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【短編小説】はじめてのおくりもの(4/6)

 花とその香りに囲まれた、こじんまりとした店内。
 ボクは、カウンターの向こうからこちらを眺める女性店員にまず訊いた。
「ここ、犬を連れても大丈夫ですか」
「構いませんよ。何かお探しですか?」
 感じのよい中年女性は、にっこりと微笑みながらボクに問いかけた。
 丁寧すぎるその口調が少し気になったけど、とにかく感じがよかったので、ボクはついつい答えてしまった。ホントはお店の人との会話ってものすごく苦手なんだけど。
「プレゼントしようと思って」
「いいですね。どなたに贈られるんですか?」
「誕生日だから、妹に」
 妹にと言ったボクに、店員は変な表情を浮かべた。
 ボクが妹に贈り物をするのは何かおかしいのかな。ボクが子どもすぎるからなのかな。それとも、ちゃんとお金を持っているか心配なのかな。
 いろんなことが気になって、緊張してしまう。
 お店の人と話すと、こうやって緊張しちゃうから苦手なんだ。
「ご予算はおいくらくらいですか?」
 すぐににっこり顔に戻った店員は、感じよく質問を重ねた。
「……千円くらいで」
 恐る恐る、ボクはその言葉を差し出した。
 千円という金額が、花を贈るのに妥当な金額かどうかがわからなくて不安だった。けど、首から下げた財布の中には確か千円札が一枚くらいしか入ってなかったはずなんだ。だから、これではダメですと言われてしまうと、とても困ったことになってしまうんだ。
 しかし、そんな不安を打ち消すように、店員はさらににっこりと口角を上げた。
「少し小ぶりにまとめるほうがいいと思いますが、よろしいですか?」
 正直、店員の言っていることはよくわからなかったが、ボクはこっくりと頷いた。
 細かいことにはこだわらないタチなんだ。
「お好きな花があればお入れしますけど、何かご希望はありますか?」
 そんなことを言われたって、ボクは花なんてタンポポくらいしか知らないんだ。
 何でも、と答えようとしたその時、ペロがのそりと店内を歩き、ブリキのバケツの中の白い花に鼻をくんくんと近付けた。
 立派で存在感があるが、清楚で可憐な白い花。どこか、栞に似ている気がする。ボクはペロの鼻先の花を覗き込んだ。
「ユリですね。お包みしましょうか?」
 その店員さんの言葉に、お願いしますとボクは答えた。ペロの鼻先のユリの花がブリキのバケツから抜き取られると、ペロは不満そうにぶふっとくしゃみした。
「あとはこちらでまとめさせていただいてよろしいですか?」
 相変わらず丁寧すぎる店員の申し出に、ボクはこくこくと頷いた。
「少しお待ちくださいね」
 手持ち無沙汰なボクは、傍にあったペロの頭を撫でていた。
「大人しいワンちゃんですね」
「年寄りなだけです」
 作業の手を止めないまま話しかける店員は、ボクの言葉に困ったような表情を浮かべた。まるで、質の悪い冗談に笑っていいのか迷っているような。
「そういえば、少し、具合が悪いのかしら」
 ふと気付いたように、店員はペロを見てそう言った。
 いつからか、ペロはうな垂れたままぜいぜいと荒い息を吐いていた。
「外が暑いから」
 もごもごと、独り言のようにボクは呟いた。飼い主でもないボクの言葉だったけど、そんなことはわからない店員は納得したように頷いた。
 それにしても、やっぱり年寄りって面倒だ。ぜいぜいと喘ぐペロの頭を撫でながら、ボクは溜息を吐いた。すぐに調子を崩し、周囲に迷惑をかける。こんなに迷惑をかけてまで、生きていなきゃいけないんだろうか。ボクは将来、絶対こんな風にはなりたくない。
 ペロはとうとう、その場にペタンと伏せをしてしまった。
 存在に価値がないんだ。むしろ、害悪なんだと思う。かわいそうというよりは、ムカムカした気分がボクの胸の中で膨らむ。最近ボクは、無性に怒りっぽくなってきている気がする。何だろう、これが思春期ってやつなのだろうか。
 こんな気分になるんなら、このままペロと別れてしまえばいいんじゃないか。
