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新卒で稲敷市地域おこし協力隊になったら、なろう系の主人公みたいになった話

3月21日に行われた稲敷市地域おこし協力隊活動報告会での発表内容を加筆、再構成したものです。


とにかく、今年度は様々な縁に恵まれ、ひたすらに運がよかった。感謝することしかない。そんな活動報告になりました。

活動概要

活動テーマ:「江戸崎かぼちゃでの新規就農を目指した農業研修」

江戸崎南瓜部会の部会員さんのもとで農業研修を行いながら、江戸崎かぼちゃを中心とした稲敷市の魅力をPRする活動も行うといった約束でした。

着任までの経緯

東京都練馬区出身で一般大学を卒業。農業経験ゼロ。
大学在学中に農業を志し、就農先の検討中に稲敷市の地域おこし協力隊を利用した江戸崎かぼちゃの研修制度を知る。「おためし地域おこし協力隊制度」を利用して2泊3日の体験を行った。収穫作業を見学し、取れたかぼちゃを食べてみて感動したことが、就農先をここにした直接のきっかけだ。また、市役所、農協、農業普及センター、協力隊の先輩、と出会ったすべての人が温厚篤実な感じで、純粋に応援してもらえる予感を得た。
ちなみにこの2泊3日での体験を受け入れてくださった方に、実際に着任してからも面倒を見てもらっている。農業のことだけでなく、初めて田舎で一人暮らしをするセットアップをすべてしていただいた。まさに師匠であり親代わりだと思っている。

今年度の目標

農業面

農業面での目標は「R6シーズンから自分で畑を借りて作付けを開始すること」とした。それに向けた拠点の獲得、環境整備と、自分自身でかぼちゃを管理して、収穫、出荷できるまでの栽培技術の習得を目指した。

PR活動

PR活動の目標は「江戸崎かぼちゃを広く知ってもらうための窓口となる情報発信をすること」とした。インターネット上にある江戸崎かぼちゃの情報があまりに少ないことに危機感を抱いており、SNS等を用いて、若い世代にもリーチしたいと考えた。

活動報告

農業研修

江戸崎南瓜部会では、かぼちゃを出荷時期によって、5月から7月にかけての「春作」と11月から12月にかけての「抑制」とに大別して呼んでいる。それぞれで栽培方法も異なる。

「春作」は1月ころから定植前の準備が始まる。4月からの着任予定であったが、市役所と農協と調整して1月からフライングで研修を開始させてもらった。ただ、家も車もないので、先述した師匠のもとに下宿し、車も貸していただいた。普通ではありえないことだ。ここから幸運の連鎖が始まった。
この着任前の期間でしか経験できない作業も多く、この時期から研修を始められて本当に良かった。まず、鍬の使い方から教わるようだった。
4月からは市内のアパートを賃貸し、軽トラを購入し、研修に通った。

春作の研修では、とにかくかぼちゃにたくさん触れることを大事にし、毎日欠かさず圃場に行くようにした。特に、かぼちゃの選果作業は江戸崎かぼちゃのブランド力の源泉であるので、熟度や等級を見定める目を養うことを大事にした。当然、収穫に至るまでの管理も重要なのだが、生育のコントロール法の細かいところを理解するまでには達しなかったと思う。おそらく一生かけて究めていくところだと思う。最低限、一通りの「作業を実行すること」はできるようになったと思っている。
また、師匠からは、ほかの家のやり方も参考にするといいという助言をいただき、さらに数軒、ほかの部会員さんを紹介していただいた。いろいろな人からいろいろな話を聞くことができてとても参考になったし、部会になじむことができたと思う。受け入れてくださった部会員諸氏とそこを紹介してくださった師匠に感謝しなければならない。

出荷が始まると荷捌きを手伝うようになって、さらに多くの人との知己を得た。そこから元農家の空き家を紹介していただいたり、栽培のちょっとしたコツなどを教わったりできた。

