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その熱はあとからくる

沁みたわー…痛いほどに沁みてしまったわー…
この漫画『メタモルフォーゼの縁側』
もったいない気持ちはあったのに、そうめんのように一息で読み切ってしまった(全5巻)

読んでいる時に何度も泣きそうになり、
まさかバスのなかで思い返して涙をこぼすはめになるとはさすがに大分想定外だったなあ…
マスクしてたし座ってたから誰にも見られなかったとはおもうけど、見られてもあくびかなんかだとおもってもらえる気はするけど、それにしてもマスクのしたで涙のしずくはコロコロいつまでも残るんだよな…


夫に先立たれ、一人娘は海外に嫁ぎ、古い日本家屋で習字教室を開きながら細々とひとりで暮らす老女と、本屋でバイトする控えめに言っても地味めな女子高生が、あるBL漫画を通じて親しくなる―…そんな物語。

地味なのか派手なのか判断しにくい状況ではあるが、コメディとかギャグテイストなんだろうと想像していたら、ほのぼのだけどコメディどころの騒ぎじゃなかった。
ヒロインふたりだけでなく、彼女たちを取り巻く全ての人たちに人生を感じる素晴らしい作品だった。

毎日って普通に生きてるだけでそれなりにドラマチックで素敵だし、価値があるし、好きなものを一緒に喜べる仲間がいることはかけがえのないものだし、自分の作ったものが誰かに届いて、あまつさえ愛してもらえる奇跡にいたっては、もはや筆舌に尽くしがたい。

にもかかわらず、この物語はそれを最上級の形で、とても素朴に、素直に教えてくれている。
というよりも、わたしにとっては思い出させてくれるものだった。

高校生のとき、「進路」を考えるのはとても面倒くさくて、疲れるものだったし(今にしておもうと、もっとちゃんと悩んどけばよかったともおもうけれども)
学生時代の、なんの損得も契約もなしにつきあえる「友達」って、マジで超貴重だし、
やりたくてやりたくて、やり方なんかよくわからないままにできることから始めて、最初は楽しく着手したはいいけど、おもったよりずっと難しくて嫌になって、もだもだして、それでもなんやかんやあって完成させたときの達成感とか、自分で完成させたものを誰かが買ってくれたときの感動とか…

やばい、なんど噛みしても泣ける…

素敵だなぁと、似たようなことが自分にもあったなあとしみじみ感じ入るのはもちろんのこと、
その大事な基本の部分を見失ってカラカラに渇ききって、すっかり狭量な人間に落ちぶれてしまっていた自分に気付いて切なくってもしまう。

そうだよな…本当は「好き」ってだけでいいんだよな…
なのに、なんだって「うまくやろう」「やらなきゃ」なんておもってしまうのだろう?
あまつさえ周囲にまで求めてしまうのだろう?
いったいいつから自分はそんな高慢な人間になってしまったのだろう?

これが汚れちまった哀しみというものなのかしら…

好きなこと、それに関わることを仕事にすると、楽しいし嬉しい分、どうしてもそれだけではどうしようもならないことがたくさんあってしんどくなる。(そのしんどさの原因はだいたい締め切りによってもたらされ、仕事には締め切りが確実に存在するのだ)
「やらなきゃいけないこと」に忙殺され続けていると、あっという間に心がミイラに乾涸びてしまうのに。

でも、好きだからこそ手を抜きたくないし、もっと上手く早くやりたいともおもうわけで…
何度も何度もその波のなかで足掻き続けていくのがオトナになってしまった今の自分の好きへの向き合い方なのかもしれない。
(好きでい続けるのって結構カロリーかかるし、なにも気にせずただただ好きでい続けられるのはきっと才能のひとつなのだ)

その熱はあとから届く。
忘れた頃に、思い出すように。
荒波に冷え切って凍り付いたココロがじわじわと溶け出して、また改めて動き出すまでをそっと待っていてくれる。

なにか大事なものを見失いそうなとき、何度でも手を伸ばしたくなる灯台のような本にであってしまった。きっと一生大事にする。

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