「正しく恐れる」という発想

新型コロナを「正しく恐れる」とよく聞きます。正しいとは何?わからないことを正しいと誰がどんな基準で判断しているの?

私は初めてこれを聞いた時、勝手な解釈を人に押し付けるな!と思いました。でもこれ、多くの人が情報などを「正しい」か「正しくない」かの二つだけに分類しようとすることに気が付いてから、この発言と発想が出て来る理由が少しだけわかった気がします。

そもそも「正しい」とは何でしょうか。数学の「命題」ならば、正しいか正しくないか(真偽)は必ず決まります。誰かの判断ではありません。客観的に証明できることであり、誰にも覆せません。しかしこの「正しく恐れる」という文章が言いたいことは、違います。コロナ禍なので、何かに恐れる必要がある、その何かを知りましょう、恐れすぎないようにしましょう、というメッセージですね。そして恐れる必要があるのはこれだ!これが正しい情報だ!となる訳です。

ここでは、何が正しい情報か、という議論には踏み込まず、この文が持つ構造をだけを考えてみましょう。

「正しく恐れる」はどのように解釈できるのでしょうか。「正しい」と「正しくない」の二択の分類をする人にとっては、
  正しい:「怖いとわかっていることを恐れる」
  正しくない:「必要以上に恐れる」
となっているようです。
怖いとわかっていること(だけ)を恐れていることになります。「~は証明されていない」「~は報告されていない」、だから安全、これが正しい恐れ方だ、と主張している訳ですね。しかし、今知られていなくても、将来何らかの問題が起きる可能性は否定できません。。。(公害や薬害を知りつつ、この可能性を否定できる人はいないと思います)
それでもここで言う正しい行動をしている人は、自信満々。わからないから恐れている人を、必要以上に恐れていると批判します。

さらに、わからないから恐れて行動している人が、この「正しく恐れる」に感化されてしまう場合もあるようです。わからないから恐れている、を肯定的に捉えず、必要以上に恐れている、正しくない、と考えてしまう場合もあるようです。(意外と深刻)

一方、新型コロナ対策としておこなうべきことを「正しい」と「正しくない」を二択で考えないことができる場合は、もう少し状況を冷静に捉えることができると思います。今はまだ「わからないから恐れる」、大丈夫だと確認できればそこは緩和する。情報を常にアップデートし、慎重かつ柔軟に判断しながら行動することができます。不明なことばかりの今、一番安全な行動をとっていると言えます。


そして改めて考えてみると、「正しく恐れ」ているはずの人でも感染しています。やはり、今はまだわからないから感染してしまっている、と考えられますね。

「正しく恐れる」はこの事実だけでも意味をなしていないと言えるでしょう。それどころか、今わからないことをわかっているかのように発言しているという意味で、非常に罪深いのではないでしょうか。