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「便利と引き換えにしたもの」について
(※今日の内容を音声で楽しみたい方はコチラからどうぞ(^^)↓)
友だちの茅葺き屋根の古民家に泊まらせていただいた話をちょっと前にも書いたけれど、その時の経験がものすごくて、僕のこれからの人生を、大きく変えるんじゃないかと思っている。
普段の僕の生活は、いわゆる一般的な住宅といえばいいのか、平成のころに建てられた家に住んでいて、電気もガスも水道もある。
冷房もエアコンがあるし、暖房はコタツとストーブを使っていて、電子レンジもあるし、冷蔵庫もあるし炊飯器もあるし、トースターも、電気ケトルもある。
蛇口からはいつだって水が出るし、ガスコンロですぐにお湯が沸かせるし、暗くなったらスイッチを押せば電気がつくし、とても明るい。
そういう便利さが日常的になっている自分の生活というのは、改めて考えるとものすごく恵まれているなあと思うし、ありがたいし、あって普通ではないなあと感じている。
特に今回、友だちの古民家での生活を、ちょっとではあるけれど体験させていただくことで、そういうことを強く感じたし、同時にそうやってお金を払って便利を手に入れることで引き換えにしたものも、たくさんあるんだなということにも気づいた。
友だちの家には電気はきているけれど、水は山からの水をひいていて、ガスコンロは見かけなかったから、何かお湯を沸かすとかご飯をつくるとなると、囲炉裏の火をおこす、あるいは外で七輪で火をおこしていた。
僕が見た限りだと、電気はほぼ照明、しかも普段から僕らが使っているような蛍光灯ではなくて、暖色のほのかな明かりに使っているくらいだった。
水は山からひいているから時折、落ち葉とかが水の流れるところにたまっていないか、チェックしたりしないといけないと教えてもらった。
あと僕もちょっとお手伝いさせていただいたけれど、ご飯をつくるのも、まず火おこしから始まった。
なので家のまわりにある、杉の枯れ葉とか小枝とか燃料になるものを集めたり、あるいは炭を使って七輪と簡易的なカマドみたいなものに、それぞれ火をおこしていた。
前日の雨で、枯れ葉も枝もまあまあ湿っていて、なかなか火が落ち着くまでには時間がかかった。
とはいえ僕としては、その火をおこす時間がとても楽しかったし、こういうことは普段の生活ではまず経験できないことだなと感じた。
なんだろう、普段の僕の生活から比べると、なんでもかんでも揃っているわけではないし、スイッチひとつでいかないことも多い。
それは現代的な「便利」な生活からすれば「不便」とも言えるかもしれないけれど、僕としては友だちの古民家での生活を体験させていただいて、その「便利」な生活と「生活を自分でつくる楽しさ」みたいなものを、引き換えにしているんじゃないかと思った。
なんだろう、どっちがいいとかよくないということではなくて、どちらも選べるというのか自分が心地よい、楽しいという生活を自分で選んでいけるのだろうし、それこそ世間の「これが普通」も気にすることなんて、全くないんだなと改めて思った。
もちろん、友だちの古民家での生活をそっくりそのまま真似することはできないかもしれないけれど、今の生活に何かしら取り入れることはできるように感じたし、そうやって便利と引き換えにしたものをちょっとずつ取り戻していきたい。
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