NO BORDER 制作日記



はじめに

このNO BORDER制作日記は4月に始めたクラウドファンディングCampFire、5月のMakuake、6月のSILKHATのリターンとして書いたものです。
それぞれが終わったので無料公開することにしましたがコピペしているうちにアッチャコッチャになってしまい順不同になってしまいました。見出しから適当に拾って読んでいただけると幸いです。

NO BORDER大阪公演。全104回無事終了いたしました!

7月7日初日から始まりましたNO BORDERの104回公演が9月16日14時半開演して16時に終演いたしました。超満員でした。
写真は右からAR3兄弟 川田さん、が〜まるちょばHIRO-PON、私、カヤック松田さん、Panasonic齋藤さんです。
中盤くらいから僕が後説をやるようになっていてお客さんの中に有名人がいる時は舞台上に呼んで感想を聞くと言うことになっていたのですが、千秋楽だしここは7月7日からずっと一人でステージを守ってきたが〜まるちょばのHIRO-PONだろうと言うことになって、そしたらそこへ突然AR三兄弟の川田さんが花束持って上がってきて、じゃあもう一つの技術会社カヤックの松田さん呼ぼう、さらにやはりこの人を呼ばなくてはとPanasonic齋藤さんを呼んで、全部これは事前に何も決まってなくてアドリブなんですが「こうなったらプロデューサーの吉本興業高山さんだな」と思って最後列を目で探したんですがいない!いない人を呼んじゃって何となく白けてしまうって事があるから仕方ない諦めようとなって5人で手を繋いでお礼を言っているところです。(後で聞いたら間違いなく最後列に高山さんは立っていたらしいんですが僕が見落とした!)
この中で104回全公演にいたのはHIRO-PONだけです。
僕はNHKの欽ちゃんの番組収録がある時に東京に帰ったので6回くらいいない時があります。
とにかく終わりました。
今のスタッフの思いは「NO BORDERをこのまま終わらせてはいけない。必ず第2弾公演をどこかでやりたい!いや第2弾どころではなく日本中、世界中に出ていきたい」と言うものです。
今そう思っているこの気持ちを大切にしたい!
こう言うものって祭りの後みたいなものでその時は盛り上がるんだけれど、終わって時間が過ぎていけばいくほどみんながそれぞれの日常に戻っていって忙しくなり立ち消えになるって言うのが常です。
それにはしたくない!そのためにはどうしたらいいのか?
と言うことを考え実行していきたいと思っています。
おそらくNOTEを本格的に始めると思います。
「NO BORDER 2回目公演に向けて」と言うタイトルで。
ここに書いてきたものをnoteにまとめてあるので、それを起点に構築したいと思っています。

引き続きご支援をお願いいたします。
twitterアカウント @NoBorderOsaka では今後も情報を出し続けますし、noteにも頻繁にリンクを貼っていきます。

重ねて第2回公演に向けてのNO BORDERよろしくお願いいたします。

電波少年はなぜ成功したのか?①


人は成功体験に縛られます。

僕の場合はやはり「電波少年」という番組が最終的に最高視聴率30%を超えたということがあってその成功体験を捨てて取り組むことが難しいというのが実感です。

成功体験に縛られるからダメなんだ!と人には言うんですが自分では、と反省をしています。

とは言うものの「電波少年」の最初の頃は一度も成功したことがないですから、成功体験を元にではなくて失敗体験を元に、であったことは間違いありません。

その失敗体験は「パクリ番組で二度続けて失敗した」です。

当時他局でヒットしていた「風雲たけし城」と「ねるとん紅鯨団」をパクって惨敗したんです。それで制作現場を外され2年後戻った時も干されていましたから「3ヶ月のつなぎ番組」を任された時にまず思ったのが「今までにない番組を作ろう」だったと言うわけです。

それでアポなし→ヒッチハイク→懸賞生活 など裏切って裏切ってやり続けたのが僕の成功体験だし僕の勝ちパターンだと思っているのです。

それと「今ないもの」をやっている時ってスタッフの結束力が高くないとできないんです。

電波少年のスタッフに僕はよく「自分たちは”町外れの独立採算制の施設の人”だと思え!」

と言っていました。また「この番組で生計を立てるな。地雷のある方ある方に進んで行くから」とも言っていました。

自分たちはメインストリートの人間ではない。メインは「マジカル頭脳パワー」とか「世界まる見え特捜部」「伊東家の食卓」とかで、自分たちはマイナーなんだと。日陰者なんだと。

