沖縄の短歌一首評①屋部公子

人影に月桃の花をつと去りし喪章に似たる六月の蝶
          屋部公子『歌集 遠海鳴り』2020年砂子屋書房

『遠海鳴り』は屋部公子の第二歌集です。沖縄の自然と風景、戦争の傷みと基地の島の現在が、やわらかな抒情的文体で綴られます。

掲出歌を初めて読む方のために少し語句の説明をします
六月=6月23日は沖縄においては慰霊の日になります。そのため
   六月は慰霊の月となります。詳しいことは省きますが、学校
   関係は休みになります。私的な余談ですが全国的には慰霊の
   日は無いと知った時には、軽いカルチャーショックを覚えた
   ものです。
月桃=方言名サンニン。6月の雨の多い時期に咲く代表的な花。蕾が
   開き始めるときの形が両手を合わせて祈るように見えることか
   ら、短歌によく使われます。
蝶=方言名ハベル。沖縄では魂とみなされる。

以上を踏まえて掲出歌の歌意を考えてみます
字義通りに読めば
 月桃の花に止まっていた(黒い?)蝶が人影を感じて飛び去る姿が
 六月(の空)にまるで喪章のように感じられるほど、島は慰霊を祈る心に
 満ちている。
ということになるでしょうか。
しかし、

掲出歌で印象を強くする言葉が「喪章」ではないでしょうか。この言葉に仕掛けがあるように思われます。
一句から三句まで読んできて突如として「喪章」の言葉に出会い、読む者はこの歌は死者の弔いの歌だったのかと気づき、反転して歌の真意を求めてまた一句へと戻ります。
この人影とは慰霊される、あるいは慰霊され得ぬ戦死者たちではないのか、そう思えてきます。死者の魂に触れられて、ゆらゆらと六月の慰霊の月を飛んでゆく蝶の風景が、再読すれば印象深くなるのではないでしょうか。
月桃の花を境に異界と現実的世界が交錯し死者と生者そして読む者さえも巻き込んで交感する、幻想的でありながら沖縄の慰霊の日を象徴する世界が、「喪章」によって立ち現れてくるように感じられます。

沖縄で作歌する以上、生活の中に染み込んでいる戦争の傷みや慰霊は避けてとおれないテーマだと、最近は感じています。
拙作一首
南島に淡き白雪降り積もるサガリバナの花慰霊の夜に




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