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1. 苦痛は、自分のものでないときにのみ酷いと感じられる/小山内園子

「苦痛は、自分のものでないときにのみ酷(むご)いと感じられる」
고통은 자기 것이 아닐 때에만 끔찍하게 느껴진다

イ・ミンギョン『脱コルセット 到来した想像』第4章「美しさから痛みへ」より

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 まったくの私事である。
 「東京オリンピック2020」開幕目前の7月20日の朝10時。私は自宅玄関の段差15㎝をうまく越えられず、着地に失敗して右足甲の骨の1本を真ん中から折った。 
狭小住宅の我が家は、玄関の面積を最大限取ろうとする工務店の涙ぐましい努力の賜物で、上がり框が斜めになっている。鋭角の三角形、というとわかるだろうか。だから三和土に降りるとき、片足は地に着いていてももう片方は宙に浮く。あの朝私は、せっかくの炎天下だから猫のトイレを干そうと、両手に猫砂でいっぱいの猫トイレを持っていた。足元が見えないまま前に進み、右足だけが宙に浮いた。「まずい」と思った時は遅かった。実は昨年の春にも、同様の着地の失敗で同じ右足の小指を骨折していた。「まずい」と思ったのと「パッツーン」という、どちらかというと小気味いい音が聞こえたのは同時だった。
そこからのことは、実はあまり覚えていない。友人に送ったカカオトークを見ると、病院に行け、救急車を呼べ、音がしたのに病院行かないのはまずい、と何度も説得されている。にもかかわらず私は「もう少し冷やしてから。あとノーブラw」と意味の分からない返答をしている。本当に、実はあまり記憶がない。とにかく苦痛で指が震え、文字を打ち込むのもやっとで、だからこそへらへらと軽い言葉でやりとりし、自分の身に起きたことをなんでもないことだと、せめて軽傷だと思い込もうとしていたのだと思う。

 冒頭の文章は、現在訳者総勢8人で鋭意翻訳中のイ・ミンギョン『脱コルセット 到来した想像(原題)」の抜粋である。この作品で著者は「脱コルセット」という、韓国のフェミニストたちのあいだで現在進行形の運動に虚心坦懐で向き合っている。過去2作品(『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』『失われた賃金を求めて』タバブックス刊)の翻訳にも関わったが、いずれも著者の姿勢、スタンスははっきりしていて、訴えたいメッセージを伝えるために知識と論理が総動員されていた。明快でクリアな展開に舌を巻いた。
今回は違う。本作のイ・ミンギョンはまるで旅人だ。実際に脱コルセットをした女性たちを韓国のさまざまな都市に訪ね歩くプロセスは、「なぜ脱コルセットなのか」という問いにどれだけ多くの答えを見つけられるかの道程である。訳しながら一瞬『銀河鉄道999』の鉄郎が頭をよぎり、いやいや、あれはスタートから機械の体ありきだが、ミンギョンさんのはいわば「機械の体って、何ですか?」ってとこから始まる旅なのだ、と思い直す。

 「苦痛は、自分のものでないときにのみ酷(むご)いと感じられる」
 著者が出会った脱コルセット実践者の1人は語る。それまでハイヒールが当たり前で、だから点滅する青信号の横断歩道を走ることもハナから諦めていたが、脱コルセットをしてスニーカーやスリッポンを履いてから、自分が自分で着飾りにより体を虐待していたと気づいた、と。その言葉を受けて著者は上記のように記す。例えば纏足や、人種差別に絡む偏見のために黒人女性がくせ毛をストレートヘアにする努力は、他者のものであるがゆえに「苦痛」として受け止められる。一方で女性たちのあいだでは、日々の自分たちの痛みへの鈍感化が進む。実はセックスも、出産も、家事労働も、かなりの身体への負担があるにもかかわらず。そしておそらく、その苦痛は解放されてみないと実感できない。だから脱コルセットは、自分の痛みを自分ではっきり感じ取れる体を作ることが目標の一つなのだろうと。

 あの日。友人の必死の説得でなんとか骨折当日に整形外科に受診した。重傷と診断され、全治2か月を言い渡された。帰りのタクシーは女性ドライバーだった。ギブスに松葉づえの私にドライバーさんは同情のまなざしで、さかんに「痛いでしょう、痛いですよね」と声をかけてくれる。冒頭に書いたようなことを、しかし受傷直後に比べれば結構痛みが薄らいでいた私は軽い調子で事細かに説明し、特に「パッツーン」といい音がした、という部分を強調した。本当に、見事な音だった。よくホームラン打った時の擬態語に出てくる、「カッキーン」的な音だったと。
すると彼女はぶんぶん肯いてこう言った。
「それわかるわぁ。実は私も2年前にバイクの事故で複雑骨折してね。そのとき本当に、マンガみたいに<グシャッ>って音がしたんですよ。あんまりはっきりグシャって言うもんだから、笑っちゃって。でもお客さん、痛かったわねえ」
 骨を折ったときに体が出す音が人になんらかの快感を与える類のものなのか、重いケガをすると脳から何か分泌されて多幸感が生まれるのか、詳しいことはもちろんわからない。その後冒頭の一文を訳し、もしかしたらあの日車内にいた女2人は、いずれも自分の苦痛に鈍感になっていただけかもしれないと思う。少なくとも、ブラジャーをしていないからと重傷の骨折を笑っていた私は十分鈍感化が進んでいた。右足にギブスをはめ、リアルコルセットを実感しながら翻訳作業は続いている。

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非現実的なウエストを作り出すコルセット。本書を読むと、女性の涼しい顔が「で、あなたはどうなの?」と問いかけているような気も(原書121ページ)

プロフィール
小山内園子(おさない・そのこ)
1969年生まれ。社会福祉士。延世大学などで韓国語を学ぶ。訳書にイ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』、『失われた賃金を求めて』(すんみと共訳)、カン・ファギル『別の人』など。


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