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こいのぼりの好きなもの探り10 小休憩、振り返り

   これまで好きなものについて記してきたこのnote。読み返していると、以前にも増して内容が伝わりにくいものになっていると感じました。というか「こいつ伝える気ないな〜」としか思えなくて、noteを閉じました。笑 書いている時はアドレナリンが出ているからか、気持ちにブレーキが効かず、自分の思っていることをただ殴り書いています。好きなものについて書いているのでより一層そうなりやすい。そのおかげでババっと書き終わり、字数は増える一方で、「捻り出さなきゃ」とか「何書こう」とかそういった悩みは顔を見せません。でもこの方法を続けても誰かに向けて文章を書くことの練習にも、自分を客観的に捉える機会にもならない。ピースの又吉さんが「本音を言ったら過剰に伝わることがある。どういう伝え方をすれば、自分の思っている感覚に近く伝えられるかを考えて、言葉を選ぶことが大事。」(不確かな記憶)とどこかの番組でおっしゃっていたのを思い出しました。私はそのチューニング的な努力をもぬるっと避けている。だから時間をおいてある程度客観的な視点を持って読み直した時に、伝えたいことと、伝わっていることにギャップが生まれていたり、自己満足感が万歳になっているような気がするのかな。それは嫌だなと思いました。つまりこれからは丁寧に、自分の感じていることを伝えられるような文章を書く努力をしようと思ったのです。笑

  「好きなもの探り」という面で振り返った時にまず出た感想は、「私、オードリー若林好きすぎるだろ」でした。取り上げたものの多くに対する好きという感情は、「楽しい!好き!」というよりも、「救ってもらった、心の支え、共感、存在してくれてありがとうございます」というもの。私は辛い時に出会ったものに、恩のような絆を感じやすいのかもしれません。あるいは自分に自信が持てない時に、どうやって過ごせば良いのか、どういった振る舞いをすれば良いのか、指針となってくれるものに吸い込まれるようにのめり込んでいくのかも。依存ともいえます。だから誰かの強い意志によって生み出されるエンタメが多いのかな。「踊ること」の様に、自分から能動的に楽しめる、生み出す趣味を増やしていきたいなとも思いました。

 写真は川崎市岡本太郎美術館に行った際のもの。(撮影O Kとのことでした。)若林さんがラジオや書籍で岡本太郎さんの話をするので、以前から気になっていた美術館。友人と散歩がてらに行ってきました。芸術のことには疎く「芸術は爆発だ」しかインプットせずに出向いたのですが、そんな私でも岡本太郎さんの背景やご両親との関係性、生活をじっくりとなぞることができる場所でした。ゆったりとした、その中にも熱が蠢いているような、不思議な空間。その中でも特に、壁に大きな文字で書かれている簡潔で揺るぎのない岡本さんの言葉が刺さってしまい、二人で立ち尽くしていました。友人と刺さってる場所や捉え方が違っていて、受け取り手によって作品の見え方ってこんなにも変わるものなのかと、考え込んだりして。こういう時間も割と好きだな、と思ったこいのぼりでした。

こいのぼり

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