「専門家」と自己顕示欲求について

最近「専門家」とはどういう人なのだろうと考えている。専門家会議の「専門家」。コロナの専門家と言って憚らなかった候補者。同時に、誰かを「専門家」だと考える側の意識。例えば「専門家」だから専門性があると期待して、コロナ対策のお墨付きを得たい政府。「専門家」に投票した市民。

一方で、恐らく本当にその道に詳しい人は、専門家とは名乗らない。せいぜい、多少この分野のことを多少知っています、程度しか言わない。だから大きな声を出さない。学会等以外の発信は少な目。


人に気づかされたことではあるが、「自己顕示欲求」が重要なキーワードだと思う。本当の意味での専門家、詳しい人は、おのずと他の近い分野の研究者などから認められている。だから自己顕示をする必要がない。淡々とさらに詳しくなっていく。自然体。一方、中途半端な人は、自己顕示をしないと認めてもらえない。認めてもらうために自己顕示を繰り返す。大声で発信する。権威にすがる。

だから、発信が本物かを見極めるために、例えば自己顕示的な要素の有無を考えてみるのはどうだろうか。どのようなポイントでアピールしているかを考えてみることだ。
・自分の研究はすごい(他には誰も言ってくれない)
・新事実を見つけた(他の人は見落としている)
もし、本当に素晴らしいことならば、事実と時間が証明してくれるだろう。本人が声高に繰り返し宣伝しなくても、いずれ注目されるはず。それは、詳しい人達の中で共有され、揉まれ、反論・議論に耐えるように形作られていくはずだから。たった一人で何かを成し遂げることは、今の社会ではほとんどあり得ない。(唯一思いついた例外は、インドの数学者ラマヌジャン。それでも天才性を見出した人がいてイギリスに渡ったし、そもそもラマヌジャン自身は何がすごいことかわかっていなかった。)

だからもし、”自分”だけが「すごい」と言い続けているなら、本物ではない、と考えて良いのではないか。(現横浜市長が、前職でコロナの研究成果として発表した文章は、読んでみたが眉唾だった。専門外でもわかる。)


興味深いのは、陰謀論。陰謀論を自己顕示欲求の視点から注目してみることだ。
・自分(達)はこの事実を知っている(他の人は知らない)
・自分(達)は気が付いた(ほとんどの人が気が付いていない)
このようなことは、せいぜい小さなグループ内でしか信じられていないはず。根拠となる事実も示されていないはずだ。まっとうな反論に答えられていないはずだ。そして情報源が限られている。典型的なエコーチェンバーに陥っている。陰謀論を信じた人の多くが、声高に発信している。同時に信じない人、まともな議論をしたい人、質問をした人を袋叩きにする。まさに自己顕示欲求。

本当の意味の専門家になれなかった人が、自己顕示欲求を味わおうとして、陰謀論がその良いネタになっているように感じます。


最後に。
さてこのnote。自己顕示欲求を満たすために書いているのでは?という考えを否定できずにいます。(追々、しっかり考えて行こうと思います。)