「抑制」については取り組んでいない生産者も多いので、研修先は師匠のところのみに絞った。また、なんだかんだ師匠とは関係がかなり深くなっていき、一番居心地がよくなったということもある。ただし、このころあばらを骨折した関係で研修に行けずに自宅で安静にするしかない期間もあった。

また、南瓜部会青年部の活動として、市内のテーマパークであるこもれび森のイバライド内の畑で収穫体験を行うための栽培も実施していて、それに同行させてもらった。収穫体験イベントは、施設のトラブルで中止になってしまったが、青年部みんなでの活動は楽しかったし、勉強にもなった。

普及センターからのすすめで、座学の講座にも参加した。経営や土づくり、機械の安全操作など、畑ではなかなか教わることのできない内容を教わった。特に経営計画を作成できたことで今後の行動指針が明確化されたことは大きかった。さらに、受講生の輪で新規就農を目指す仲間ができた。

環境構築

さて、自分で作付を開始するためには、圃場、作業場、倉庫、機械の確保が必要だ。拠点整備が必要だった。4月からはアパートを借りていたのだが、そこに機械を置くこともできないので、機械を購入することもできない状況だった。まずは倉庫となる物件探しから始めた。研修の合間に自転車や車で地図を片手にいろいろなところを回ったり、6月くらいからは集荷場であった人に空き家情報を聞いたりした。その中で、高齢で部会を引退される方から、畑を使わせていただける話をいただいた。その方にも空き家情報を相談した。畑の場所が仮決定したことで拠点を構えたいエリアも絞られた。市の広報誌を見て使用していない倉庫を貸していただける話もいただいたが、畑から離れていたので断念した。

そんな中、7月下旬のある日、自転車で徘徊して空き家を見つけた。師匠の住んでいる地区だったので持ち主を知らないか訊いてみた。なんと、師匠が持ち主を知っていた。電話をかけていただいたが、結局使わせてもらうことはできないという話だった。8月中には拠点を見つけないと準備が間に合わず次シーズンの作付はできないので焦っていた。その旨を師匠に伝えると、師匠のご親友の造園屋さんにも話をしてくださった。すると、たまたまその日にいる現場の隣の、使っていない古民家を持て余している人とお茶しているところだったのだ。その場でその古民家を見学させてもらう話が決まり、師匠の車でその現場に急行した。ちなみに、その場所は南瓜部会の部会長の家のすぐそばだったということも安心材料である。外観は古いがきれいにしてあったが、中はかなり掃除や改装が必要かなと覚悟して中を見学させてもらうと、全然そのまま住める状態でびっくりした。なんなら新しいエアコンまでついていたしライフラインもプロパンガスのボンベを設置するだけで開通する状況だった。欠点といえば多少の獣臭と床の軋みがあるだけで、風通しも良く、穏やかなこもれびが心地よい素晴らしい家だと感じた。トイレが水洗式なのも地味に嬉しかった。もっと言えば、元々住んでいたアパートも床の軋みはあったし、排水溝の掃除も必要で、周囲の人家ともなんとなく離れていて危ないと感じていたので、捉え方によってはかえって条件は良くなったともいえる。さらに家賃は不動産屋を通して借りたアパートと比べると半額以下おちう話にまとまった。大家さんもえびす様と弁財天のような人相で、人の良さがにじみ出ているような方だった。話をしてみると、「空き家にしておいてもハクビシンの巣になってしまうだけだから、住んでもらうだけでかえって助かる」とまで言ってもらえた。即断即決でそこへの引越しを決めた。師匠の車での帰り道、あまりの僥倖に思わず涙ぐんでいた。人生初めての嬉し泣きだった。

