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昨今の嫌煙ムーブメントに対する一考

「嫌煙」という言葉も凡そ一般化した現代、喫煙者は如何様にして生きていくのか。

1970年代以降、タバコの有害性が周知されるようになったことを皮切りに、世間において「嫌煙運動」たるものが跋扈するようになった。

ボクの家系は元来、皆そろって喫煙者であったため、煙草のニオイは特に気にならなかったし、むしろ郷愁を誘う一端であった。

とはいえ、煙草のニオイが嫌いな方も、そもそも喫煙行為そのものが嫌いな方もおられよう。

何を好み何を嫌うかは各人の自由であって、そこに他者が介在する余地は無い。キミたちは煙草が嫌いで、ボクたちは煙草が好きなのである。

それぞれの嗜好、思想があって然るべきだというのに、なぜここまで喫煙者が虐げられなければならないのか?

現下の日本は「健康増進」の名のもとに禁煙政策を断行し、喫煙者の''吸う権利''そのものを婉曲的に阻害しているのではあるまいか。

その証左に喫煙所の減少が挙げられる。
私の在学している関西学院大学も、かつては10を超える喫煙所が点在していた。
ところが、改正健康増進法の施行により、2019年7月以降、喫煙所の数は半減してしまったのである。

関学生の総数は年を追うごとに増加し、喫煙者の割合も増えていようというのに喫煙所の数は5年前から何一つ変わっていない。

B号館横の喫煙所はヤニで部屋全体がトパーズ色に染まり、換気扇は極めてグロテスクな何かに変容してしまっている。(見出し画像参照)
人々は飽和状態にある喫煙所内において、肩をすくませながら煙をくゆらせているのである。

嫌煙家が見れば卒倒しそうな景色が、そこにはある。
喫煙者と非喫煙者が共存する方法は、両者が互いに歩み寄って分煙をすすめることであって、片方を淘汰することではないはずだ。

目下の喫煙所事情を解決するためにも、大学側としては一刻も早く新たな喫煙所の開設をお願いしたい。

先述したが、ボクたちは煙草が好きなのである。ソレを嫌いな御仁がいても大いに結構である。
我々はキミたちに喫煙をするように無理強いはしないし、受動喫煙もさせない。

キミたちを最大限尊重し、慮っているのだから、どうか我々の権利を抹消しないでいただきたい。

團先生の言葉を借りるならば、行き過ぎた嫌煙ムーブメントは「禁煙ファシズム」に繋がりかねない。
非喫煙者の最大幸福のために少数派である喫煙者がパージされても仕方ないと考えているのならば、それは全く間違いである。
何故なら、そうした思考の源泉はナチス・ドイツがユダヤ人に行った度重なる虐殺や、T4作戦の趣意と何ら違わないからである。
自分と異なる他者を排斥するのではなく、共に生きていく道を模索することこそが正道なのではなかろうか。

では、ここらで筆を擱かせていただく。

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