だからこそ施設内結束力は強かったと思います。

全員で暗闇で手探りしていたと言う自覚があったから、その鉱脈が色んなところで見つかった時は全員で喜んでいました。それぞれの現場のテンションが異常でした。力の出し方が全員が自分の120%、いや200%を出していたから実現した番組だったと思います。それはディレクター、プロデューサー、作家、そしてAD全員がそうでした。そのテンションが10年続いたのも異常だったともいますが、それは「電波少年」と言う番組が挑み続けたからだとも思います。

(この番組群って同時期にやっていた「ウリナリ」「雷波少年」も同じでした)

「今ないものプロジェクト」って”なぞる”ってことがないから毎日が冒険だし発見の連続なんですね。怖い!確かに怖いけど発見の喜びがそれを超えていくのだと思います。

「NO BORDER」も並行して走っている色んな部署、会社、メンバーで発見と冒険に直面してそれぞれが200%の力を出して初日を迎えることになると思います。

電波少年はなぜ成功したのか?②

昨日書いた「電波少年はなぜ成功したのか?①」を書いた後に色々思い出して

これって今周りでよく聞く組織マネージメントの話じゃないかとも思い(僕は一切興味がないしそう言う本も読んだことないんですがFBとかtwitterでそう言う話題や本がよくシェアされているなあと)続きを書いてみます。

電波少年に関わる人の全員が前向きと言う今思えば異常な状態が日常だった。

なぜそうなったのか?が一番大事なんだろうと思うが、気がついたらそうなっていた。

だから後ろ向きな、ちょっと賢そうなことを言う奴が新しく入ってきても弾き出されていった。

冒険だった。全員がバカだった。だけどその日々をみんなが楽しいと思っていたし、この番組のメンバーであることにめちゃめちゃプライドを持っていた。

全員が「自分がいなくてはこの番組は成立しない」と思っていた。そう思えるまでやっていた。

やって当たり前だと思っていたし、やることができない奴はいつに間にか消えていた。

やはり「今ない番組を作る」と言う夢にワクワクしていたんじゃないだろうか?

この後も僕は「今ないもの」ばかり挑戦し続けた。

いろんなスタートの切り方があるから「ちょっと賢そうな後ろ向きなことを言う人」って言うのは結構な確率で出てきた。僕は「出ていってください」と言った。一人でもそう言う人がいると「今ないものに挑むことはできない」と今でも思っている。空気が「今ないものを作る」と言う多分ナイーブなものを乱すのだと思ったのだろう。

その人に悪気はないのだと今考えるとわかるので少し悪いなとは思うのだが、その向こうに保身とか自分で責任を取りたくないだけ、などが透けて見えると今でも人が変わる。(普段は結構ニコニコしているのだ)

その後戻ってきて今でも仲の良いスタッフもいるしそのままいなくなって今でも僕のことを恨んでいる人もいるかもしれない。

でもせっかく「今ないものを作る」と言う飛び切り楽しいことをしているのだからみんなでニコニコしながら前に進みたいではないですか?

そんなメンバーでやっていたから、あんな奇跡的な番組ができたのだなあと思い返す。

一回もありがとうと言っていないしこれからも言わないと思うけど、そう言うことです。

電波少年最終記「君は熱狂の中にいるか?」

電波少年とは一体なんだったのか?

色々と総括のやり方はあるのですが今思い出しているのは”色んな人たちと過ごした熱狂の日々”です。名前も覚えていないアシスタントディレクターたちのたくさんの顔を思い出します。彼らは滅茶滅茶寝てなかった。部屋もの企画に就くと自分のアパートは解約してくるのが常だった。だって帰れないというか「住み込み」だから。そこで1日24時間回ったVTRを5時間くらいに編集して、上のADがそれをさらに1時間にして、そしてディレクターが6分にする毎週毎日。

大変じゃなかったはずはない。でもその顔は輝いていた(気がする)。

ある日とある教団の施設にアポなしで生中継ロケをするスペシャルが密かに企画された。

珍しく全員集合が掛けられて中華料理屋に集まった。「危険だと思う。止めないから行きたくない人間はここから帰れ。行く人間は好きなものを注文していい」

全員がエビのチリソースとか青椒肉絲とか春巻きとか注文していた。帰る人間と北京ダックとフカヒレは注文されなかった。知らなかったのだろう。

(結局決行する直前にバレて中止命令が出た。食ったもん得になった)

