反論もどきが多いと実感しました

反論は意外に難しいのではないか、という話です。きちんと反論するには、相手のロジックを理解し、どこに弱点があるかを見つけ、その矛盾などをつくことが必要です。

しかし反論になっていない、論点からずれても反論したつもりになる場合もあるようです。例えば、「私の犬は白い」に対する「俺のも白いぜー」とか「お前の猫は三毛だぁ」とか。「私はペットを大事にしています」に対して「お前の家にはゴキブリも家にいるじゃないか」とか。まあこんなことを言っても反論になっていないことは、すぐにわかると思います。

でも、もう少し複雑だと混乱してしまう場合があるようです。
10年前の東電福島第1原発の事故当時、(a)空間線量100mSv/h以上は危険、に対して(b)100mSv/h以下なら大丈夫と言っている、(c)レントゲンはもっと線量が高い、という議論もどきがありました。(a)が正しくても、元々(b)については何も言っていません。 (c) は常時ではない話なので前提が違います。このパターンは、上の「私の犬は白い」と同じですね。
2番目の「私はペットを大事にしています」に対してのゴキブリ云々は、さすがにあまりいないと思っていたのですが、やはりいるんですね。それで反論したつもりなのか、攻撃がしたかっただけなのかわかりまえせんが。(今回のこのnoteを書こうと思ったきっかけ)

強がりを言うことで、自分は強いんだ、と思い込む人、思い込みたい人は時々見かけます。反論を目指して本当に反論になっているならば、それもありでしょう。感情的に受け入れが難しかったとしても、理解することはできます。でもそうでない反論もどきでは、結局ワーワー言っているだけ、論点整理できていないから議論などできない、と思われて終わりなんですけどね。


内容を俯瞰して言葉尻や感情にひきずられない文章で代替し、考えてみるのは、ロジックを理解し、必要な場合には反論するための1つの方法なのではないでしょうか。ロジックを理解するには、実は集合の概念や、命題論理、因果関係を意識するのは1つの方法です。そして多くの人は無意識にこれを応用しているのかも知れませんね。
(そしてこれができない人は、騙されやすい気もします。)