なぜ空き家だった古民家(築100年超)が、こんなに状態良く保存されていたかというと、5年ほど前まで大家さん(70代)の親が亡くなるまではその方が暮らしていて、さらに古民家暮らしを希望する横浜出身の老夫婦に2年前まで貸していたのだ。必要な修繕、改修はその老夫婦が行ったようで、新しいエアコンもその老夫婦が置いていったものらしい。その老夫婦は結局田舎の暮らしが困難になって地元に戻ったようだった。1年も空き家にしておくと天井裏にハクビシンなどが入り込んで住処にしてしまっていたようで、入居までに業者を呼んで駆除していただけることになった。本当に家財を運び、ネット回線を引いたくらいで、本当にほとんど何も手を加えずに住み着いている。

肝心の作業場・倉庫だが、その空き家の敷地内に畑があり、そこにビニールハウスを建てても良いということになった。そのビニールハウスを物置兼作業場として活用している。畑には栗の木がたくさん植わっていたが、それも伐根して畑として使ってよいということになった。紹介元が造園屋さんなので、伐根作業も依頼できた。ついでに古民家の前の雑木も抜いてもらってそこが駐車スペースになった。そこではこもれびの中でのバーベキューなんかもできてとても快適な空間である。まさに「拠点」が一気に完成した。

ここまで決まって作付をする見通しが立ったので、引退される部会員さんの畑を借りる約束を正式に結んだ。そこで機械の入手を進め始めた。

住み始めた古民家は、内部はよく整備してあったが、屋根のトタンが錆びていた。また、獣が出入りするような隙間が天井裏にあった。これを大家さんの知り合いの大工に頼んで、ペンキ塗り直しと天井裏の穴埋めをしてもらうことになった。ペンキ塗りの日にはその大工さんの仲間で農家をされている方が来て、消毒用の動力噴霧器を安く譲っていただける話を賜った。その方はもとは農業機械の修理を仕事にしていた方なので、機械は少し古かったが整備が隅々まで行き届いていて状態が良かった。また、もしもの時にもその方に相談できるのはありがたい。またまたラッキーである。
天井裏の穴埋め作業の際は、私自身もただ黙ってみているのは忍びなく、私も天井裏に上がって作業を手伝った。しかし、慣れないことなので、天井の梁から天井板に落下してあばらを強打し、骨折した。これで抑制栽培の研修が数週間できなかったが、作業が比較的少ない時期だったのが不幸中の幸いだった。もっと言えば落ち方が悪ければ命を落としていた可能性すらあるのであばらの1本で済んだのは幸運だったかもしれない。慣れないことには衝動的に首を突っ込むべきでないという反省にはなった。
譲っていただいた動力噴霧器は自走式でないので軽トラに積むのが難しい。そこで、大工さんに軽トラと同じ高さの台を作ってもらって、そこに保管することをご提案いただいた。そこはさすが大工さんなので、寸法も完璧なピカピカの台を仕上げてくださった。ケガしてかわいそうだからとお代は受け取ってくれなかった。

かぼちゃの洗浄機も数年前にカボチャをやめてネギに転作した方を普及センター経由で紹介していただき、その方から安く譲っていただけた。大家さんの家に届く新聞の広告で農業機械の中古処分市の開催情報を知ることができて、小型耕耘機を入手できた。

あとはトラクターが必要だが、大きな買い物になるので予算的に断念。師匠に作業代をお支払いして作業をお願いしている。借りた畑がたまたま師匠のご自宅の斜向かいだったこともあり、依頼しやすい人間関係を構築できている師匠に頼むようになったことはありがたいことだった。

