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春の相槌/マヒトゥ・ザ・ピーポー

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 ただお金を集めるということだけでいうのであれば、クラウドファンディングの方が良かったのかもしれないと思った。この際、手段など選ばず必死さをアピールできた場所に軍配が上がる、そんな事態の切迫にわたしはちゃんと疲弊しているのをベアーズコンピ(編注:大阪のライブハウス「難波ベアーズ」へのドネーションコンピレーション「日本解放」。マヒトゥ氏の所属バンドGEZANが企画し、自身のレーベル・十三月からリリースした)の告知を終えた今、感じていた。人気投票が可視化されるこのシステムに疑問はあるが、やはり使い方次第で大きな結果を生むこともあるようだ。
 わたしは誰かに分け与えるような慈悲に溢れた人間ではなく、汚れているし、人に迷惑をかけて、愛をもらって生き繋いできた。その与えてもらうものが、人との接触が止まった今、底をつきかけているのを感じていた。もう抜け殻になって、部屋でぼんやりしている。消えかかった陽炎のように情けなくただ揺らめき、時代の波にひたされ、溺れていた。
 GEZANのスタジオ練習も止まり、エネルギーの捌け口を失っている。そのこともきつい。嫌でも鬱でもスタジオでの練習日はあり、そこで鳴らしていること自体が運動で、ストレス発散にもなっていたのだ。
 街の至るところにあった穴蔵から音楽は消えて、その会場はいつもの部屋になった。インスタグラムのライブ配信機能を使って弾き語りをしているミュージシャンはこの時期一気に増えた。皆それぞれが自分の持っている声と向き合い始めたのだな。わたしにとって歌とはなんだろうか。
 SNSから離れた方が心は安全だということを知りながら、この四角の画面に釘付けであることから逃げられない矛盾の中でわたしの目頭は疲れていた。きっと、この自粛の時期、そんな風に目が悪くなってしまう人もたくさんいるだろうな。
 じりじりと静寂が燃える中、わたしは一人ぼっちで、もはや廃棄される直前の鈍い肉だった。


4/15

 コロナは全ての人に平等に感染するとういう言い回しに疑問が生まれる。こんな中でもバイクで、自転車で走り回っているウーバーイーツの兄ちゃんや、電車通勤を続けざるを得ない人と自宅で仕事できる人とではその置かれた状況に違いがある。事実、アメリカで黒人の感染率が高いのは、裕福な白人が外に出られない分を黒人が負担しているからだ。そんな犠牲の上に成り立った#STAY HOMEのタグに違和感を感じる。
 家で家族と過ごす時間が増えて幸せだと言った友人がいたが、他方で家での時間が増えたことによって増加している虐待の問題もある。経済の損害を受けた人とそうでない人とではこの自粛によって訪れる静寂の意味は違う。
 この世界のレイヤーは何層にも分かれていて、フラットなんてものはないことを改めて痛感している。

マヒトゥ・ザ・ピーポー
2009年、バンドGEZANを大阪にて結成。作詞作曲をおこないボーカルとして音楽活動開始。うたを軸にしたソロでの活動の他に、青葉市子とのNUUAMMとして複数枚アルバムを制作。近年では寺尾紗穂のアルバムに参加するなど、コラボレーションも多岐にわたり、映画の劇伴やCM音楽も多く手がける。また音楽以外の分野では国内外のアーティストを自身のレーベル十三月でリリースしたり、ものの価値を再考する野外フェス、全感覚祭を主催。マヒトゥ・ザ・ピーポー名義で、19年に3rd album「不完全なけもの」、4th album「やさしい哺乳類」を連続リリース。同年、初めての小説『銀河で一番静かな革命』を出版。GEZANとしての最新作は、2020年の5th ALBUM「狂KLUE」。


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