても大丈夫になったんだろう。

 7月3日に宮川さんから「gasiで出すなら、大体の書きたいことまとめてもらえますか?」とメッセージが来た。あ、冗談じゃなくて本当に可能性あるんだと思った。その週のタバブックスの出勤日、またお昼ご飯を食べながら(宮川さんはラーメンを作りながら)、事件後から私が何を考えながらどんな行動をしたのかを、日記エッセイのような感じで書くのはどうかと話した。それで、ひとまずこのnoteの「tbスタッフマガジン」の連載で、お試しで書いてみることになった。このときタイトルをつけるとしたらどうしようかという話になり、宮川さんがつぶやいた「フェミサイドはある」という言葉が妙にしっくりきて、「それだ」とその場で決まった。
 翌日にnote連載「私の話」第1回を公開した。その後週に1度公開した第3回までの文章が、ほぼ『フェミサイドは、ある』の前半の本文になった。7月はずっと原稿を書いていた。1ヶ月で、ひとりで60ページ書いた。
 同じくタバブックススタッフの井上さんがデザインをやってくれて、8月17日に完成した。そうやってできたZINEが今、本屋さんに並んでいる。

お読みいただきありがとうございます。サポートいただけましたら、記事制作やライターさんへのお礼に使わせていただきます!