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書評・感想『ナショナリズムと政治意識』中井遼著 感想と個人的な評価


Ⅰ.総論

1.最初に

個人的な評価:★★★★☆(星4.0)

本書は、タイトルにある通り、ナショナリズムに関する本である。
ただし、ナショナリズムに関して、先人たちの研究成果や、定説に関する歴史的な変遷過程などが理解できると期待して読むと、肩透かしを食らってしまうだろう。

本書が目的とするのは、ナショナリズムに対して、恐らく一般の人が抱いている考え、あるいは“先入観”や“偏見”と言っていいようなものに対して、疑問を投げかけ、正しく“整理”することにある。

この本では、政治の「左右」とナショナリズムという二つの概念の相互の結びつきや、単純ではない関係について、整理することを目指す。

本書より

実は、この本の中では、「本書の目的は…にある」、「本書は…を目的とします」、あるいは「…であることを示すのが本書のゴールである」といったフレーズがたくさん出てくる。それらの内容を読んだうえで、誤解を恐れずに言うと、「『ナショナリズムを強く叫ぶ人、あるいはナショナリズムを声高に標榜するような政党は、右派であり、保守主義者であり、場合によっては権威主義を支持する人々である』というような“雑な”考え方は、正確な理解ではない」というのが、筆者が最も指摘したいことだと私は考える。

その理由として筆者は以下の2つの理由を指摘している。
1.「政治的な“左”」や「(同じく)“右”」という意味が曖昧であること。
2.ナショナリズムという現象が多様な顔を持っていること。

さて、本書の内容についての概要的な紹介はこれくらいにして、最初に本書に対する私自身の感想・意見を述べたい

まず本書の良い点を言えば、上記に記載した「筆者が最も述べたいこと」については、本書を読んで、よく理解ができたことである。
確かに、私自身も、ナショナリズムを強く叫ぶ人、あるいはナショナリズムを声高に標榜するような政党は、「右」寄り人々、あるいは政党である、と漠然と考えていたが、本書を読んでその考えを改めることができた。

その一方で、やはりナショナリズムという概念についての、先人たちの研究成果や定説に関する歴史的な変遷過程などについても、もう少し知りたかった。その点が少々不満であった。
そのため、個人的な評価は「4.0」とした。

しかし、本書は「新書」であり、紙数が限られていることを考えれば、そこまで期待するのは無理がある、ということなのであろう。
上記に書いたようなことについては、別の本を読んで知識を深めていくことにしていきたい。

Ⅱ.各論

1.ナショナリズムとは何か

著者は、ナショナリズムとは何か、ということについて、以下のように述べている。

ナショナリズムとは、一言で言ってしまえば、同じ文化を共有する人々がいるという信念のもと、そういった同じ文化の人々で公的な営みを進めていきたい、という意識や運動のことである。

本書より

この定義は、多くの日本人にとっては、”当たり前”だと思える内容であろう。

しかし、よく考えてみると、この定義が成り立つためには、「”同じ文化を共有する人がいる”ということが、国(=ネイション)単位で成り立っている」ということが必要なのである。

例えば、クルド人は「国家を持たない最大の民族」であると言われるが、彼らも、”同じ文化の人々で公的な営みを進めていきたい”と考えることがあると想像するが、彼らが国を持たないとすれば、彼らが「ナショナリズム」を発揮する(?)ことはできないのかもしれない。

著者が「特定の文化を共有する者たちで一つの国家が形成されるという事態あるいは時代は、ここ 2世紀程度で急速に広がり、通常化した世界である。」(本書より)と指摘している通り、歴史的にはごく最近の現象であることに、私たちは注意すべきなのだ。

そのうえで、著者はナショナリズムに由来する、あるいはナショナリズムを構成する意識として、以下の3つを指摘している。

  • 帰属意識

  • ナショナルプライド/愛国心

  • 排外主義

以上をまとめてみるとナショナリズムとは、以下のようなものだということになる。

  1. 基本的には、「同じ文化を共有している集団が、自分たちの存続や発展を、国家や自治という政治的単位の力を借りて達成したいと考えるもの」である

  2. ナショナリズムは、「国家等への帰属意識」、所属する国家に対する「ナショナルプライドや愛国心」、さらに「排外主義(的な意識)」などの意識によって形成される

2.「右派」「左派」とナショナリズムの関係

おそらく、多くの日本人が、「ナショナリズムを強く叫ぶ人、あるいはナショナリズムを声高に標榜するような政党は、右派である」と考えているであろう。そして、私自身もそう考える人間の一人であった。

