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PMになるまでのパーソナルヒストリー

はじめに

自己紹介にも書いてあるのですが、2020年まで外資系で長年PMをしていました。現在は就職活動をしているところなのですが、何度も職務経歴書を書いてきました。また、UXエリアのPMということで、デザイナーとしての就職活動に必要と言われるポートフォリオなんかも求められるようになりました。そこで、こちらでPMとしてどのような成果物を挙げてきたかを書いたてみようかと思いましたが、色々と振り返るうちに、どうしてパソコンに興味を持ち、どうやってソフトウェア業界に入り、またUXエリアのPMになったのかを最初にまとめてみようと思います。

テレビゲームとの出会い

小学校高学年当時、遊園地やデパートなどのゲームコーナーが好きでした。テレビゲームが主流となる前から、しょっちゅうではないですが遊んでいたと思います。テレビゲームとの最初の出会いははっきりとは覚えていませんが、テニスゲーム、ブロック崩しなどだったと思います。

そんな頃、父親に家庭用テレビゲームを買ってもらいました。機種はバンダイ TV JACK アドオン5000というカセットを差し替えるだけで複数のテレビゲームが楽しめる、画期的なものでした。と言っても、どのゲームも非常に単純なもので、ソフトウェアのゲームを入れ替えるものではありません。それでも、この体験がのちのパソコンへの興味のきっかけになったのは間違いないと思います。

スペースインベーダーの衝撃

そしてスペースインベーダーです。最初に見たのは遊園地のゲームコーナーにあったアップライト筐体だったと思います。しかし、プレイ代が高額であることと、なんか難しそうに見えて、恐る恐る遠目で見てたような気がします。

そして、すぐにインベーダーブームがやってきます。その少し前に父親が脱サラして個人で事業を始めたのですが、インベーダーブームに乗って、テーブル筐体のテレビゲームを喫茶店などにレンタルする仕事を始めました。すると、ブロック崩しやインベーダーが自宅にあると事態が発生しました。修理だったり入れ替えのためだったりだと思います。そこで、インベーダーを遊びまくるということができたわけです。

ゲームデザインへ

そして、たくさん遊んだことに間違いはないのですが、プレイを極めるという方向ではなく、ゲームの改良や新しいゲームを作りたいという方向に行きました。夜な夜なマス目の小さな方眼紙にインベーダーゲームの改良や新しいゲームのアイデアを描くようになりました。

インベーダーゲームの改良点でひとつ覚えているのは、キャノンが発射する弾の問題です。ご存じの方も多いかもしれませんが、自分のキャノンが発射する弾は画面上にひとつしか存在できません。つまり、インベーダーやUFOに当たるか、画面最上部まで届かないと次の弾が撃てない、つまり連射不可能だったわけです。この制限はブロック崩しをベースにデザインしたという話からも理解はできるのですが、最下段に迫ってくるインベーダーの攻撃をかわしながら撃つわけで、外したりすると大変でした。それ以上に連射できないことがストレスだったと思います。

連射できないなら連射できないことをちゃんとプレイヤーに示すべきとの思いがありました。そこで考えたのが、連射できないのは弾込めをしているからという設定で、弾を込めるのをアニメーションで表現するというものでした。具体的にはキャノンは砲がひとつあるわけですが、上下左右4方向に砲を備えて、回転することで次の弾が発射できる回転式砲台を考えてみたわけです。つまり、弾を打つと砲台が時計回りに90度回転して次の砲が正面を向くことで次の弾を撃てるということです。これにより、まだ撃てないことを明確に示すことができ、体験を改善できると考えたわけです。今思うと、このあたりからUXによるユーザー体験に興味があったのかもしれません。

さて、それ以外にもインベーダーをベースに新しいゲームを考えました。覚えている主なものは以下のようなものです。

1. キャノンをミサイルにして、右や左からランダムに通り過ぎるインベーダーをコントローラーで避け、最上部に飛来するUFOに命中させる。

2. インベーダーのキャノンを使って、人間同士が対面で撃ち合って勝負する。

これらのアイデアは、実はタイトーに手紙として送りました。もちろん、ただの中学生が描いたアイデアです。後日、丁寧な手紙と図書券をいただいたことを覚えています。ちなみに上のふたつのアイデアと同じものが、しばらくすると他社から、ギャラクシーウォーズとスペースウォーとして実現されました。中学生の考えることですから、同じようなことはすでに考えられていたということでした。

パソコンとの出会い

さて、同じころ、パソコン市場も始まりだしました。どうやら、マイコンってのを使うとテレビゲームを作れるらしいということもわかってきました。月刊アイ・オーを見たりしていたと思います。

そんなある日、中学校での三者面談があり、担任の先生との面談に望みました。すると、部屋にはパソコンが置いてあるではないですか。担任の先生は当時発売されたばかりの HITACHI ベーシックマスター レベル2を購入していて、三者面談で生徒の成績を画面に表示しながら面談をしようとしていたのでした。