そんな日常だから全員の頭が痺れ続けていたのだろう。

バカすぎる!でも飛び切り楽しかった。熱狂していた。

この話をすると”そんな日々は「おとぎ話だ」”という顔をして聞かれる。学生にも若い社員にも。

でも確かにあったし、今の「NO BORDER」もそうだよ。

熱狂の中にいる日々は確かにある。





アイデアを出す。本当の秘訣。

今日はメイキングの話もやめて「アイデアの出し方」の肝の部分を一気に書いてしまおうと思う。

これは電波少年の会議で採用してその後も僕の会議で使っている手法である。

「バカ会議」と言うもの。

とにかくバカなことを言うのである。笑わすことではない。

「こいつ頭おかしいんじゃない?」と言うようなことを言う会議である。

会議というと「こんなこと言うと”バカ”だと思われるんじゃないか?それによって査定が下がって出世に響くのではないか?」と気にするような状況でやることが多いのではないか?

この「発想に縛り、枷をつけるのが一番悪い」と言うのがアイデアを出す状況での基本中の基本である。だから「自由に発想する状態」にみんながなればいいのだが、「ではここからみなさん自由に」と言ってもますます自由になれないのが人間である。

だから「バカなことしか言ってはいけない会議」にするのである。そうすると自分の中にある色んな枷が外れてくる。最近ではこの「バカに思われるんじゃないか?」に加えて「セクハラ、パワハラになるんじゃないか?」と言う縛りも会議の中の発想を出すと言うことの枷になる。

これも最初に宣言する。「今日はどんな発言もパワハラ、セクハラには当たらないとします。そう言うルールが受け入れられない方は退席してください」とする。そのくらい発想に縛りをかけないと言うのはそのくらい大事なことである。

逆に言うと今の人(日本人は特に)はいかに自由でないか?と言うこともある。

こんなことを言ったら「バカ」と思われる。「浮いてしまう」「仲間外れになってしまう」つまりよく言うところの「空気を読む」と言う行為はアイデアを生むことの阻害要因でしかない。
この日本からイノベーションがなぜ生まれなくなったのか?
それは同調圧力などによって「みんなと一緒」「突出しない」「問題が起きない」を上位概念とすることによって起きたことなのである。

だから会議だけではなく、個人においても「アイデアの出る人=自由な人」で「アイデアのでない人=自由でない、がんじがらめになっている人」なのである。

本当はこのことを個人が24時間気にすれば自由なアイデア豊かな人たちが集まり、会議も黙っていても次から次へとアイデアが出るようなものになるのだが、そんな人ばかりではないから「バカ会議」と言うルールの会議をやって枷、縛りを取る経験をさせてみる、と言うことなのである。

このことをとにかく一回実行してみることでメンバーは全く変わらないのにアイデア豊かな会議になることを体験してみてください。

今日はメイキングの話もやめて「アイデアの出し方」の肝の部分を一気に書いてしまおうと思う。

これは電波少年の会議で採用してその後も僕の会議で使っている手法である。

「バカ会議」と言うもの。

とにかくバカなことを言うのである。笑わすことではない。

「こいつ頭おかしいんじゃない?」と言うようなことを言う会議である。

会議というと「こんなこと言うと”バカ”だと思われるんじゃないか?それによって査定が下がって出世に響くのではないか?」と気にするような状況でやることが多いのではないか?

この「発想に縛り、枷をつけるのが一番悪い」と言うのがアイデアを出す状況での基本中の基本である。だから「自由に発想する状態」にみんながなればいいのだが、「ではここからみなさん自由に」と言ってもますます自由になれないのが人間である。

だから「バカなことしか言ってはいけない会議」にするのである。そうすると自分の中にある色んな枷が外れてくる。最近ではこの「バカに思われるんじゃないか?」に加えて「セクハラ、パワハラになるんじゃないか?」と言う縛りも会議の中の発想を出すと言うことの枷になる。

これも最初に宣言する。「今日はどんな発言もパワハラ、セクハラには当たらないとします。そう言うルールが受け入れられない方は退席してください」とする。そのくらい発想に縛りをかけないと言うのはそのくらい大事なことである。

逆に言うと今の人(日本人は特に)はいかに自由でないか?と言うこともある。

こんなことを言ったら「バカ」と思われる。「浮いてしまう」「仲間外れになってしまう」つまりよく言うところの「空気を読む」と言う行為はアイデアを生むことの阻害要因でしかない。
この日本からイノベーションがなぜ生まれなくなったのか?
それは同調圧力などによって「みんなと一緒」「突出しない」「問題が起きない」を上位概念とすることによって起きたことなのである。