一般的には「右」は「現状維持」、「保守」であり、さらに「秩序」「資本主義」などとの関連性が高いと考えられる一方、「左」は「進歩/革新」、「変化」であり、さらに「平等」「社会主義」などとの関連性が高いと考えられている。

しかし第一に、右派、左派と言っても「社会文化的な側面」と「経済的な側面」の2つの軸が存在していることに注意しなければならない、と筆者は指摘している。

社会文化的な側面とは、端的に言えば、「社会生活上の変化を許容する」のが「左派」であり、「社会生活上の変化に対して保守的である」のが「右派」ということになる。
その一方で経済的な側面は、「市場や競争を通じた自由をより重視する」のが「右派」である一方で、「政府による経済への介入と所得の再配分を通じた平等をより重視する」のが「左派」ということになる。

この時、一般には右派というのは社会文化的にも、経済的にも右派である、というように考えられるであろう。
つまり、社会生活上の変化に対しては保守的な考え方を持つ一方で、市場や競争を通じた自由をより重視する」人々が、「右派」である、ということになるだろう。

他方で、社会生活上の変化を許容すると同時に、政府による経済への介入と所得の再配分を通じた平等をより重視する人々が「左派」である、ということになる。

この点について、本書からは離れるが、本書でも紹介されている『リベラルとは何か』(田中拓道著 中公新書 2020年)に記載されている「リベラルの定義」が参考になる。

価値の多元性を前提として、すべての個人が自分の生き方を自由に選択でき、人生の目標を自由に追求できる機会を保障するために、国家が一定の再分配を行うべきだと考える政治的思想と立場

『リベラルとは何か』(田中拓道著 中公新書 2020年)より

ここで、「すべての個人が自分の生き方を自由に選択でき、人生の目標を自由に追求できる(ことが必要である)」という考え方は、「社会生活上の変化を許容する」という考え方に近いと考えることができるだろう。
さらに、「…機会を保障するために、国家が一定の再分配を行うべきだと考える」ということは、経済的にはまさしく政府による経済への介入と所得の再配分を通じた平等をより重視する立場である。
つまり、社会文化的にも、経済的にも「左派」であるのがリベラルであり、さらにその2つは独立しているのではなく、関連性がある、という考え方だと言える。そして、こうした考え方が、ナショナリズムを標榜する立場とは相容れないことは、容易に理解できる。

しかし、著者はここで言われているような「右派」「左派」という考え方は、実は決して固定的なものではない、という点を指摘している。

例えば、複数の識者が指摘しているように、日本の政党で「小さな政府」を目指しているところは事実上無いと言ってよい。これはつまり、社会文化的には「右派」の政党であっても、経済的な面では「左派」ということになる。

さらに、かつて日本では「保守=右」、「革新=左」という認識が一般に通用していた。しかし、最近の若い世代にとっては、日本共産党は「保守」の政党であり、日本維新の会は「革新」の政党であるとの認識が普及している、と著者は指摘している。
これは、例えば日本共産党が憲法改正には反対であり、現状の秩序体系を維持しようとしていること、それに対して日本維新の会はその逆であることを考えれば、むしろ理解できるのではないか、と著者は言う。

ただし、高齢者であっても若年層であっても、自民党や日本維新の会が「右」であり、日本共産党が「左」であるとの認識は一致しているという。

このように、日本だけではなく、海外の例を含めて、こうして「右」や「左」という認識が必ずしも一致していない、ということが著者の指摘するところなのである。

3.そのほかの観点

本書では、その他にも様々な視点でナショナリズムを分析しているが、それらを全て紹介することはできないので、一つだけさらに紹介したい。
それは、民主的な選挙がナショナリズムに与える影響についてである。