そんな私は面談そっちのけでパソコンに興味津々。その週末から同じくパソコンに興味のある友人を連れて、先生のお宅にパソコンを触らせてもらうために通うことになりました。そして友人とふたりでUFOを撃ち落とすゲームを作ったのが最初のプログラムになりました。たしか、完成はしたもののBASICでは遅すぎてゲームにならなかった記憶があります。

パソコン購入

パソコンにハマっていくに従い、デパートのパソコン売り場などに通うようになりました。いわゆるナイコン族です。当時、パソコンを持っていない若者はパソコンを販売しているお店に通って、触らせてもらっていました。当時、よく使わせてもらっていたのが、最新鋭のグラフィックを描くことができた発売されたばかりの富士通 FM-8です。BASICでグラフィックを描くプログラムを書いていたりしてました。今思うと、自由に使わせてくれた大人たちに感謝です。

高校に入学するとお祝いにパソコンを買ってくれることになり、当初は FM-8と思っていたのですが、その後に発売された NEC PC-8801のキーボードセパレート型のデザインに一目惚れし、PC-8801を買ってもらうことになりました。今思うと、高い買い物で、父親には感謝しかありません。

高校でのプログラミング

ゲームの熱も少し冷め、と言うより、高校に入って麻雀を覚えてから、ゲームより麻雀のほうが楽しかったということがあります。

パソコン誌としては、月刊アイ・オーと月刊アスキーを購読していたと思います。その影響か、コンピュータの高級言語やCPU、アセンブラなどに興味が移っていました。LISPやPrologなどの本を読んでいたように思います。

あまりプログラミングをしていなかったように思いますが、ひとつ作品を挙げるならば、高校の体育祭における得点計算プログラムでしょうか。

母校の体育祭は非常に盛り上がるイベントでした。1年~3年の組番号でブロックを作る、つまり1年1組と2年1組と3年1組がチームブロック1、2組がチームブロック2のようになり、ブロック対抗で闘うのです。

体育祭と言っても、マスゲームのような応援合戦大会、応援席に飾る大きなオブジェなどもあり、長い時間をかけて準備するものですから、その勝負には真剣そのものです。

そのため、毎年の問題として得点集計に手間取り、集計の信ぴょう性を含め、大会の終わりに揉めることも多かったようです。

体育祭の運営委員会は2年生が受け持ち、友人が運営委員長になったこともあり、得点係を引き受けました。多数の様々な競技があり、集計が複雑になりがちな得点集計にパソコンを導入しようと考えたのです。

確か、運営委員会が招集された夏休みをほぼプログラミングに費やしました。パソコンを生徒会執行部部室に持ち込み、体育祭の企画と並行してプログラムを開発していました。

今ならば表計算ソフトとマクロで簡単にできたと思いますが、完全にテーラーメイドの集計ソフトです。画面上に競技ごとのフォームが表示され、PgUpとPdDnキーでフォームをリアルタイムに切り替えてました。各競技の結果を入力して、Escキーを押すと集計画面に切り替わり、結果が出るというもので、入力画面と集計画面をいつでも切り替えられました。これにより、途中経過を掲示することを可能にしたかったのです。

BASICで開発したのですが、Escキーを押して集計画面に切り替えるのに、どうしても30秒近くかかってしまっていました。計算ルーチンを最適化しても毎回30秒かかってしまい、何もできない状態になるのです。これがどうしても許せなく、アセンブラで計算ルーチンを書き換えることにしました。すると、1秒もかからずに集権画面に切り替えることができるようになったのでした。

入力の体験、集計の体験とこだわった作品だったように思います。その結果、何のトラブルもなく、スムーズに大会結果発表・表彰とできたことをたいへん評価されました。

ちなみに途中集計の表示ですが、ここにも新たなアイデアを出しました。今までは途中集計の表示を模造紙のような大きな紙にマジックで書いて掲示していたようなのですが、白地に細いマジックで大きく書いても、校庭ではほとんど見えません。近くまで行かないと見えなかったのです。そこで、A1ぐらいの黒の画用紙と黄色の画用紙を重ね合わせ、黒の画用紙にデジタル数字を表示できる7つの切り込みを入れました。つまり、7本のバーでデジタル数字0~9を表すことができますので、その切れ込みを明けたり・閉じたりすることで黒地に黄色の数字を表示することができたわけです。これを3桁×ブロック数分用意すれば完成です。遠くからも一目瞭然でこちらもたいへん好評でした。

おわりに

こちらでは、テレビゲームとの出会いから学生時代のプログラムまでをカバーしました。あまりうまく書けてないような気もしますが、もし、ここまでお読みいただいた方がいらっしゃまいましたら、感謝申し上げます。

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