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ホヅミ先生と茉莉くんと。 Day.2 コミカライズはポンコツ日和の読書感想文(直球)

プロローグ


俺の名前は有象 利路。もう消費期限切れ間近のクソラノベ作家だ。
今回はあまり好きじゃない……いや、正直だいぶ嫌いなこのメモ帳の切れ端未満ツールことnoteを使って読書感想文を書いてみることにした。
じゃあ何でこのサイトを使ってるのかって?
そいつが分かれば苦労はしないさ。ラノベの売上がどうなるかなんて誰にも分からないのと同じだよ。

……。

じゃあ普段の口調に戻しますね(飽き性)
さて、皆様は『ホヅミ先生と茉莉くんと。』シリーズをご存知でしょうか?


知ってますよね(断定)


というわけで2021年6月10日発売、『ホヅミ先生と茉莉くんと。 Day.2 コミカライズはポンコツ日和』の読書感想文を今回はお送りします。

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読了自体は発売日には終わっていたのですが、その頃〆切が一つあり中々感想文を書く時間がなかったのと、ツイッターでちょろりと感想を述べるのはあまり好きではないので、〆切を一個終えた現在、己の私見を交えつつちゃんとしたものを書こうと思い至った次第であります。

これまでのnoteにおける私の読書感想文は、(超絶不定期で)書き殴っているのですが、毎回ネタバレにあまり踏み込めないという側面がありました。
なので、今回は単独読書感想文ということでネタバレありでやろうと思います。
まだ『とくんと。』シリーズを読んだことのない方はこんな記事読んでる暇があったらさっさと購入して下さい(半ギレ)
読んだことないけどこの記事は読むわという方は、記事内に公式のリンクを貼りまくっておくのでやっぱり購入するんだよ!!(全ギレ)

もう買った人は偉いぞ~♡ ついでに有象の作品も買ってください(懇願)


第一話


どうして俺のもとには可愛い世話好きのJKが現れないのか!?

一巻を読んだ時からずっと思っていたことです(素直)
知っている方はご存知だと思いますが、本作一巻刊行時に、私はありがたいことに推薦文を寄せさせて頂きました。

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これですね。どんだけ美少女現れて欲しいんだよ……。
私の欲望はさておき、そういう縁もあってわざわざ読書感想文も書いている――というわけではなく、気に入った作品以外の読書感想文なんて書きたくないので、つまり私は本作を気に入ったからこれを書いているわけですね。
(実際は時間の問題で書きたくても書けないことが多いんですけどね……)

じゃあ一巻の時もnoteで読書感想文書けやって話になりますが、上述の通り一巻の時は推薦文作家として事前に決定稿のデータを頂き、それで発売よりも先んじて読ませて頂いたので、史上最速感想文としてサヨシア形式で感想を述べております。
今回は最速が無理だったので、普通に書くことにしました。
〆切がなかったら史上最速を狙ったんですけどね……。悪いのは”電”(結論)

まあ私なんかの個人的背景を語ってもしゃーないので、本作についてのあっさりとした概要からいきましょうか。
本作は世話好きの可愛いJKこと茉莉くんが、冴えないアラサーラノベ作家ことホヅミ先生を甘やかしたり励ましたりしつつほのぼのするお仕事系コメディです。

公式的にはラブコメじゃないの? と思われるかもしれませんが、個人的にはラブコメではないかなと読んで思いました。二巻は特に。
葉月先生はラブコメを意識して本作を執筆されたとのことですが、ラブはラブでも恋愛ではなく親愛や友愛に重きを置いているような……言葉では上手く言えませんが(クソラノベ作家の鑑)そんな気がしました。
その辺りは読み手によって変わるのではないかなと思います。

そういうの全部引っくるめてラブコメって言うならラブコメなんでしょうけど、ラノベ業界におけるラブコメって原則恋愛のみなので、本作はパッケージとしてはラブコメで、本質的には”ラヴ”コメと呼びたいですね……。
この微妙なニュアンスの差!! 感じ取ってほしい(願望)

現在ラノベ業界はラブコメがナイル川氾濫レベルで溢れていますが、私個人があまりラブコメが得意ではないのと、流行り物を追うとキリがないということもあり、本作に魅力を感じたのはその差異があったからかもしれません。
単にJK茉莉くんとイチャつくだけの作品なら私の琴線には触れなかったということは間違いないです。

パッケージというのは厄介で、作者の意図したものとは違うジャンルで定義されてしまうことがあり(商業上仕方がないのですが)そのせいである人のアンテナには引っかかり、ある人のアンテナからは外れてしまうというのはあるかと思います。
なのでもっと前向きにそのパッケージ化を捉えていこう!

