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生活保護減額裁判の焦点-デフレ調整について-

はじめに
 2013年から3年にわたり、生活保護基準のうち生活費部分にあたる生活扶助基準が平均6.5%、最大10%引き下げられた。これに対して全国各地で違憲訴訟が起こされ、現在それぞれの裁判が進行中である。今年2月22日、大阪地裁は、厚生労働省が生活保護基準を減額改定した際に根拠とした生活扶助相当CPI(消費者物価指数)の問題点を指摘し、引き下げを違法と断じた。年間削減額670億円のうち580億円分が、生活扶助相当CPIの大幅な下落を根拠としたデフレ調整に拠っている。しかし、この生活扶助相当CPIは、生活保護受給世帯の実態を反映したものとは言い難く、この裁判の焦点となっている。本稿は、筆者が名古屋高裁へ提出した意見書に多少の修正を加えたものであり、生活保護基準引下げ違憲訴訟におけるデフレ調整の問題点を紹介する。

デフレ調整の目的
 まず、デフレ調整の目的を確認する。国(2019)によると、「デフレ調整は、(中略)物価の下落が生じ、生活保護受給世帯の可処分所得が実質的に増加する状況が生じたことを踏まえて行われたものであるから、デフレ調整の実施に当たっては、物価の下落により、生活保護受給世帯の可処分所得が実質的にどの程度増加したのかを検討する必要がある。(p.7)」とある。この認識に基づき、生活扶助相当CPIの算出にあたり、生活保護受給世帯が支出することが想定されていない品目が除外されているが、その理由として、「当該品目を除外しなければ、生活保護受給世帯の可処分所得が実質的にどの程度増加したのかを正確に把握することができない。(p.8)」という点が挙げられている。つまり、デフレ調整の目的は、生活保護受給世帯可処分所得の実質的な変化を把握し、それを生活保護に反映させることである
 なお、菅(2021)には、「なお、「厚労省の計算は生活保護世帯の実態からはかけ離れている」とのご指摘については、生活扶助基準については、一般国民の消費実態との均衡を図る観点からその水準を調整することとしており、生活保護受給世帯の消費実態を基に定めることは適当ではないと考えている。(p.3)」と書かれているが、これは上記の品目除外が行われた理由を否定するようなものであり、混乱が見られる。
 以下、この目的に照らして問題点を指摘していく。

ウエイト参照時点
 生活扶助相当CPIは2008年から2011年の間で計算されているが、通常の算出方法とは異なり、ウエイト参照時点を2010年としている。ウエイト参照時点を、2008年から2010年に関しては2005年、2010年から2011年に関しては2010年とし、計算によって得られたそれぞれの指数を接続係数でつなぐのが通常のCPIの算出方法である (注1) 。表1は、通常の方法による算出と厚労省による算出を表したものである (注2) 。

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 厚労省による算出の方が2008年の数値が高く出ており、指数の下落幅が大きくなっている。その理由は、2010年をウエイト参照時点としてしまったため、2008年と2010年の間の計算がパーシェ方式となり、この間に価格が大幅に下落したデジタル家電製品が大きく影響しているためである。表2のように、厚労省による算出では2008年から2010年の生活扶助相当CPIの下落率は-4.29%であり、そのうち下落幅が比較的大きかったテレビやノートパソコンなどの家電製品の寄与度は-2.90%である。一方、通常の方法ではこの間の生活扶助相当CPIの下落率は-1.77%であり、そのうちテレビやノートパソコンなどの家電製品の寄与度は-0.44%である。計算の採用方法によって、家電製品の寄与度に大きな違いが出ている。

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 次に、上記7品目の各家電製品の寄与度を見てみよう。表3に明らかなように、7品目すべてにおいて通常の方法よりも厚労省の方法による寄与度が大きくなっている。特にテレビの数値が大きく異なっているが、白井(2021)が指摘しているように、2011年からの地デジ化を控えていたことと、2009年から始まったエコポイント制度の影響で2010年はテレビが猛烈に売れた年だったのである。つまり、厚労省による算出のテレビの寄与度が大きいのは、テレビが猛烈に売れた年をウエイト参照基準にしているからなのである。パソコン、カメラについては品質調整による影響である。モデルチェンジが頻繁にあり、そのつど性能が急速に向上するようなパソコンやカメラのような製品については、品質調整が行われる。品質向上による割安感を反映させて価格を下げるとともに、消費者の効用の増大を反映させて購入数量が増加したとみなす。この場合もテレビと同様の効果がもたらされる。パーシェ指数は、価格が大きく減るとともに数量が大きく増える財に強く影響を受け、下落率が大きくなる傾向がある (注3)。ここでのテレビやノートパソコンなどはそれに該当する。

