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【Twitterから離れてみる】#2 差別発言でツイートを拡散するユーザーを手放せない仕組みに疲弊/篠原諄也(仕事文脈vol.22)

 昨年末、なんとなく、Twitterをやめてしまった。アカウントはそのままに名前の後ろに「一時停止」と追加して、放置している。パソコンやスマホから一時離れる、デジタル・デトックスのようなものかもしれない。

 Twitterを始めたのは、二〇〇〇年代後半だっただろうか。学生だった当初の使用用途は、知人の近況報告や著名人の情報をチェックすることだったけれど、ライター・エディターの仕事を始めてからは、それに関連する情報収集や告知発信が主になった。朝起きた瞬間から寝る直前まで見ていた時期もあって、今思えばずっと何かに追われて監視されているようだった。仕事関連の発信から外食などの近況報告まで、文章なり写真なりを絶えず更新しないといけないような気にさせられた。もうそうしたサイクルとはまた別の場所で生きていきたい、と思ったのだった。

 やめようと思い立ったきっかけは、仕事関連のツイートばかりをしている自分が、仕事人間のように思えてきて嫌になったことがある。自分はできれば仕事はさっさと終わらせて、一刻も早く遊びに行きたいと常日頃から考えているような人間なので、自分のタイムラインを眺めていると「なんか違うな〜」と思ったのだった。

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