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【覚園寺】古い鎌倉が残る場所

私が鎌倉の史跡巡りで参考にしているのが、
昭和37年から鎌倉に住んだ永井路子氏の著書『私のかまくら道』。

鎌倉の魅力といえば何といっても路地や古道だと思うんですよ。賑やかな段葛や小町通りからでも一歩入れば、そこには昔の面影を残す散歩道がどこまでも続いている。

永井路子氏が若い頃から歩いてきた無数の散歩道を紹介した本書の中で印象的だったのが、覚園寺を紹介するこの箇所。

戦後まもなくこの寺(覚園寺)をはじめて訪れた時のことが私には忘れられない。寒々とした本堂で御住職は、何時間も宗教や、戦争や、人間について熱っぽく語られた。私は時の経つのも忘れた。その間誰ひとり寺を訪れる人もいなかった。薬師堂の三尊のすばらしさを含めて鎌倉を再認識したのはこのとき以来である。

これを読んで以来ずっとお参りしたかったのですが、なかなか機会に恵まれず…ちょうど秋めいてきたお彼岸の日、始めて覚園寺にお参りすることが出来ました。

鎌倉を再認識

鎌倉駅から大塔宮でバスを下車。谷戸の狭い道を歩くとその一番奥に覚園寺がありました。

撮影禁止のため境内の写真はないのですが、とにかく静かなお寺で…俗世から切り離されたかのような境内には木漏れ日が差し込み、その陽だまりに曼殊沙華の花が揺れているのが印象的でした。

お寺の方のご案内で拝観した御本堂。永井路子氏が当時の住職とのエピソードを体験した薬師堂です。ご本尊と両脇の三尊。十二神将。そして川端康成がとくに気に入っていたという阿弥陀如来像。天井の足利尊氏の筆。そしてお寺の方のお話。

言葉ではとても言い表せない素晴らしさ。「鎌倉を再認識した」という言葉の意味が私にも身に染みて分かりました。何を再認識したのかと言われればとても難しいのですが…

この地に流れる800年もの時間や人々が寄せてきた思いの重み、これを再認識したという感じです。簡単に言えば。

「昭和の鎌倉攻め」より前の鎌倉に触れられた

高度成長期、鎌倉にも乱開発の波が押し寄せで多くの文化財や歴的景観が失われました。「昭和の鎌倉攻め」とも呼ばれます。それでもまだこんなに静かな場所が残っているものなんだ、と感動しました。

また大抵の鎌倉の観光スポットは巡って分かっていた気になっていた自分が恥ずかしくなってのも事実。また「私のかまくら道」片手に、知らなかった鎌倉に出会いに行きたいと思います。

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