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【座談会】「論破」はどこからきてどこへ行くのか 〜世界NO論破〜/前編(仕事文脈vol.22)

「論破と戦う世界のいろんな事例を集めてみたらいいのでは?」そんなアイデアにより、「世界のNO論破」を調べることからはじまった今回の企画。ところが、準備段階として日本の「論破」について掘り下げてみると思った以上に根深いことがわかり……。論破の歴史とさまざまな海外のケースを語る、編集部の宮川、小沼、浪花による座談会です。

「単純化」が論破を作る

小沼:そもそも「論破」ってなんなんだと思い、定義を調べてみると『広辞苑』では「議論して他人の説を破ること。言い負かすこと」とありました。話し合うことよりも勝ち負けに主眼が置かれている言葉なんですね。で、現在その象徴的な人物になっているのがひろゆき。ここ数年で広く聞かれるようになった言葉という印象ですが、社会学者の倉橋耕平さんのインタビュー(*1)によれば、ネットによって新たに生まれたものではなく、「兆しは1980年代末から始まった討論系のテレビ番組」にあるそうです。専門家ではないコメンテーターが議論に参加して、政治家や専門家をたじろがせる構造があったと。

宮川:80年代の討論番組って『朝生(朝まで生テレビ!)』とか? 一時期はすごい流行ったんですよね。それこそ、毎週のようにやっていて。

小沼:『朝生』が87年放送開始で、89年には『ビートたけしのTVタックル』も放送開始していますね。僕は『TVタックル』のほうが記憶に残ってるかな。昔に父親が見ていた記憶があります。小さくて内容を理解できなかったからでもあると思うけど、とにかく出演者みんな声が大きくて、反論する人を勢いで押し切って、それを見ている他の人が呆れて笑う、そしてCMに入る……みたいな印象だけが残っていますね。

宮川:『TVタックル』には田嶋陽子さんも出ていて、特にからかわれたり馬鹿にされたりしていましたね。『朝生』よりも論破っぽいかも? 私は『朝生』は深夜で放送時間も長いし、一応政治のことを議論してた印象なんですよね。ただ、議論を真面目に成熟させるだけじゃなくて、わーっと盛り上がった時に司会が茶々を入れる感じもあった。内容よりもやりとりの面白さを重視する方向に、どこかで変わっちゃったのかな。

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