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 この傾向が生じるのは、数学的には、ラスパイレス指数の代替バイアスと同じ原理である (注4) 。代替バイアスとは、価格が上昇したことによる代替効果で需要が下落した財がバスケットに含まれている場合、バスケットが固定されているので、需要の減少が反映されず指数が高めになってしまうというものである。この原理を、2010年を参照時点としているパーシェ指数に応用してみよう。仮に、2010年から2008年に向けて時間が逆に流れているとする。すると、2010年から2008年にかけて、テレビやノートパソコンの価格は上昇し、需要は減少している。したがって、代替バイアスと同じ原理で、2008年の指数は過大になってしまう。次に、これを2008年から2010年の通常の時間の流れに戻すと、この間の指数が大きく下落するという結果になるのである。
 なお、経済社会総合研究所国民経済計算部(2004)によると、パーシェ指数であるGDPデフレーターが2004年に固定基準年方式から連鎖方式に変更されたのは、「基準年から離れるに従って実質経済成長率が過大に評価される(例えば、コンピュータ等の価格低下の著しい品目の影響が過大に評価される)傾向がある」ためであった。厚労省方式による生活扶助CPIは固定基準方式パーシェ指数であり、同様の弊害が生じている。
 次に、表4の通常のCPIに関するパーシェ・チェックを見てみよう。2010年を比較時とした時のラスパイレス指数とパーシェ指数の乖離が大きくなっている。これは、表5が示すように、パーシェ指数によるテレビやノートパソコンなどの下方バイアスが大きいためであり、生活扶助CPIのウエイト参照時点を2010年(平成22年)とすることの問題点を如実に示している (注5)。生活保護受給世帯だけがこの下方バイアスの影響を甘受しなければならないとすれば、不当な差別であり、許されることではない

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 念のため、2015年を比較時としたパーシェ・チェックの寄与度を示した表6を見てみよう。表5と表6を比較してみると、2010年(平成22年)を比較時とした時のテレビとノートパソコンのパーシェ指数の寄与度がいかに大きいかがわかる。

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 国(2019)によると、2010年のウエイトを参照基準として用いた理由として、「なるべく直近のものを用いる方が家計の消費支出を正確に反映させることが可能であると認められることから、(p.11)」としており、このような算出方法による数値をロウ指数とみなせると主張している。しかし、ロウ指数であるという形式論のみをもって厚労省の方法を正当化することには問題がある。仮にロウ指数とみなせたとしても、2008年から2010年の算出方法がパーシェ方式であることに変わりはなく、デジタル家電製品価格の大幅な下落によって生活扶助相当CPIが下落したという客観的事実を否定することはできないからである (注6) 。

ウエイト
 生活扶助相当CPIのもう一つの問題点は、家計調査のウエイトをそのまま用いていることである。家計調査のサンプルは生活保護受給世帯に限られてはいないので、家計調査のウエイトを用いて生活保護受給世帯の可処分所得の実質的な変化を把握することは不可能である
 大阪地裁判決(2020)によると、国は、生活保護受給世帯の生活実態を把握するための社会保障生計調査を、生活扶助CPIを算出するためのウエイトとして用いることができないと主張している。サンプル世帯が世帯累計、人員、地域などに偏りがあるとともに、個別品目の消費支出の割合等を正確かつ詳細に記載させるための措置が講じられておらず、家計調査のように詳細な品目ごとのウエイトを把握することができないからであるという。
 しかし、これは家計調査のウエイトをそのまま使ってよい理由とはならない。所得水準によって消費のウエイトが異なることは経済学的な常識である。例えば、消費支出全体に占める食料支出の割合は所得階層が高くなるにしたがって低くなるというエンゲルの法則はよく知られている。また、所得が増えると消費が増える上級財や消費が減る下級財、また消費が変化しない中立財の存在が知られている。したがって、家計調査のウエイトをそのまま用いることは、生活保護受給世帯可処分所得の実質的な変化を把握するというデフレ調整の前提に反する。山田(2013)は、生活保護利用世帯と一般世帯のウエイトが大きく異なることを指摘している。生活扶助相当CPIの算出において用いられた21 品目の電気製品のウエイトが4.19%であるのに対して、調査対象の生活保護利用世帯の同様のウエイトは平均0.82%であった。前述したように、厚労省による生活扶助相当CPIは、2008年から2010年の間をパーシェ方式で算出しているため、デジタル家電製品価格の大幅な下落によって大きく減少しているが、デジタル家電製品のウエイトが高くないと考えられる生活保護受給世帯の実態に即したウエイトを用いていないため、目的に合致しない不適切な算出方法であると結論付けることができる。
 社会保障生計調査がデフレ調整の目的に照らして不十分であるならば、世帯累計、人員、地域などに偏りがなく、個別品目の消費支出の割合等を正確かつ詳細に記載するための措置を講じた上で、生活保護受給世帯の包括的な調査を行い、その調査結果を用いるべきである。