というわけでラブコメが好きという方は普通に本作を読めますし、そうでないという方も読める作品ってわけですね!
どっちも満たせばいい――それが出来ている作品なんですよ!!


第二話

具体的に二巻の内容に触れる前に、『とくんと。』の作者である葉月先生についてお話しようかと思います(唐突)
といっても実際にお会いしたことは数えるほどしかなく、例によってコロナがマンボウする前に行われた”電”の年末忘年会、その二次会(作家が個人個人で行くやつ)でご一緒しました。
とあるカラオケ店で席が隣同士だったのですが、それまで挨拶をしたことはあっても雑談を交わしたのはそこが初めてだったように思います。

葉月先生は私とほぼ同期(いつものことながら私は拾い上げなので厳密には同期ではない)であり、当然先生の作品についても存じ上げていたのですが、作品から見るに優しそうな方なのではないかと考えていました。

結論としては大体イメージどおりでした!!!!!!

ん? 感想文なのに作者のパーソナリティを語るのか?
と思われるかもしれませんが、ここでお話ししたいのは『作者の人間性と作品内容はどこまでリンクするのか?』という部分です。

これは人によって捉え方が違う部分でして、たとえば頭の悪い文章を書いていたら作者も頭が悪いだとか、気持ち悪い内容を書いているから作者も気持ち悪いだとか、逆に美文を書いているから作者もキレイな心の持ち主であるとか、色々ありますよね。真偽はともかくとして。
私も読者の一人として、作品を読んだ時に作者の方がどのような方なのかを一方的に考えるのが好きなタイプです。

そういう意味では葉月先生の持ち味はきれいな文章であり、それは情緒的であったり感覚的であったり、少なくとも読めば分かるのですが、私が持っていない文章力の持ち主であると思っています。
自分で言うのもアレですが、私は文章をあまり考えずに書くタイプで、重視しているのは読み手が意図を理解出来るかどうかという部分であり、そのため大体機械的というか合理的な文章をよく書きます。
二作目と三作目とかは特にそれが強く出ています。一作目が多分一番文章を凝っていたように思いますね……デビュー前だったから(適当)

なので私が葉月先生に思い描いていたイメージは、どことなく繊細で優しげな方なのではないかというものだったのですが、実際にお会いしてみたらマジで線が細く優しげな方だったので、文章と人柄は一致する部分があるんじゃないのかこれ!?!?!?!!!? って思いました><

これでもし葉月先生がガチムチ体型の酒豪で担当編集を拳で黙らせるようなタイプの作家(そんな作家が実在するかは不明)だったら、なんというか「え……?」って感じですが、先生は持っているものと生み出せるものがリンクしており、それは天性の才能ではないのかと思いました。
やっぱり自分の話になりますが、私は見ての通りなので、別段何か得意なものがあるわけでもなし、やろうと思えば頑張って何でも書くものの、そこから読み取れる作家的人間性は希薄であろうと自分で考えています。

賢勇者だけ抜き取ったら私は頭のおかしい人間なのかもしれないですが……まあそれがあるから文章力≠人間性とも考えているのですね。
(私は正常かつ常識的な人間ですよ 念の為)

なので作品・文章から作家の人間性を見ていくと、それは多分当たるも八卦当たらぬも八卦なのかなと思いました。
少なくとも葉月先生は作品通りの方ですし、私は私です(念押し)

でも、ちょっと嬉しくありませんか?
優しい物語や文章を書いている方が実際に優しいイメージ通りの方だったら、それはなんというか読者的には理想の一つだと思います。
無論、葉月先生の新作となる『とくんと。』はそこにコメディ要素を加えており、これまでの作品とは色を変えているのですが、根本に流れる穏やかで心優しい部分は隠せていませんよウヒヒ(邪悪)

もっとも、作家としては当然様々な作品を書いていきたいでしょうし、イメージの固定化というのは失礼にあたるかもしれません。
なので葉月先生は優しいイメージ通り、そういう作品しか書けない……というわけではなく、そういうものも出来る上で、もっと他に表現可能な部分がたくさんある方なのだな、と思って頂きたいです。
少なくとも私は「イカれたギャグしか書けない」って思われるのは絶対イヤですし、要は作家性と人間性含めて、『質の良い手札の一枚』と考えるべきでしょう。

余談ですが『熟女大好き芸人』が年下の女性と結婚していたら「は?」って思いませんか? 私は思います(静かな怒り)
芸人性と人間性……これもまた語られるべき一つのテーマなのでしょう。


