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コロナの時代の育児/ 谷崎由依

3月21日(土)
 勤務先の大学の卒業式。産休中だが、体調がよければ行きたいと以前は思っていたし、ゼミ生にもそう伝えていた。でもコロナのために状況が変わった。
 卒業証書授与に関しては、二月半ばから専攻内のグループメールで議論がなされ、規模縮小のための案がいろいろと出ていた。当時わたしは産後一ヵ月で、ニュースなど見る余裕もなかったため、あまりピンと来ていなかったが、「多数決で民意をはかるところではなく、コロナが終息しなければ当然の判断」という同僚の一文に、そんなに深刻な事態なのかと驚いた覚えがある。例年は一学年全員を大教室に集め、ひとりひとりに手渡ししているが、今年はゼミ単位で教室にわかれ、終了後はすみやかに退出、謝恩会なども厳禁ということに結局なっていた。わたしもメッセージを送るに留める。
 電車で二時間の移動や丸一日の外出は、コロナがなくてもちょっときついなと思っていたところだった。産前はできるだろうと思っていても、実際に産んでみると難しく感じることが多い。自分自身の体調だけなら多少無理しても平気だが、赤ちゃんのこととなると、どうしても不安になってしまう。母乳だけで育てているので、出掛けにくいというのもあるだろう。
 とはいえ、半期のあいだ顔を見ていないゼミ生たちに会えなかったのは残念だし寂しかった。いつか、また、どこかで。


4月7日(火)
 可燃ゴミの日。週末のゴミを収集に出す。
 夫の出勤後しばらくして、マンションのスピーカーからアナウンスが入る。「七階で火災が発生しました。落ち着いて避難してください」慌てて子を抱え玄関を出る。すぐにこれでは寒いと引き返し、フリースのおくるみに包み直してから出た。わたし自身はカーディガンすら羽織らず、携帯も持っていない。ぜんぜん落ち着いてなどいない。エレベーターは使わず、階段で降りた。ゴミ捨てのときは完全装備だったのに、今度はマスクもしていなかった。
 マンションの正面玄関前に住人が集まっている。なるべく離れたところに立つ。赤ちゃんを見たひとが、表情を緩ませて話しかけてくれる。近づきすぎないようにして言葉を交わす。消防車がやってきたが、場所がわからないのか通り過ぎていった。続いて消防隊員が到着し、消防車はどこへ行ったかと訊かれた。火事の詳細は不明なまま、部屋に戻ってよいということになった。コロナ禍のこの状況で、災害が起きたらどうしたらいいか。わたしは子を守れるのだろうか。

 夕方、東京都を含む一部地域に緊急事態宣言が出される。
 赤ちゃんを誰がお風呂に入れるか問題の発生。これまで夫の担当だったのだが、自転車で帰ると疲れ果てていて、赤ちゃんを落とすと怖いから、わたしに入れてくれと言う。また帰宅後すぐに体を洗う必要があるが、そのときにわたしが風呂を使っていると困るため、夕方六時半までにその入浴もすませてくれと言う。完全ワンオペになるうえに時間制限付き? 無理無理無理。なら赤ちゃんの風呂は朝にしたい、それならやる、と言うので、わたしに早朝起きろと? 夜中細切れに起こされて寝不足なのに? 無理無理無理。対話は平行線に終わる。


谷崎由依(たにざき・ゆい)
1978年生まれ。小説家、翻訳家、近畿大学文芸学部准教授。2007年「舞い落ちる村」で文學界新人賞、19年『鏡のなかのアジア』(集英社)で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。ほかの著書に『囚われの島』(河出書房新社)、『藁の王』(新潮社)。訳書にジェニファー・イーガン『ならずものがやってくる』、コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』(ともに早川書房)など。20年1月に出産し、夫と子と三人で京都に暮らす。平日ワンオペ育児中。



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