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人事異動とてんかん

遂に来ました。
このタイミングで?もうやめるつもりなんだが?

理由は忙しすぎてなのか今まで何度かふらつきを起こした事が心配され体調不良とみなされ、まだ忙しくない店に配属するとの事だ。

意識を失う事はないが私が忙しすぎて立ちくらみのような症状を見かけた上司が心配して部長に報告した、という流れだ。

自分はてんかんという脳の病気を患っている。

今までニュースでも何度か取り上げられてる事もあるのでご存知の方も多いかと思う。

幼少の子供が罹患しやすく、大人になってからもかかるケースはある。

脳波は微弱な電波が流れており、何らかの原因で異常な電波が流れて自身では制御出来なくなり、意識の欠如や転倒、全身の痙攣、症状は様々である。

自動車整備士がてんかんを患っているという人はいるのだろうか?

多分かなりレアケースだと思う。

批判される覚悟で書きます。

少しでも共感して頂ければ幸いです。

中学2年生の夏休みの朝、初めて発症し、救急車にて運ばれたが一過性と判断され検査や投薬もされず点滴のみで終わった。

2回目は高校3年生のスキーの卒業旅行に向かう途中。

バスで向かう車内にて発作が起きた。
気付いた時には担架の上で運ばれている。痙攣の後だったのだろう。酷く身体がだるい。横で心配そうに友達が見ていてくれていた。
ただただ、申し訳なかった。

その時も一過性とみなされた。

点滴をうってそのまま合流出来た。

3回目は専門学校の授業中。

居眠りをしてしまった時。

気付いた時には隣にあった病院だ。

うめき声をあげていたらしい。

寝ている時なので覚えていないのがタチが悪い。

その3回、どれも今思えば睡眠不足だったと思う。

夏休みでハメを外して夜更かし。
高校生でバイトして疲れてるのにいつもオールとか当たり前だった。
専門学校も同じ。

これまで3回も起きているのに何故かあまり気にしていなかった。

医者も検査入院などを勧めて来なかったからだ。

子供の頃はてんかんはよくある症状だと聞いていた。

あまり深く考えていなかった。

その後は就職して結婚し、子供が生まれた。

順風満帆な生活を送れると思っていた。

しかし、てんかんの症状が酷くなりだした。

子供が2歳になる頃、2人目が欲しいとなっていた。

だがなかなかうまく出来なかった。

妻は次第にストレスとなり、ぶつけるところは夫である自分やそばにいる息子になる。

毎日の様にヒステリックになっていた。元々感情の起伏が激しかったが酷い時は普通に殴られる。蹴られる。なだめようとしても気に食わない事があれば罵られる。物に当たる。

とにかく自分は逆に冷静だった。いくら殴られても仕方ないと思い聞かした。我慢した。

勿論、自分も2人目は欲しかった。2歳か3歳差で女の子が出来たら1番理想だった。

そんな中、仕事中に発作が起きた。

車を動かしている時に西日が目に入ったと思ったら訳が分からなくなり、前の車にぶつけてしまった。

意識はある、パニックのような感覚だった。

ぶつけた後、目の前にいる後輩が見えていた。

やっちまったよ。って顔で伝えたかったのか自分は笑っていた。今でも覚えてる。

客観的に見て不謹慎すぎると思う。それくらい自分の心は狂っていた。

ぶつけてしまった後の処理はとんでもなく大変なのは知っている。

次は涙が止まらなくなった。自分のしてしまった愚かさ。

当時のお客様、スタッフ、上司、心から謝りたいと思う。これは整備士だからとかではなく。本心だ。

その後、当時ニュースで報道されていた鹿沼のクレーン車が幼稚園児の列に突っ込み、6人死傷させたのを見ていた自分はもう自分に整備士は無理だと上司に告げた。

今回の症状がてんかんと関係ないとは言い切れない。

違う職場に移動する事となった。

最初は大学病院にて投薬されたが酷くなる一方だった。

脳波の検査などせず新薬の治験をさせられ、酷い先生だった。

治験中、夜中に大発作を起こしたのにも関わらず救急車で搬送をその大学病院が受け入れなかった。

私自身は怒りとかの感情が当時は無かったが、妻はかなり怒っていた。
確かにそうだな。それが正しい。いつだって妻は正しかった。

搬送先の別となった病院で、てんかんの有名な先生を紹介してくれた。
多分そこがターニングポイントだったかも知れない。

その後、妊娠したが胞状奇胎として診断され、堕ろさなければならなくなった。

自分の服薬の成分のせいかも?とか、多大なストレスかもとか。

この頃はもう自分も妻もぐちゃぐちゃだった様な気がする。

自分は夜中何度も発作を起こして救急車で運ばれた。
失禁するくらい酷かった。

それを支えてくれていた妻には本当に感謝している。

今でもそう思う。どんなに自分が暗い顔でも隣では笑ってくれていた。

しかし夜中だけではなく、日中や覚醒時も急に倒れたりするようになった。

意味不明な言葉を発したり、グルグル回ったりするのだ。

覚えているのだが制御出来ない。

この頃は勿論、運転はせず、医者の許可がないと免許の更新は出来ない状態だった。

仕事内容も整備ではなかった。

退職も考えた。

しかし辞めなくていいと会長が言ってくれたので違う業務にあたり、家族を守る事が出来た。

そこは感謝している。

日々の業務に追われ真面目に生き過ぎて家族と向き合う力を残す事が出来ず、ライフワークバランスを取れなかった。
自分自身、家族も笑顔に出来なかった。

自分が悪いと思ってる部分はある。
だが会社が悪いと思ってる部分もある。
やはりまだまだ考えが甘いのだろうか。

先ほどの紹介してくれた病院で検査入院をした。

奈良医療センターである。

脳波とビデオモニタリングにて症状を一部始終検査する。

自分に合う薬をそこで診断してもらい、今に至る。

てんかんを完全に治療するとなると服薬無しでも発作がないという事になるが、自分は2種類のうち1種類を減薬できた。

だから今回ふらつきが起きたのでは?とも思うので先生に相談はしてみようと思う。

だがストレス、疲労、睡眠不足はてんかんの敵である。

真面目過ぎる人や一つのことに集中し過ぎる人も力を抜いた方が良い。

経験上、の話だが同志がいたら参考にして欲しい。

今までに離婚したり色々あったが今そばにいる息子と、離れて暮らしている元妻と娘、親族達が元気でいればそれで良いと思っている。

そして自分自身、笑える人生をこの先送りたい。

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