ナショナリズムを含む議論が、政治と選挙の争点になる傾向が昨今急速に高まっているということができる。そうであれば、「ナショナリズムに関する議論は票につながる」ということになる。そのため、選挙に際して自分たちに有利なナショナルな物語を主張することで、自分たちへの支持集めをしようとする政治家が当然出てくる。

この点に注目して調査が行われた結果、選挙が近い時期に世論調査が行われるほど、人々は階級や職業や年齢といった自身の社会的属性よりも、自分の民族というものをより重要だと考える傾向が強い、ということがわかったという。
つまり、選挙の時ほど、ナショナリズムを刺激するような選挙活動が行われやすい、ということであるが、これは納得できる、というか理解しやすいことだと思う。

しかしながら、そうした動きが、単に国民の結束を強める方向に動くのか、それとも、排外的な動きにつながるのか、といった詳細まではわかっていない、と著者は言っている。

ただいずれにしてもいえるのは、選挙という民主主義の装置 /契機は、ナショナリズムをはじめとする世論を単に表出し、意見集約するためだけのものなのではなくて、ナショナルな帰属意識を前面化したり強めたりする機会であるということだ。

本書より

著者は、上記のように言っているが、一般的な理解としては、アメリカの大統領選挙でも見られたように、選挙の時に鼓舞されるナショナリズムというものは、単に国民の統合を強めるだけに使われるのではなく、排外主義を高めるものに使われる、ということではないか、と私は思う。
しかし、著者が言いたいのは、そうした理解・考え方は、アメリカの例などいくつかの目立つ事例の印象による影響が大きく、全世界的に見れば、そんなに単純に割り切れるものではない、ということなのである。

Ⅲ.本書のまとめ

1.本書における著者の主張のまとめ

最後に、本書における著者の主張をまとめると、以下のようになる。

  •  グローバル化・国際化が進む現代にあって、ナショナリズムをめぐる問題は、過去のものになるのではなく、むしろ重要な政治問題になりつつある。

  •  過去においては、「自由放任を重視するのか、それとも公平な配分を求めるのか」という経済的な視点が重要であったが、現代ではより社会文化的な視点の重要性が増しつつあり、ナショナリズムはそこで一つの争点となりつつある。

  • 一口にナショナリズムと言っても、そこには「ポジティブな感情」も、「ネガティブな感情」もどちらも存在しているなど、非常に多様化している。そのため、「良いナショナリズム」「悪いナショナリズム」などと単純に色分けすることもできない。

  • 日本においては、ナショナリズムは社会文化的な保守性や権威主義的な側面とつながりがちと想定されている。だがこれは自明の論理ではない。全世界レベルで見れば、一見リベラルとされる価値観が、ナショナリズムと結びついている国やケースも散見されるようになってきている。

  • 一般には、帰属意識の強さ・ナショナルプライドの強さは、民主的な規範を促す傾向にある。しかし、排外的ナショナリズムは、むしろ民主的規範を損なう傾向がある。

  •  世界の現実を見ても、ナショナリズムが民主主義を支える土台になる一方、その権威主義化の論理として用いられている国も見られるようになっている。

2.個人的な感想のまとめ

以上、本書について私が注目した点と、著者の意見のまとめについて述べてきた。
すでに上記の「1.本書における著者の主張のまとめ」で書いたが、著者が言いたいことのコアは以下の2つだと思っている。

  1. グローバル化された現代にあっては、社会文化的な視点の重要性が拡大しており、その中において、ナショナリズムへの注目度が増大している。

  2. ナショナリズムはその内容・性質等が多様化しており、「左派」「右派」、「保守」「リベラル」などと色分けできるものではない。

上記の2点に関する、著者の研究・分析は大変興味深いものだったと考えている。
しかし、この書評・感想の最初にも書いたが、ナショナリズムに関して、先人たちの研究成果や、定説に関する歴史的な変遷過程などが理解できたら、もっと良かったと思う。
それはもちろん、本書が新書であって、そこまで求めることは難しい、ということも理解したうえの意見である。

(T.Yamaguchi)



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