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【Twitterから離れてみる】#1 情報や目にしているものがある時から固定化していた/すんみ(仕事文脈vol.22)

短い文章でわかったような気になる、リツイートやいいね数が多いほど「正しい」発言になる、フィルターバブルやエコーチェンバーで自分の見たい情報だけが流れてくるようになる……SNS、特にTwitterのこの特徴は、論破や冷笑と相性がいいものかもしれない。社会的インフラとしての側面も担いながら、近年は負の側面にも注目が集まるTwitter。その場を自分の意思で離れた人に、理由ややめてみて起こった変化を書いてもらった。

#1 情報や目にしているものが ある時から固定化していた/すんみ

2022年元旦、10年以上使ってきたTwitterをやめることにした。

本格的にTwitterを始めたのは、2011年東日本大震災がきっかけだった。さまざまな情報が錯そうする中、どの媒体よりも手っ取り早く必要な情報に(しかもほぼリアルタイムで)たどりつくことができた。「これが集合知性というものか」と深く感動した記憶がある。

2011年は大学院に入学した年で、研究にも大いに活用させてもらった。研究対象の作家について思っていることや気になることをつぶやくと、同じ興味を持つ人からリプライが飛んでくる。日本全国から(時に海外からも)寄せられる意見や感想を自分なりに深めながら、新しい見方を見つけ、研究に生かすことができた。

そうやって私は、だんだんTwitterのヘビーユーザーになっていった。暇さえあればアプリを開いて、タイムラインに目を通し、つぶやき、気になるコメントに返事をした。実際に会ったことのないフォロワーという名の知人もたくさんできた。

それなのに、いつからTwitterを見るたびに気が重くなってしまったのだろう。

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