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【短編小説】はじめてのおくりもの(6/6)
その場所に到着した時、ボクは心底ホッとした。
そこは、見慣れた我が家だった。
警察官たちは、パトカーでボクを家まで送り届けてくれたのだ。
ボクはホッとしながらも、花束がないことに心底ガッカリした。
せっかく栞に会えるのに、誕生日のプレゼントがないなんて。
はじめての、プレゼントだったのに。
言い訳じみてるけど、栞に会ったらまず謝らなきゃ。
プレゼントの花束を用意してたんだけど、どこかでなくしちゃったんだ、って。
でも、おかしいな。
パトカーの後部座席でもぞもぞとお尻を動かしながら、ボクは運転席と助手席に座る警察官の後頭部を眺めた。
どうしてこの二人は、ボクの家を知っていたんだろう。住所なんて教えていないのに。
家の前でパトカーを停めた警察官は、ボクを後部座席に乗せたままパトカーを降り、玄関のチャイムを押していた。
別にそこまでしてくれなくたって、一人で家に入ることくらいできるのに。それとも、あれかな。ペロがいるから気を遣ってくれたのかな。もしかしたら、ペロの具合が悪いこともわかったりしてるのかな。
家の中から、慌てた様子で何人かが出てきた。
どれも知ってる顔だ。でも、誰かわからない。顔はわかるのに、名前が出てこない。何でだろう。どうしようもなく、胸がソワソワする。
警察官の一人が後部座席のドアを開け、ボクに降りるように促した。頭の中がぐちゃぐちゃに混乱していることを自覚していたが、ボクは促されるままパトカーから降りる以外に選択肢はなかった。
「おじいちゃん、無事でよかった」
太った中年女性が、ボクの目の前で安心した様子でそう言った。
嫁、という単語がボクの頭の片隅で瞬いた。
「もう。どうして病院から勝手に抜け出たりしたんですか」
太った女性の隣に立っていた痩せた中年女性は、責めるような口調でそう言った。
次男の嫁、という単語が頭上に浮かんで消えた。
「栞は?」
目の前に立つ名前のわからない人たちに向けて、ボクは必死に問いかけた。
とにかく栞に花束のことを謝らないと。
「栞にあげる花が、どこかに行っちゃったんだ。でも、栞におめでとうを言わないと」
痩せた女性の後ろから、かわいい顔をした女子高生くらいの女の子が不審げにボクを眺めながら口を開いた。
「栞って、五年前に亡くなったおじいちゃんの妹の栞おばあちゃんって人のこと?」
「もう、おじいちゃんったら。ホントにボケちゃって」
おじいちゃん。目の前に立つ人たちは、ボクをそう呼んでいるようだ。
おじいちゃん。ボクが、おじいちゃん?
自分の手を見下ろす。皺だらけで、シミの浮いた手が、そこにはあった。
「徘徊の捜索っていうのはよくあることなんです。病院から抜け出したってことでしたけど、認知症で入院してたんですか?」
警察官の一人が太った女性に話しかけていた。
「老人ホームもグループホームも順番待ちで入れなくって、それまで病院を三カ月ごとに転院しながら診てもらってるんです。でも、おじいちゃん、逃げ出したいほど病院が嫌だったのかしら」
ボクの目の前で交わされる会話の内容は、少しも頭に入ってこなかった。
ただ、おじいちゃん、という言葉で、パトカーの中にいるペロのことを思い出した。
そうだ。ベロは具合が悪いんだ。早く動物病院に連れて行かないと。
ボクはボクのことで話し合っている名前も知らない人たちに背を向け、パトカーの後部座席のドアを開けた。
違和感は、唐突にボクの思考を停止させた。ペロは目を閉じ、口を少し開き、そこからだらりと舌が伸びていた。ボクは口と鼻に手を当ててみた。鼻は乾いていて、たぶん、息をしていなかった。
ねえ、こんなときキミなら何て言うだろう。
自分が年寄りであることに気付いたとき。会いたかった栞はもう死んでいたとき。そして、新しい家族になるはずだったペロが死んでいたとき。
やれやれ。とか、まあいいか。とか、そんな言葉は相応しくない。
だとしたら、ボクに言うべき言葉なんて何もなかった。
「おじいちゃん。いつまでもそんなとこいないで」
「ねえ、この犬なんなの? すごく汚いけど」
理解できない言葉が、空虚なボクの内側で反響を繰り返す。
ボクは空っぽだった。
ねえ、教えてよ。キミならわかるでしょ。ボクは何をすればいいの。誰に何を言えばいいの。
栞に、誕生日プレゼントをあげるつもりだったのに。せっかく花束を作ってもらったのに。はじめての贈り物だと思ったのに。
奥歯で砂を噛むような悔しさだけが、空っぽのボクの内側できしんだ。
でもさ、ちょっと待ってよ。
不意に、気付いた。
自分の、皺だらけの手を見下ろしながら、ボクは思う。
はじめての贈り物なんかじゃなかったんだ。
ボクは、子どもなんかじゃなく、生きる意味なんてない年寄りなんだから。
ぴくりとも動かないペロの顔を優しく撫でながら、ボクは自分の心臓もこのまま動かなくなればいいのに、と思いながら目を閉じていた。
真っ暗な世界の中、今そう思っていることも、明日になれば忘れてしまいそうな気がしていた。
〈了〉
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