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こいのぼりの好きなもの探り04 本屋さん

 ゴールデンウィーク中、小学生時代に通い詰めていた本屋さんを訪れました。店名は変わっていたものの店員さんは変わっておらず、思わずレジ前で泣きそうになったこいのぼりです。数年ぶりに母に漫画を買ってもらいました。田島列島先生の「水は海に向かって流れる」を三冊。母が買ってくれる本たちは、その内容にかかわらず、なぜかずっしりと母のような雰囲気を醸し出しています。もうすぐ私は社会人。もうこういう風に母にしてもらうこともなくなるのかと少し寂しくなりました。毎回好きなものについて語るこのnoteですが、今日は本屋さんについて。

 私が小学生の時に住んでいた地域は田んぼばかりで、遊ぶ場所といえば学校か、絵に描いたような昔ながらの駄菓子屋さんか、ぽつりとある全国チェーンの本屋さんでした。当時の私が、きらきらとしたものに触れられる唯一の場所が本屋さん。雑誌で表紙を飾るモデルさんに憧れたり、テストのご褒美で漫画を買ってもらったりしました。「本屋=新しくて知らないものと出会える場所」という感覚で、冒険に近かったと思います。そういった未知なる遭遇的な楽しさがありました。今でもその感覚自体は変わっていません。何か買いたいものがピンポイントであって訪れることもありますが、大体1時間は時間を確保して本屋さんをじっくり回ります。
 しかしながら自分でも変わってしまったと悲観していることがあります。それはSNSで調べる癖がついてしまったこと。良いなと思う本を見つけると、大体Twitterでその名前を検索し、感想を確認してしまうのです。SNSで流れてくるレビューを元に本を買うことも多くなりました。その私の行為の背景にはお金に関する考え(要は自分で稼いだお金を使うものに値するのかと言う判断)や、より周囲が良いと言うもの(評判の良いもの)を買いたいなどという思いなどがあります。それ自体は自分で認めてあげたいと思うのですが、小さい頃に感じていた未知なる遭遇的なワクワク感を自ら潰してしまっているのでは…と切なくなるのでした。

 そうはいっても本屋さんの魅力は絶対的です。個人のお店も大きなお店も好き。なんでしょうね、あの雰囲気。お店によって店員さんやラインナップ、並べ方とか違うはずなのに、同じく「本屋さんの空気」が流れているんです。あの自由な感じ。煮詰まった時や思い悩んだ時に本屋さんに行くと、勝手に気力が湧いてくるんですよね。著者さんや編集者さん、そして書店員さんなど、本に関わる人の想いが蒸気となって漂っています。それでいて静か。誰も誰かの邪魔をしようとしないあの静かさ。無くなっては困る場所です。
 因みに私はどうにも立ち行かなくなると、池袋東口にあるジュンク堂に行きます。B1から9階まである大きな本屋さん。まずエスカレーターで9階まで登って、それから1フロアごとじっくり見ながら降りていくのです。散歩がわりにもなり、B1にいる頃にはなぜか思考もまとまっているのでおすすめです。

こいのぼり
 

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