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通勤の破壊と創造/丹野未雪(仕事文脈vol.22)

 東京の郊外に住み、鉄道で都心に通勤している。週5日、通勤時間は片道1時間。オフピークとはいえぎゅうぎゅうに混雑している車両に乗り、大きなターミナル駅で乗り換えて、会社へ向かう。月曜日から週末にかけ、少しずつ蓄積していく疲労と、帰途あるいは週末のささやかな解放感を得ることでしのいでいる、いたってありふれた生活だ。

緑が多く家賃が安い郊外から、都心部へ働きに出る。都市開発で謳われる「田園都市」を生きてるじゃん、と思う。なけなしの給料でやりくりする、「健康的で文化的な暮らし」。だがその暮らしは通勤ラッシュと抱き合わせだ。田園都市は通勤の過酷さを語らない。

「千葉の物件は安いですよ。都内だったら今の家の1・5倍ぐらいの家賃払わなきゃいけないけど、浮いた家賃分働いてると思って通勤してますよ」。家はどこ、という話題になったとき、若い同僚が言った。同僚の通勤時間は片道1時間半。フルタイムの勤務時間は7・5時間で、1時間の休憩と1時間の残業、これに往復の通勤時間を足せば、半日以上が労働に消えていく。仕事に支障を出さないよう、通勤ラッシュに耐えられるよう、体力を配分しようと思ったら、何かほかのことをする余地はなくなる。

 低賃金長時間労働と、立っているのがやっとの超過密空間通勤は、体力と気力の両方を削ぎ、結果的に「仕事」のみに向かわせていく。暮らしを成り立たせようと体力と時間をやりくりするほど、自分が陥っている問題を根本的に考えたり、行動することから遠ざかっていく。郊外の生活ーー一極化する首都圏への通勤はデモクラシーをゆっくりと破壊していく。

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