ゆっくりがいっぱい
「そうだ ぼくは
ゆっくり のんびり おっとりしてる
ぼんやり のそのそ ぐずぐずしてる
でも ばたばたしないで やんわりおちつき
じわっと ゆったり うごかずにいて
じっくり おだやか ふんわり ゆらゆら…
だから そう
ぼくのなかには、〈ゆっくり〉がいっぱい
くつろいで しずかに やすらかに
すごすのが すきなんだ
でも なまけてるんじゃないんだよ」
これは、ナマケモノが主人公のエリック・カール/作 工藤直子/訳の『ゆっくりがいっぱい』という絵本の一節。
「もっと早く出会いたかった」「子どものころに、この絵本があったらよかったのに」と子どもの頃のことをあれこれ思い出し、自分のことを肯定してくれるその優しさあふれる言葉に涙がでた。
私は子どもの頃、ぼんやり のそのそ ぐずぐずしている子だった。自分ではそう思っていなかったが、母によく、「また、ぼけーっとして」「はやくしなさい」と言われていたのだ。
幼い頃、母と妹との散歩中に、母が棘のある木に咲く赤い花を指差して、「あら、おねえちゃんの花だわ」と言ったことがあった。私がうれしくなって、「なんの花?」と聞くと、「ぼけの花だよ」と母が言ったのだ。
とてもがっかりして、しばらく口を利かなかったことを覚えている。
特に「はやくしなさい」は、何度言われたことか。言われるたびに、「ちゃんとやっているのに」と思った。決して、怠けていたわけではなく、精一杯やっていた。でも…
小学校低学年の時は、いつも家を出るのがギリギリで、友達を待たせたり、パンを食べながら登校したこともあった。
小学一年生のある日、私の母だけ、授業参観に来たことがあった。
「なんで、おかあさんだけなの?」と聞くと、「特別、お願いしたの」と言うだけで、他には何も言わなかった。でも、大人になってから、母から聞かされたのは、
「一年生の時、一人だけ授業参観に行ったことがあったでしょ。あれはね。担任の先生から、授業中、ぼーっとしていて、やることが遅すぎるので、一度見に来て下さい」と電話があったの。なにもやっていないのかと心配して、見に行ったら、話はちゃんと聞いているし、遅いけど、みんなと同じことをやろうとしていたから、もう少し様子を見てくださいと言って帰ってきたのよ」ということだった。
先生には、様子を見てくださいと言ったのに、母自身は常にはやくしなさいと言い続けた。
日に何度も「はやくしなさい」と言われ続け、言われるたびに、暗い気持ちになり、反論する気力もなくなった。
「はやくしなさい」は私にとって、悪魔の言葉だった。この悪魔の言葉は、私が家をでる高校卒業まで、続いた。
一人で生活するようになって、誰にも「はやくしなさい」「〇〇しなさい」と言われなくなり、とても快適だった。なにも言われなくても、遅刻することも、人を待たせることもなかった。一体、なんだったのか?特にはやくしようと頑張った覚えはない。そのときは、ただ悪魔の言葉がなくなっただけのような気がしていた。
大人になって、一人暮らしをしても、身の回りのことでなにも困ることがなかったのは、言うだけで、全く手を貸さなかった母のおかげかもしれないと思うようになった。きっと、母は"手を貸さずに、自分でやらせる"という見守り方をしてくれていたのかもしれない。でも、朝からはやくしなさいの悪魔の言葉のオンパレードは、幼い私にとって、どれだけ苦痛だったことか。
母は考えた事があるのだろうか?
自分が母親になって、子どもたちには、「はやくしなさい」だけは絶対に言わないと決めていた。それでも、子どもたちは自分で起きて、自分で支度して、大きくなってきた。もしかしたら、ほかの家庭よりもいろんなことに時間がかかっていたり、のんびりやっているのかもしれない。
でも、それが私たちのやり方で、ゆっくり のんびり おっとりもいいかなあと思っている。
そして、「はやくしなさい」と言わなくても、自分でいろいろできるようになる事を私は知っている。
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