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ばあちゃんは名前を呼ばない

僕のおばあちゃんはかわいい。おばあちゃんとしてではなく、器量よしなのだ。その昔、東京に住んでいたころには、子連れなのに芸能スカウトを受けたという逸話を持っている。

2人で出かけるときは必ず「デート」だし、雪の日に滑るからと手を取って歩いていると、「あなたにエスコートしてもらえる日が来たのね、なんて楽しいのかしら」なんて言ってくる。ばあちゃんを支えているという意識なんて、はるか彼方に消えてしまうような素敵なレディなのだ。

そんなばあちゃんも家では、母で、祖母である。「ご飯できたよ、いらないのかい?」と叫ぶ。働くことが大好きでもあったばあちゃんは、家事はそんなに好きじゃないと言いながらも、キビキビと動く。じいちゃんはじいちゃんで「いやーー」とか、「はいはいはい」とか言いながら動き始める。ま、たいてい晩酌の準備なんですけど。すると、ばあちゃんは「パパ!」と鋭く一喝するのだ。これは、我が祖父母の家の色んな場面で、日常繰り広げられている光景である。僕はいろんなトーンの「パパ!」を耳コピしていると自負している。お披露目するところはないけれど。

今年の夏は、じいちゃんの90歳の誕生日だった。誕生日会の時もいつもの通り、鋭いものからやさしさを含んだものまでいろんな「パパ!」が飛び回りながら、みんなでBBQや花火を楽しんだ。御用達のケーキ屋さんのチョコレートケーキが机の真ん中を陣取り、「9」と「0」のろうそくが並ぶ。定番のハッピーバースデーの歌のサビで、みんなが「じーちゃーん!」と大合唱する途中から、右耳に違和を感じて目を向けると、やはり1人だけ口の動きが違う。僕にとってのじいちゃんは、ばあちゃんにとって、じいちゃんでもパパでもないのだ。


僕がじいちゃんを呼んでも聞こえないことが増えているけ。でも、そんなときにばあちゃんが「パパ!」と呼ぶと振り返る。じいちゃんにとっても、また。


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