細切れにされたタイム・スケープ :YouTubeのタイムスタンプを求めるわたしたち

こんにちは。ぺりかんです。
今日は、これみつけさんの印象的なイラストをお借りしました。個人的にすごく好きです(個人的ではない好きなどあるのか?)
今日は、YouTubeの動画にある「タイムスタンプ」をとりあげて、私たちの特定の時間感覚について考えてみたいと思います。なおタイトルはわかる人にはわかると思いますが、アナ・ツィンの論文「根こそぎにされたランドスケープ(と、マツタケ採集という穏やかな手仕事)」『現代思想』(2017年)をもじっています。

「いつゴールシーンを見ることができるのかわからない」という不安?

YouTubeのコメント欄や動画投稿者が各動画ごとに作成する「概要欄」をみてみれば、青色で表示される「タイムスタンプ」を簡単に見つけることができるだろう。タイムスタンプを押せば、そのシーンまで動画をスキップしたり、なんどもその瞬間にもどったりすることができる。

「ゴールシーン 11:02 11:02 11:02」というふうに、他者がそのタイムスタンプを押しやすくするためにわざわざ同じスタンプを2つ、3つと配置してあるものも少なくない。「歌ってみた」や複数の歌を歌う「歌枠」などでは、曲のサビや個人的に好きな箇所が示されたり、「セトリ(セットリスト=歌った曲一覧)」をタイムスタンプとともに載せるコメントもあったりする。ほかにも、「買ってよかったもの〇選」形動画では、買ってよかったものをタイムスタンプで瞬時に確認できたりする。チャプターのようだ。
タイムスタンプは、多くの人にすでに馴染み深いものとなっているだろう。

サッカーのダイジェスト動画を私はよく見る。ちなみに、サッカーのダイジェスト動画には大きく分けて3種類あると思っている。第1に、その試合全体の要所をすべて詰め込んだものだ。ゴールシーンはもちろんのこと、その試合中のシュートやファインプレー、試合の局面を変えたワンプレーなど、その試合の見どころを全体的に把握することができる。動画時間も5分から10分以上のものが多い。

第2に、特定の選手を軸にしてハイライトを編集した動画がある。これは試合全体を見通すというよりも、海外で活躍する日本人選手や有名・人気選手のプレーに焦点をあてており、その個人のタッチ集が集められている。なお、多くの場合はタッチ集と、試合のゴールシーンや大きなファウル等の組み合わせで構成されている。この形式も、おおむね5分以上の動画だ。

最後に、ゴールシーンや名場面のみを切り抜いた動画がある。このタイプの動画では、試合を決定づけたゴールや、後世に語り継がれるようなファインゴールなどを見ることができる。1つのゴールシーンについて、その起点となったディフェンスやパス、ドリブル、スルーパスも含めてみることができる。この形式は、1分から2分程度の動画となっている。

もう少しだけ話をわき道にそらせば、この3つ目の形式には、さらにその構成において特徴がある。基本的には以下のような流れで映像が流れる。

①起点となったディフェンスやパス、ドリブル、スルーパスを含む、ゴールシーン。通常速度の動画であり、ゴールを決めた後のゴールパフォーマンスや相手チーム選手のリアクションなども映されたりする。

②その後、別角度のカメラから、ゴールシーンを撮影した動画に切り替わる。ここでは起点となったプレーは省略され、ゴール直前のスルーパスやドリブル、シュートシーンから開始される。なお、これも通常速度だ。

③最後に、カメラの角度は問わないが、スローモーションでシュートシーンやゴールめがけて弧を描くサッカーボールを追いかけた映像が流れたりする。シュートを打つタイミングで選手がどこを見て、どんな表情をしているのかがわかったり、「あ、ディフェンスもあと少し足を出せていたら止められていたんだな」と、一瞬のシーンについてより詳細な情報を得ることができたりする。

数十秒の時間感覚

定額料金を支払って試合を90分すべて視聴している人を除いて、わたしたちの多くは上のようなかたちで「編集された」試合を視聴し、経験している。90分を超えるサッカーの試合は、おおよそ10分前後、もしくは数十秒の時間感覚において経験されているということだ。ハイライト動画だけを見てその試合を観た気にもなってしまうことは、正直ある。なお時折、その試合全体の構造や各チームの戦略を詳細に分析するYouTubeチャンネルもあるので、そちらも併せて視聴したりする。そういった動画もせいぜい10分から20分ほどの時間をもってその試合を「総括」するので、その試合を「観た気になる」には全部合わせても30分かからない。

そもそも、ダイジェスト動画は90分の試合を10分程度に圧縮したものである。それだけでもかなりの圧縮度合いであるが、さらにそこにタイムスタンプである。どうやら10分も「ゴールシーンまで待ってられない」自分がいるようだ。こう言い換えることもできるだろう。この10分の動画のなかで「いつゴールシーンを見ることができるのかわからない」という不安や不満が、自分のなかにはあるのかもしれない、と。

