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私の話 1

2021年8月6日(金)
 この日、私はずっと家にいた。外に出なかったし、電車にも乗らなかった。大学は夏休みに入ったばかりだった。Netflixで2本映画を観たらしい。台湾映画『先に愛した人』と香港映画『花様年華』の感想がこの日付で残っていた。大学からコロナのワクチンの案内メールが届いたのをスクショした。8月6日だからヒロシマのことをちょっと考えたり、戦争のことをちょっと考えた。インスタのストーリーを更新したら仲の良い大学の先輩から「明日暇?」とDMが来て、一緒に本屋に行く約束をした。夜、家族にどうしても読めと言われていた漫画『ゴールデンカムイ』を1話から読み始めた。ただの日常を私は過ごしていた。
 同じ日の20時30分ごろ、小田急線を走行中の電車内で男が刃物で女子大生を狙って刺した。男は他の乗客にも切りかかり、車内に火を放とうとした。自宅から数km先で起こった事件のことを、この日の私はまだ知らなかった。

 この日、私は安全だった。ずっと家にいて外に出なかったし、電車にも乗らなかったから。
 

2021年8月7日(土)
 午後、先輩と新代田にあるエトセトラブックスで待ち合わせた。フェミニズムの本を眺めていたら、店内に貼られた小さなカードが目に入った。そこには「小田急線事件に抗議します」というようなことと「フェミサイド」というカタカナの文字が書かれていたと思う。ニュースを見ていなかった私はただそれを見て、なんだろう?と思った。

2021年8月8日(日)
 この日の朝8時17分ごろ、やっと前日のニュース記事を読んで、事件のことと犯人が逮捕されたことを知った。すぐに先輩に「やばくないですか」とメッセージを送った。先輩のパートナーは事件があった同じ時間に小田急線の電車に乗っていたそうだ。
 最初に見た新聞記事の見出しには「小田急線刺傷 容疑者 『勝ち組の女性を殺したいと考えるように』供述」とあった。そこから複数のメディアの記事を読み漁って、詳細を知った。刺されたのは自分と同じ20代の大学生の女性だった。36歳の犯人の男は「幸せそうな女性」に見えた彼女の胸を2回刺した。逃げる彼女を背後から追いかけてさらに背中などを複数回刺した。犯人の男と彼女には面識がなかった。誰でもよかったという供述が載っていた。男は「車内で座っている女性を殺してやろうと思い、包丁で突き刺したことは間違いない」と言ったらしい。また犯人は電車で彼女を刺す前、万引きした店の女性店員に通報されたことで逆恨みし、店員を殺そうとしていたという。
 犯人の男の動機が気になった。記事には「大学時代にサークル活動で女性から見下され、出会い系サイトで知り合った女性ともうまくいかず、勝ち組の女性を殺したいと考えるようになった」、「6年前から幸せそうな女性を見ると殺してやりたいと思うようになった」といった言葉が並んでいた。明らかに女性という集団に対する憎悪から生まれた殺意で、ヘイトクライムだと思った。
 同時に、どこかで見たことのある話だと思った。イ・ミンギョン『わたしたちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』に出てきた韓国・ソウルの江南駅刺殺事件(2016年)とよく似ていた。この事件では「女たちが自分を無視してきた」と日頃から女性を憎んでいた男が、トイレで待ち伏せして面識のない20代の女性を刺し殺した。レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』に出てきたアメリカ・カリフォルニア州のアイラ・ビスタ銃乱射事件(2014年)ともよく似ていた。その犯人の男は犯行前にYouTubeに上げた動画で「自分に惹かれてくれなかった女たちへの復讐」を宣言し、大学の女子寮を襲撃しようとした。
 自分のことを好きになるべき、つまりは自分とセックスすべきはずの女たちが自分に振り向かないから、罰として殺していい。それが彼ら全員に共通する動機だった。それらはミソジニーに基づく犯罪だ。小田急線事件の犯人の同級生を取材した記事も見た。女好きでよく女子高生とかにナンパをしていたという。「女好き」という一面が「意外な素顔」だとか書かれていた。それは意外でもなんでもないと私は思った。「自分とセックスをしてくれる女」が好きであることは、女を人としてではなく性的客体として見ることや、男である自分の要望に応えない女には応酬していいと考えることと表裏一体だからだ。こんなに典型的なミソジニーはない。
 小田急線事件に関して、「ミソジニー」という言葉とともに「フェミサイド」という言葉が使われ始めていることを知った。「フェミサイド(femicide)」とは、性別を理由とした女性の殺害のことだ。この言葉が生まれたとき「femme(女)」という言葉をわざわざつけたのは、伝統的に「殺人」という言葉は「ホミサイド(homicide)」、つまり「男=人間(homme)を殺すこと」だったため、女を殺すことに名前を与える必要があると考えられたという。
 小田急線事件でも「無差別事件」との報道が多かった。犯人が「女性を殺してやろうと思った」と言っていても、彼女を執拗に追いかけて何度も背中から刺していても「無差別事件」だと。性別は関係ないかのように書いた記事が多かった。ああ、だから「フェミサイド」という言葉が必要なんだと思った。エトセトラブックスに貼ってあったカードの意味が、そのときわかった。
 朝に事件のことを知ってから、何時間もスマホの画面にはりついて記事を読んだ。過去に読んだフェミニズムの本を引っ張り出してまた読んだ。そうしているうちにだんだん腹が立ってきた。女なら誰でもよかったなら、もし全く同じ時間の同じ電車に乗っていたら、突然刺されていたのは私でもおかしくなかったじゃないか。私はたまたま家にいて平穏な日常を過ごしていたけど、そうではなかった可能性もあるんじゃないか。女であるだけで殺意を向けられるほど女性差別が根深い社会は異常ではないのか。これだけ明らかな憎悪が動機になっていて、「無差別」で片付けられてしまっていいのか。ミソジニーが背景になった事件であることが否定されていていいのか。フェミサイドをフェミサイドと呼ばなくていいのか。
 女であるだけで殺されかける事件が起こっているときに、自分は何をしてるんだと思った。いくらフェミニズムの本を読んでも、大学で勉強しても、自分のインスタのストーリーやnoteで反女性差別を訴えても、結局、この事件を生んだ社会には届いていないじゃないか。頭だけじゃ、口だけじゃ何も変わらない。行動しなきゃいけないと思った。今すぐにこのタイミングで、事件のことが忘れられないうちに、何かやらないといけないと思った。でも何をどうしていいかわからなかった。行動したことがなかったから方法を知らなかった。調べながら自分に何ができるかを考えて、ふと江南駅女性刺殺事件の後、韓国の女性たちが江南駅10番出口にメッセージを書いたポストイットを貼ったことを思い出した。

 夜9時ごろに家を出て、コンビニでポストイットを買った。小田急線に乗った。乗る瞬間も、座っている間も緊張していた。電車に乗るということでこんなに警戒するんだと思った。スマホを見たりする気分にはなれなかった。怖いと思った。
 祖師ヶ谷大蔵駅に着いた。駅の構内にポストイットを貼った。私は「小田急線事件はフェミサイド」、「#幸せそうという理由で私たちを殺さないで」「#StopFemicides」、「暴力には言葉で対抗しよう」、「声を上げよう」と書いた。


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