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頭のネジが何本か飛んでいった感覚について

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つい最近のことなのだけれど、久しぶりにものすごくネガティブな感情になったというのか、簡単に言うとものすごいイライラして、まわりが見ても多分わかるくらいに怒っている感じになった。

できごとはそんな大したことなかったのだろうけれど、自分でもよくわからないくらいにイライラすると同時に、自分の心にどんよりとした雲がどんどんと広がっていくのを感じられたし、ものすごいモヤモヤしていた。

そして家に戻り、奥さんとなんやかんやと話して(奥さんとケンカしたわけではない)、思いつくままに感情のままに話をして、さらに猫にも話しかけてちょっとゴロンと横になって目をつむった。

そしてパッと目をあけたら、もうさっきまで心にあった、どんよりとした雲やモヤモヤとした気持ちは、どこかにいっていた。

その代わりに何かスイッチが入ったと言うのか、なんだかよくわからないけれど突き抜けた感覚、さっきまでどんよりと重たい雲でいっぱいだった空が、いきなり雲ひとつない、カラッとした天気に変わったような、そんな不思議な感覚になった。

なんと言うのだろう、イライラもモヤモヤの感情も全くなくて、むしろ笑顔になってくるというのか、「OK、OK!」みたいな感じで、変にニコニコしている自分に気づいた。

そんな様子を見て奥さんはいよいよ頭がおかしくなったのかと思ったのかもしれないし、僕も自分で自分を「頭のネジが何本か飛んでいったなこいつは」というふうに、客観的にみれるくらいに冷静だった。

とはいえ、自分でもこの感覚は初めてで、うまく言い表せないのだけれど、おそらく「スパッとあきらめた」という言葉が近いというのか、基本的に自分にもまわりにも期待はしていないのだけれど、それでもどこかでまわりの人間の態度なり言動なり行動に影響を受けていたのだと思う。

それがいよいよ行くところまで行き着いたというのか、もう深い深い、海の底にたどりついてしまった感覚、それはちょっとした絶望にも近い感覚なのだけれど、そこで不思議と「もう、いいや」といった感覚になった。

それは「あきらめた」とも言えるし、「手放した」とも言えるのかもしれない。

何に対してあきらめたのか、何を手放したのか、僕にもはっきりとはわからない。

けれども、何かしらのスイッチが自分に入ったことは間違いなくて、なんというか、行くところまで行ってようやく入るスイッチだったのか、この感覚は初めてで、この感じを文章にもしておこうと思った。

この「頭のネジが飛んでいった感覚」というのか、これまで神経質になっていたこと、というのか悩みの種になっていたようなことが、ほとんど吹っ飛んでいったというのか、「もうどうでもいいや」という気持ちになった途端に、なんだか自分の自由度がもっと増えたように感じた。

割と自由に生きているつもりだったけれど、もっと自分を解放していい、自分を出していいというのか、自分の行く手を阻むものは実は自分でつくりだしていたんだということに気づいた。

なので、今とてもとても心が軽ーくて、自由で制限がない感じというのか、不思議と笑顔になるような感覚でいる。

これが、何か次のステップに入ったのか、それともただおかしくなったのかはよくわからないけれど、この解放感のままにどれだけ行けるか進んでいきたい。


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