物件探しや中古の買い物はタイミングだとはよく言うがこうもタイミングよくいろいろが揃ったものだとつくづく感じる。

自宅前の畑は、数十年も放置されていたため土壌はかなり劣化していて痩せているどころか大雨が降ると田んぼのようになってしまう。いわゆる水はけの悪い土地だ。山の中腹にある土地に畑を作ろうとして表土をごっそり削っていったのでいわゆる畑にするような土は持ち出されていて、岩石のような感じの硬い土が残った場所だと聞いた。そのことに気づいたのは木をすべて抜いてまっさらになった畑に二輪駆動の古いトラクターで入って抜け出せなくなってからのことだった。大雨が降ってひどくぬかるんだことがあったが、そこから10日も待ったのに水が抜けなかった。木を抜いた跡の穴に水がよく溜まるので局所的に排水が悪いのだが、総合的にも水はけの悪い土地であることは確かだ。なのでそこで翌年からかぼちゃを作ることは無理だと判断し、ゆっくり土壌改良に取り組むことにした。手始めに、畑の周囲に溝を掘ってそこに水が流れるようにする明渠という方法を普及センターの土壌改良講座で教わった。大家さんの飲み友達でユンボを持っている方とも日常的に接するようになっていたので、それを貸していただける話になった。それをできないながら見様見真似で動かしながらちまちま掘っていく計画を立てた。しかし、そのユンボも古いうえにしばらく使っていなかったのか、様々な箇所が不調で、素人が扱うと事故につながるということで、またまた大家さんの飲み友達の建材屋の会長がやってくれることになった。さすがプロなのですぐに明渠工事が完了してしまった。その建材屋の会長からは、耕耘機などを荷台に乗せる梯子まで譲ってもらって、大変感謝している。
土壌改良は一朝一夕には達成できないので、様々な手を打ってじっくり取り組んでいこうと考えている。試行錯誤を繰り返しながら畑づくり、野菜づくりの小さな試験場として活用していけたらと妄想している。

PR活動

活動を始めたころは、SNSなどを用いたPR活動をメインに考えていたが、他人の成果を我が物顔で投稿することに気が引けてしまい、SNSの投稿に消極的になってしまった。そのことは自分の力で成し遂げたことが少ないことの裏返しでもあるのだと思う。
一方で、リアルイベントで広報活動する機会はたびたび与えていただいた。

4月に開催された、「ご当地キャラ成田詣」というゆるキャラのイベントで各地のPRブースが設置され、稲敷市のブースで江戸崎かぼちゃの宣伝をしてもいいことになった。そこで、自作のビラを作成し、それを配布するということをさせてもらった。そのビラは5月、6月に開催された、協力隊の先輩のイベントである、イナシキライド休憩所でも配布することができた。

JA稲敷新利根直売所では毎月特売日が設けられる。キッチンカーが多数出店し、毎月の旬のものが特売価格で購入できるという内容だ。6月と11月には江戸崎かぼちゃが目玉商品として取り上げられるのだが、江戸崎かぼちゃの煮物の試食販売や江戸崎かぼちゃ大使のAyaka Rosy Muto氏と生産者とのステージトークというイベントが企画された。そこに2度とも登壇させていただいた。

PRという意味では稲敷市のゆるキャラである「稲敷いなのすけ」の人気はかなりのもので、4月のゆるキャラのイベントでも人気を博していた。そんないなのすけくんを農協のイベントである6月と11月の特売日に登場させることにも成功した。ポジション的に市と農協のパイプ役としての役割も果たせた。

本来ならこもれび森のイバライドでの収穫体験や県民の日に設置される自治体ブースでの広報活動にも参加予定だったが、施設のトラブルで中止となったことは残念だった。

まとめ

さまざまな縁に恵まれ、師匠、大家さんはじめ多くの人の力を借りることで、令和6年3月現在、自分で作付を開始している。つまり、当初の目標はどうにか達成できたことになる。とにかくこの状況のすべてに感謝を忘れず、どうにか出荷を全うすることが来年度の目標となると考えている。また、自分で作付しているみずみずしい体験をインターネット上にコンテンツ化していきたい。農業のこと、かぼちゃのこと、江戸崎地域のこと、いろいろなことを学んで、それを発信するようなこともしていきたい。江戸崎かぼちゃが地元でもっと愛されて、もっと広く知られるように努力したいと考えている。
胸を張って自分の力で成し遂げたと言えることをひとつづつ増やしていきます。




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