第三話

相変わらずダラダラと長い無為な文章を書きやがって……。
さっさと作品の感想を書けや!!!
って自分で思ったので、『とくんと。』第2巻のあらすじを。

ホヅミ先生は、まだ誰も知らないハッピーエンドを読ませてくれる。

茉莉の“おてつだい”の甲斐もあり、念願の“はじめて”を卒業できたホヅミ。
喜びに浸るのも束の間、直接会って伝えたいことがある、と担当編集の双夜から呼び出しがかかる。逆らうこともできず渋々茉莉と訪れた編集部で彼を待っていたのは、思いがけない言葉で……!?
「おめでとうございます。“放課後、制服姿の君と。”コミカライズ決定です!!」
重版に続きとんとん拍子に話が決まったホヅミは、浮かれつつ誕生日や七夕を茉莉と過ごしていた。全てが順調に進んでいるかに思えた裏で、新たな波乱の幕が開けようとしていることも知らず――。
拗らせ作家×世話焼きJKの青春リライトラブコメ、シリーズ第2弾!

まず最初に言っておかねばならないのは、本作はラノベ作家が主人公である以上、作家が読むと感想が少々異なってしまうという部分です。
なので私は作家として、作家目線での感想になりますがご容赦下さい。
えー、では作家として一言感想から……


♡♡♡ウミちゃんがかわいかった♡♡♡


以上だ……。
うむ……作家として完璧な一言感想ですね(絶筆不可避)
ウミちゃんについては後で語るとして、二巻は一巻に引き続き、ホヅミ先生が茉莉くんに世話されまくる中で、コミカライズ化の話が出てきて……っていう話がメインの一つです。

メインの一つ、というのは本作は連作短編集であり、他には茉莉くんとイチャイチャする(歯噛み)エピソードが多数あります。
まあこのエピソードがもうお前ら付き合ってんのかよっていうレベルでして……恋人同士のやり取りなら微笑ましいのですが、それを通り越して「もう君ら夫婦(メオト)やんか……」と思わず唸りました。

おかしいな……。おれは原稿をやる時蒸し暑い部屋の中で花粉症の時期は鼻水をすすりつつひたすらガチガチとキーボードを叩き腰を痛め首を痛めケツを痛め孤独と〆切と担当編集の悪意と戦い続けるだけなのに……。
どうしてホヅミ先生は……クソが!!!!!!


これは嫉妬やない……!!
憎悪や!!!!!!!!!




っていう作家特有の感想です(最低)

もしかしたら世に多数いるラノベ作家の中には、こうしてJKにお世話されながら原稿をやっている方もいるのかもしれません。
葉月先生がもしかしたらそうなのかも……だったらオレは……クソッ!!(壁を殴る)

冗談はさておき、一巻で無事仲直りというか縁が続くようになった二人は、穏やかな日常を過ごしています。
季節はちょうど今ぐらい、梅雨前~梅雨明けのお話ですね。
全話分述べるとネタバレというかもう海賊版公開になるので、個人的に最も気に入っているエピソードをご紹介します。

中盤(第八話)にショーシャンクの空にごっこをしたホヅミ先生が風邪を引くというエピソードがあるのですが、私もヤケクソ状態の時は雨に唄えばごっことして大雨の中を傘振り回して歩く時があるので(不審者)、多分こう……あるのでしょうね、そういう発作が。

で、この第八話なのですが、ホヅミ先生が魘されてある夢を見るのですけど、それが個人的に心に来ました。
いわゆるifの人生を垣間見るのですが、つまるところ作家ではない自分の人生がどのようなものであるかを考えているわけです。
皆様は作家という職業に対してどのようなイメージを抱かれているかは分かりませんが、まあ……基本はろくでもないですからね。

何がどうろくでもねえのかを長々語ると敵を増やすので語りませんが、そこでifの自分と現実の自分を見比べ、優劣をつけてifが『優』で実際が『劣』だとしても、劣の自分を肯定出来るホヅミ先生はメンタル強いと思いました。
元々一巻時点だと彼は私をモデルにしたのか???んん????と思うような人物ではあったのですが、二巻ではもうコミカライズとか決定しているので作家としての”格”は私より上ですし、本格的にもう全てを超えられた感じがしましたね。
遠いとこに行っちまったよ……ホヅミの野郎はよぉ。へへっ(立ち去る)