 今さらながらに、ボクは気付いた。
 けど。
 なぜだろう。離れがたい何かを感じる。この獣くさいぼさぼさのかたまりに、ボクは愛着のようなものを感じ始めていた。栞は何て言うだろう。ペロを連れて行って、このまま家で飼おうよって言ったら。きっと栞なら笑顔で賛成してくれるんじゃないかな。栞はとても優しい子なんだ。
 だから、安心しな。一緒に行こう。
 寝そべったままのペロのごわごわの頭を、もう一度ボクは撫でた。
 ペロはわずかに目を開け、フンと鼻を鳴らした。
 間もなく、花束は出来上がったようだった。確かに小ぶりだが、中心のユリが映える、素敵な花束だった。これなら栞にも喜んでもらえそうだ。
「お待たせしました。こちらでよろしいでしょうか」
 店員の言葉にうなずきながら、ボクは自分が柔らかい微笑みを浮かべていることを自覚していた。
 胸から引っ張り出した財布から千円を支払い、ボクはペロを促して花屋を出た。
 足取りは重そうだったが、ペロは荒い息遣いのままボクの後ろをのっそりとついてきた。
 いつの間にか、周囲は薄暗くなっていた。
 右手に花束を持ち、左手にペロをつなげたトラロープを持つボクは、家へ向かう歩調を早めた。早くこの花を栞に渡さなきゃ。ボクが自分で選んだ初めてのプレゼント。栞はきっと喜んでくれるよ。そのシーンを思い浮かべるだけでうれしくなってきて、ボクの歩みは一層ズンズンと早まっていった。
 けど、そんなボクのペースに、ペロはついてこられないようだった。
 リード代わりのトラロープに引き戻され、ボクは後ろを振り向き、ため息を吐いた。
 動かざること山の如しという信念を体現するように、ペロは黒目勝ちの上目遣いでボクをじっと見つめていた。そんな視線を向けられて、ロープを無理に引っ張ることなんてできない。だからと言って、家に着くまでにはまだまだ距離がある。どうしたらいいのか。
 途方に暮れてぼんやりと視線を放った先に、何かが見えた。
 視線の先は大きな川の河川敷だった。雑草が生い茂る橋の下辺りに、元は赤かったらしいくすんだ軽自動車が埋もれているのが見えた。何年、そこにあるのだろう。
 ボクは閃いた。あそこでペロを休ませてもらおう。それは自分でもナイスアイデアのように思えた。
 近付くと、その軽自動車のオンボロぶりがさらに際立った。タイヤは一つもなく、助手席側のガラスは割れ、運転席にハンドルはなく、フロントガラスにはクモの巣のように放射状にひび割れていた。ところどころ裂け、すでに元の色が何なのかわからない状態ではあったが、後部座席のシートは何とか寝られそうに思えた。
 決してキレイとは言えないが、座れないほど劣化しているわけでもない。ペロを呼ぼうとしたら、声もかけないうちからシートによじ登り、くるんと身体を丸めて目を閉じた。
 どうやらお気に召したらしい。
 ボクもペロの隣に腰かけ、ずっと手に持っていたプレゼントの花束を運転席に置いた。
 疲れてるわけじゃないけど、目を閉じたらすぐに眠ってしまいそうだった。
 家まで、あとどれくらいあるだろう。地下鉄のルートに沿って歩いて行けばいつか着くはず。明日もペロと歩いて行こう。
 丸まっているペロの背中を、ボクは撫でた。ごわごわした手触り。ペロはそんなボクを気にした様子もなく、ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返していた。
 そういえば。
 不意にボクは頭の中心がぽっかりと空洞になってしまう感覚に襲われた。
 ペロに会うまで、急いで家に帰ろうとしてたんじゃなかったっけ。
 どうして、急いでいたんだろう?
 頭蓋骨の内側は、フーセンのように、ドーナツのように、ストローのように、空っぽだった。
 でもボクは、こんなことには慣れっこだった。
 ま、いっか。
 いつものように、いつもの言葉で、ボクはすべてを忘れ去った。
 目を閉じた。
 生温い夜気が薄汚い軽自動車の車内を満たし、底なし沼のような眠気がボクを包んでいた。

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