二重に編集された時間とセンス

試合全体のダイジェスト動画のコメント欄を見ていると、時折、ゴールシーンのタイムスタンプを示したコメントに対して「有能」「助かる」とコメントしている人がいることに気づく。これはサッカーやスポーツのダイジェスト動画に限らず、Youtubeの多くの動画で散見される現象である。ぼくはこれが非常に興味深いと思う(と同時に、自分も無意識のうちにコメント欄をスクロールして、タイムスタンプを探してしまっていることがしばしばあるので、やっぱり興味深い)。

既に編集された動画を、タイムスタンプをつうじてさらに圧縮してゆく視聴の仕方は、いわば異なる主体による「二重の編集」行為だともいえる。動画は動画作成/投稿主によって編集され公開されたあとは、視聴者/コメント投稿者が打ち込むタイムスタンプによって細切れにされてゆく。動画によっては、あるいは視聴者によっては、動画を頭から通して観るのではなくタイムスタンプだけを辿って動画を視聴する者もいるかもしれない。あるいは、一度初めから最後まで視聴した後にコメント欄を開き、他の視聴者のタイムスタンプを辿って2回目の視聴をする者もいるかもしれない(「○○さんのこの発言、すごく共感できる→18:33」)。

動画編集はある意味で、受け手に対するメッセージを用意する行為だ。このシーンは見せず、あのシーンは長めに見せよう。それによってここでは感動してもらおう。・・・テレビのドキュメンタリーやバラエティはこれ以上なく「露骨」に、わたしたちに特定の受容の仕方を提案(強制)してくる。「はい、ここで泣いてください」と言わんばかりに、悲しい場面で悲しい音楽が流され、「はい、ここで笑ってね」と言わんばかりに効果音が挿入され、「はい、この発言、「エモい」でしょ?」と言わんばかりに、インタビューやコメントの特定の発言が効果付きテロップ(字幕)に表示される。このシーンを入れたら視聴者に悪い印象を持たれそうだと、特定のシーンがカットされることもある。つまり編集には作者の意図があり、メッセージがあり、それによって視聴者の受容の仕方をあらかじめ決定しようとする。わたしたちが動画を受容し、それによって何かを感じること=「センス」は、すでに準備されているといえよう(論旨とは異なるが、そのこと自体に自覚的であり、批判的であることは言うまでもなく大切だ)。

こうした編集論についてはまた別の機会に書きたいと思うが、ひとまず確認しておきたいのは、そもそもYoutubeなどの「編集された動画」を視聴する段階で、わたしたちのセンスが多かれ少なかれ、編集の影響を免れないということである。そして、そうした1次的な編集にさらなる編集(2次的編集)を加えるタイムスタンプによって、さらにわたしたちの視聴経験は変化にさらされる。動画の時間感覚は90分から10分へ、さらに数秒へと細切れになる。動画の感想(センス)は動画主の意図から離れ、個々のコメントに委ねられてゆく。

これを「作者の死」と呼ぶつもりはないが、しかし2次創作といえるほど、動画のコメント欄はオリジナルから分離していない。なぜならコメント欄は、あくまで動画の機構の「内部」に存在するものである。だが動画自体を細切れにし、センスを多元化していくことで、コメント欄は動画そのものの価値を変化させていくことも事実である。その行為の蓄積が、わたしたちの時間感覚を、そして視聴感覚を変化させている機制については、名前を用意する必要があるだろう(論文を書きたいくらい興味深いテーマだ。…と思う段階で、たいてい、調べたら論文はすでに書かれている。探してみたい)

Youtubeプレミアムが一定のニーズを満たしていることを踏まえれば、もはやわたしたちは5~6秒の広告すら我慢できなくなっているかもしれない。90分などもってのほかだ。映画もレビューだけ見て「観た気になっている」のだろうか。だが、たとえば動画広告へのイライラは、それがYoutubeで動画を視聴している間だけの時間感覚であるということが興味深い。信号待ちやエレベーターを待つ時間は動画広告よりもずっと長いのだが、動画広告とどちらがイライラするかと言われればどうだろうか(広告の音楽や映像が不愉快な場合や、何度も見た広告を繰り返しみることがつらいという可能性もあるが)。

今日はとくに話のストーリーを組まずに書いてしまっているので、いつにもまして話がまとまらないが、Youtubeの動画におけるわたしたちの時間感覚とセンスの問題については引き続き考えていきたい問題であると思っている。ランドスケープ研究や、音がもたらす空間感覚を論じるサウンドスケープの議論をもじって、タイムスケープ、あるいはセンススケープと呼びうる問題群がそこにあるように思われる。わたしの専門の研究テーマとは決して近くないテーマだが、興味深いので考えていきたい。

ではまた。


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