私はベースが陰鬱かつ陰気なので、同じような場面を書いたとしたらひたすらそいつに悔悟の念を抱かせまくると思うのですが、ホヅミ先生は人に恵まれているのでそうは考えませんでした。
今自分が乗りに乗っているから現実の方がええわ!! と思うのではなく、あくまで大切な人達が多くいる現実の方が、たとえ苦しかろうと辛かろうと良いじゃないかと考える……自分は果たしてどうだろうか?
人との縁に感謝するという意味では同じですが、己の芝生すら青く見えると言うか、ifの己を羨むでしょうね。

しかしifは所詮ifであり、たらればの話でしかなく、結局は現実を生きている自分を肯定せざるを得ません。
そんな流れ的に肯定している時点で己の高が知れているというものですが、私も多くの人々により生かされているので、そういうの引っくるめてもっと自己肯定しないとアカンな……と身につまされました。

恐らくはこのエピソード、作家か否かで読み口が変わる(先述の通り本作全般がそうなんですけど)ので、作家としてそう思った次第であります。

さあ、今日も小説を書こう。
私は、ラノベ作家の有象なんだから(〆切に喘ぐ)


第四話

いわゆる中核エピソードとなるコミカライズ騒動については、本格的ネタバレということで多くを語らないでおきます。
私は絵心が一切なく、絵師の方々は全て尊ぶべき存在だと思っているので、恐らく作中のホヅミ先生のような決断は下せないでしょう……。
とはいえ何も語らないのは嫌なので、一つ作中から引用させて頂きます。

どれだけ悔しくても現実を素直に認められる人を、口に出せる人を、僕は尊敬する。
だって、僕はこんな風に真っ直ぐ呑み込めなかった。小賢しく、いろんな言い訳とか慰めの言葉を思い浮かべた。そして、大人のふりをした。格好つけた。

うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!(致命傷)


あ……あぁ……


あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!(宣伝)

えー、細かいところを言うと、基本的にはホヅミ先生の一人称はキレイ(ただし天然水ではなく水道水のような綺麗さ)なんですけど、時折ものすごい核心を突くようなことを言うんですよね。
創作者は全員エゴイストである、とかもそうだったんですけど、いやー……これはね、もうその通りです。大人ではなく大人の”ふり”なんですよ。
自分の敗北を認めないということは……。

私は敗北を得ると殺意で返そうとするタイプなので(屑)、最近はそれはダメだなぁと思っており、そんな中で自分がどうあるべきかを明文化されてしまってダメージを受けました。
基本敗北者でしかないクソラノベ作家にとって、敗北は常に付いて回るもので、それと己のクソみてェなプライドをどう折り合いつけて生きていくかってなると、結局は認めて受け入れて昇華するしかないわけです。

私は……それが出来ません……。
敗北を受け入れて、それで勝者に迎合するのか? を考えてしまい、どうも嫌がって強がって意地を張る傾向にあります。
別に無理に迎合する必要もなく、そして迎合自体も悪いことではないのですが、自分が商業に向いてないと一番思うのはこのプライドであることは間違いないでしょう。

みっともなく泣こうが喚こうが、敗北を受け入れることが出来て、そして次に進める人は、そりゃもう尊敬の対象になりますよ。
商業作家にならなかったら、多分私はこの文章に何ら共感出来なかったと思います。普通に生きていく分には、大した勝敗なんて生まれませんし、勝敗があったとしても特に気にせず過ごせるわけですからね……。

常々己を敗北者であると私は肝に銘じていますが、それは意地の裏返しでもあり、結局は何も認められていないのでしょう。
うーん……ダセェな……。
しかし自己肯定も完全に出来ていないので、なんというか己を不完全で哀れな生物だと痛感します。
鏡に映る己にツバを吐き、それを笑う者に中指を立てているような……黄色い救急車が必要だぜ?(冷静)

多分、ホヅミ先生とはラノベ作家から見た理想のラノベ作家像なのであると、ここでようやく気付きました(美少女にモテモテであること含む)
人間的に適度に汚れている上でキレイである……やっぱ都会の水道水のような男ですね、彼は。。。

明日からは多少身奇麗に生きよう そう思う有象であった(暗転)


最終話

でも……おれは汚い人間なんだ……

心の内にしまっておくべきことをどうしても言いたくなる……

己に正直に生きたいから……

自分に嘘をついてまで笑顔を振りまきたくはないから……

だから……正直に言うよ……



ウミちゃんの出番が少なかったことは許せねえんだ……!!!!!!!



葉月先生へのDM量が足りなかったようです(明察)
いやー、彼女はね、めっちゃ売れてる大学生作家の女性なのですが、個人的に好みなのでもっと出番が欲しかったんですよ!!!!
けど一話分しかなかった……!! 口惜しいっすわ……!!!!!!