デフレ調整の実施手続き
 もう一つの問題は、デフレ調整の実施手続きである。デフレ調整実施の有無や時期、算出方法を大臣の一存に委ねるのには問題があり、今回の実施内容に関する問題がそのことを如実に示している。また、政治的意図によって、都合の良い算出方法や実施時期が操作され、ナショナル・ミニマムが恣意的にコントロールされてしまう恐れを否定できない。公的年金の物価スライド制を考えてみてほしい。実施方法に関するルールが定められているはずである。現状のような生活扶助相当CPIの実施手続きが認められてしまうと、生活保護受給者に対する差別を肯定することになってしまう。これは社会の分断を助長するものであるとともに、生活保護が他の様々な制度と密接に関わっていることを考えると、国による市民生活の支配を意味し、民主主義に対する脅威である。

まとめ
 以上、生活扶助相当CPIの問題点についてデフレ調整を中心に論じてきたが、2008年から2010年をパーシェ方式で計算しているとともに、生活保護受給世帯を対象としたウエイトを用いていないため、生活保護受給世帯がそれほど消費しないデジタル家電製品価格の下落による生活扶助相当CPIの大幅な下落が生じていることは明らかである。したがって、厚労省による算出方法では、生活保護受給世帯可処分所得の実質的な変化を把握し、それを生活保護に反映させるというデフレ調整の目的を果たすことができない。この件に関して、専門家を集めた統計委員会による早急な検証を求めると共に、同じような問題が再び生じないように、実施手続きの厳格化を求めたい。


(1) 詳細に関しては、総務省統計局(2011)を参照のこと。
(2) 開示資料とCPI年報のデータに基づき、2008年と2010年の間をラスパイレス方式で計算した。結果は白井(2021)と同じである。本稿では、以後の全ての計算について、一時点にのみ現れる品目は省いている。本稿で使用したデータについては、補注を参照のこと。
(3) IMF etc. (2004) 邦訳471頁「15.81」「注59」を参照のこと。
(4) 代替バイアスについては、Mankiw (2010) 邦訳 p.298-301 を参照のこと。
(5) 総務省統計局 (2016, p.1) も、「価格の値下がりと同時に需要が増えてウエイトが拡大するような品目が多かった場合は、パーシェ・チェックのマイナスの値が大きくなると考えられる。」と指摘している。
(6) ロウ指数とは、ウエイト参照時点を任意とした一般的な指数であり、対象とする期間の始点を参照時点としたものがラスパイレス指数、終点を参照時点としたものがパーシェ指数である。したがって、ロウ指数のウエイト参照時点が対象とする期間の間に設定された場合、始点から参照時点がパーシェ指数、参照時点から終点がラスパイレス指数となる。

補注:使用したデータ
【表1~3】
長妻昭衆議院議員により開示された生活扶助CPIに関する品目データ
2005年(平成17年)基準消費者物価指数 年報
【表5~6】
2005年(平成17年)基準消費者物価指数 年報
2010年(平成22年)基準消費者物価指数 年報
2015年(平成27年)基準消費者物価指数 年報

参考文献
[1] 大阪地裁判決(2020)「生活保護基準引下げ処分取消等請求事件 大阪地裁令和3年2月22日判決」.
[2] 国(2019)「名古屋地方裁判所 生活保護基準引下げ処分取消等請求事件 準備書面(28)」.
[3] 経済社会総合研究所国民経済計算部(2004)「国民経済計算の実質化手法の連鎖方式への移行について」2004.11.18.
https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kakuhou/files/about_old_kaku/gizisokuho_20041118.html(2021年8月17日閲覧)
[4] 白井康彦(2021)「物価偽装に関する追加意見書」2021.4.21.
[5] 菅義偉(2021)「衆議院議員長妻昭君提出生活保護の生活扶助水準に関する質問に対する答弁書」2021.4.27.
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_t.nsf/html/shitsumon/pdfT/b204103.pdf/$File/b204103.pdf(2021年8月17日閲覧)
[6] 総務省統計局 (2016)「パーシェ・チェックの結果について」2016.8.12.
http://www.stat.go.jp/data/cpi/2015/pdf/p-check.pdf(2021年8月9日閲覧)
[7] 総務省統計局(2011)「平成22年基準 消費者物価指数の解説」2011.8.
https://www.stat.go.jp/data/cpi/2010/kaisetsu/index.html#app2
(2021年8月17日閲覧)
[8] 山田壮志郎(2013)「生活扶助相当CPI の問題点 生活保護世帯の消費実態を反映しない物価指数」.
http://seikatuhogotaisaku.blog.fc2.com/blog-entry-115.html(2021年8月9日閲覧)
[9] IMF etc. (2004) Consumer Price Index Manual: Theory and Practice, IMF.(日本統計協会訳、国際通貨基金など(2005)『消費者物価指数マニュアル:理論と実践』日本統計協会)
[10] Mankiw, N. (2010) Principles of Economics 6th edition, South-Western College Pub. (足立英之他訳(2014)『マンキュー入門経済学(第2版)』東洋経済新報社)

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