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【前編】つながりと感情が武器化される時代に「論破」、「冷笑」、憎悪から距離を取る/礪波亜希(仕事文脈vol.22)

このところ日本では論破系、冷笑系といわれるインフルエンサーが人気を得ているそうだ。

「論破」とは、従来の日本語では議論をして相手を言い負かすことを意味するが、この文脈においては、インフルエンサーが活躍する場であるソーシャルメディア(ブログ、ソーシャル・ネットワーキングサービス(SNS)、動画共有サイトなど、利用者が情報を発信し、形成していくインターネット上のメディア)上における話法のひとつを指す。一種の情報操作術を用いて相手をやり込めるようなやり方で、揚げ足取りまがいのディベート術とされる(*1)。

「冷笑」は、あざ笑うことを意味し、ソーシャルメディア上においては、人を小馬鹿にしたようなからかいをすることである(*2)。また後者の「冷笑」には、オフラインの世界におけるカッコつきの「弱者」が、オフラインの世界における「強者」である女性や男性を、オンライン上で小馬鹿にする、という、ネット上とそれ以外の世界の権力関係が交差することが特徴的である。

さて、こうした「論破系」「冷笑系」に支持があることが一種の社会問題として考えられるようになったのはなぜであろうか。まず「論破」「冷笑」ともに、従来望ましいとされてきたコミュニケーション手法に比して、過激で、極端であることを多くの人が不愉快に感じることがあるだろう。例えば「論破系」「冷笑系」の代表的な人物として若い世代に人気の、ひろゆき、こと西村博之は、良識派のメディアや知識人などには評判が悪いという(*3)。これには、私たち人間の脳が、極端な意見には本能的に拒否反応を示してしまうことや、「今どきの若者は…」など、年上世代が若者を批判してしまうという、過去数千年にわたって人類が行ってきた習性が影響しているだろう。

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