なんだろう……物静かだけど愛嬌あるようなヒロインが私は好きなのかもしれないですね……。
今まで自分が好きなヒロイン像とかあまり考えずに作品を作って来たんですけど、商業デビューしてからはそういうヒロインばっか書いているような気がしました。
自作ではなく他作にもそれを求めたということはやっぱ好きなんでしょう。
サヨナ? あいつはヒロインじゃないから(断言)

さて、しかしウミちゃんの出番が少ないにもかかわらず私がわざわざ最終話に語るということは、ここに語るべきポイントがあったということです。
ぶっちゃけ二巻で葉月先生が一番上手いと私が思った箇所です。

話は変わりますが、『男が一人で行くような店』と聞いて、皆様はどのような店を想像しますか?
んー、じゃあそこの人間のクズみてェなツラした有象くん! 答えてみて!


ぼく「風俗!」


死ね!(自刃)

まあでも、女性はほぼ行かないでしょう。女性用のそれもあるにはありますが、かなりニッチですし。
そもそも風俗の話に限らず、意外と『男が一人で行く店』は多いのです。
というよりも『男がやるようなもの』と言い換えたほうが分かりやすいでしょうか。

これを上手く突くことで、『JKが●●する』的なアレが生まれるわけですね。キャンプとか釣りとかそういうの。
とはいえジェンダーフリー的な話をしたくないので、あくまでイメージの話としてお考え下さい。

で、やっぱりそういう男側の持つ領域に女性が踏み込んできたら、原則男は単純なので喜んでしまうわけですよ。
JK(略)は売れがちなのはそれが理由だと思っています。
これが逆ならそうでもないでしょうし、不思議な話ですよね。

お前何が言いてえんだよ???
とそろそろ言われそうなので結論を述べますと、


ウミちゃんとバッセン(バッティングセンター)に行く……!!


というエピソードが二巻にあります。(実際は本屋も行く)
やっぱりキャラクターの魅力って出番と比例して増していくものなので、そこは当たり前の話ですよね。
が、じゃあ出番が少ない連中は一切魅力がないのか? と言われるとそうではなく、少ない出番でキャラクターを立てるには相応な作者側の技量が必要である、と私は考えています。
印象的な出番や性格などで大体は出番の少なさを補うのですが、ウミちゃんの場合は……そう……バッセンに行く……!!(二度漬け)

しかし考えてみて下さい。
女子大生はあんまバッセンに行かねえんだよ……!!
(よく行く女性の方はごめんなさい 好きです(大胆な告白))

私はたまにバッセンでバットを振り回すのですが、基本的に女性客はかなり少なく、来るとしても複数人でノリで来ています。
また、人間観察的には男女のカップルで男が元球児の場合付き合いで彼女側が来る、というパターンはりますが、逆は滅多にないです。
(女性が来たがって男が来たくないっていうパターン)

つまり、ウミちゃんがホヅミ先生をバッセンに誘うというシーンは、かなりレアケースであるということで、そしてそんなレアケースが当てはまる希少価値のあるキャラだということです。

ただこれだけでそのキャラクターに深みが出て、そして私のような気持ちの悪い存在に喜ばれてしまうんですね。(生きる具体例)
んじゃとにかく男ばっか居るところに女連れ込んだらええんけ?
と思うかもしれませんが、それはそれで安直だと私は思っており、基本的には『因果』が欲しくなります。

ウミちゃんの場合は兄貴が高校球児だったから、という理由付けがはっきり述べられており、ああお兄さんいるんだね今度挨拶に行くよ……と読者が知る切っ掛けにもなります。ならない? なるんだよ!
単純に行くのではなく、そういう背景を込めた上でそんなエピソードを描かれるというのは……いいですね、実に。
単に本屋を一緒にホヅミ先生と巡るだけだと、そう彼女の魅力は生まれなかったと思います。

ボーリング場とかカラオケとか、イベントごとでよく使われる施設ではなく、バッセンという疲れ切ったオッサンが白球へ怨恨を込めて空振りを見舞う施設を選んだ葉月先生の技量に敬服しました。
もし私が今後現実を舞台とした何かを書く時は遠慮なくパクろうと思います(最低)


お前さては……ただの野球好きじゃな?


黙秘!!!!!!!


エピローグ

ここまでお読みくださりとかもうそういう挨拶はいい!!!


買うんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

以上だよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


あと三巻待ってます 分かってるな? ”電”お前コラァ●すぞ





※葉月先生及び担当編集様 二巻の献本ありがとうございました
 こんなもん公開するなって思いましたらご連絡頂き次第すぐ消します※


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