だから会議だけではなく、個人においても「アイデアの出る人=自由な人」で「アイデアのでない人=自由でない、がんじがらめになっている人」なのである。

本当はこのことを個人が24時間気にすれば自由なアイデア豊かな人たちが集まり、会議も黙っていても次から次へとアイデアが出るようなものになるのだが、そんな人ばかりではないから「バカ会議」と言うルールの会議をやって枷、縛りを取る経験をさせてみる、と言うことなのである。

このことをとにかく一回実行してみることでメンバーは全く変わらないのにアイデア豊かな会議になることを体験してみてください。

アイデアについて

黒沢の踊るGIF動画を共有します。千手観音かずこがこの「NO BORDER」のリードダンサーです。

ここまで書いたことをまとめると

1、アイデアのスタートはその動機のエネルギーが最初にある。(なぜ考えるか?に強い具体的な動機があればあるほどそのことに心奪われる時間は多くなるし、結局のその時間が長ければ長いほどアイデアの質は上がる)

2、最初に持つコンパスは僕の場合は「今ないもの」。(ここで「当たるもの」とかのコンパスを持ちがちだがその方向は「今当たっているもののパクリ」になりやすく、それはそのタイミングで企画として乱立する可能性が高くそこで勝ち抜ける確率も低い。だったら「今ないもの」をスタート地点からそれを現実的にアダプトする方が当たる企画になりやすい)

3、「今ないもの」を考え出す時に持つべき道具は「最新のテクノロジー」である。テクノロジーは技術者によって純粋に生み出されたものであるからその使い方に関するアイデアを出すことによって「今ないもの」「今ない表現」「今ないエンタテインメント」を生み出すことができる。例えばそれはSONYのHi8カメラが「猿岩石のユーラシア大陸横断ヒッチハイクの旅」を生み出したように。

あとはその方向を持って導かれたように人に会っていく。それは「今度仕事をしたいな」と思っていたAR三兄弟の川田さんのラジオのゲストに呼ばれたり、その人の紹介で3Dスキャンのショールームに行ったりしたことで始まっていく。

でも決定的な出会いはそのあとちょうど1年前のゴールデンウィークに東品川のPanasonicのショールームに行ったことで始まる。

人との出会いは全て奇跡だ。そして運命であるようにも後で思える。そのことがなかったら道は開けないのだ。でも無闇に人に会えば良いのか?というとそれも違う気がする。
正しく手を伸ばすことができるか?だがそのことは追々触れていくことになる。

とにかくゴールデンウィークの真っ最中に東品川にあるPanasonic映像のお祭り?みたいなものに行った。『そこに行けば3Dスキャンの体験ができる』と言われたからだ。そんなチャンスは中々ない。あなたはでもお休みの日に「まだよくわからない未来のために1時間かけてそれを体験しにいくだろうか?」働き方改革を進めている人に言ったら杓子定規に言えば「間違いだ」と言われるかもしれないが、もしその言葉に従っていたら間違いなくNO BORDERは生まれていなかった。
その3Dスキャナは想像を超えていた。シャワールームのような白いボックスに入り「パシャ!」とシャッター音がして、5分後に僕のアバターがそれまでにスキャンされていた40人ぐらいの人の中にいた。僕の前後にスキャンされた人もその画面を見て「ワ〜」と喜んでいた。事前にスキャンされた3人家族がスクリーンで踊っていた。
この1ヵ月前に渋谷のスキャナを見ていた時点なのか、見る前なのか?そう言うものがあると言うことを聞いて『観客をスキャンしてスクリーン上で踊るライブエンタテインメント』と言う企画書メモを書いていることを自分のパソコンから発見した。
だから構想はあった。つまりアイデアはあった。しかしそれが現実に目の前にある、と言う衝撃と感激は強いものだった。

それを開発したPanasonicの斎藤さんと近くのカフェに入って初めて話をした。
スキャンしてそれを5分後にアバターにできる。4年前はその時間が24時間かかっていたが5分まで時間が短縮できるようになった。では「スキャナにパソコンを100台繋げたら5分後に100人のアバターができますか?」と聞いた。僕の頭の中には地下のデータセンターに山ほどPCが並んでいる画像が広がっていた。「できます。それもクラウド上に仮想の形で置けますから実際にPCがなくても良いです」「そうかクラウドか!?」(”クラウド”聞いたことはあるけどわかってはいなかった)「でもクラウドのコストはそれなりにしますから100台のコンピューティングをするとなるとかなりのお金が掛かります」
ここでそうかコストが無理か!と止まったらアイデアの実現はない。

まず金は面白かったら誰かが出すだろうと考える。

どうしてもお金が調達できなかったらできる方法を考えよう。

とにかく「今日来場したお客さんをスキャンして5分後にスクリーン上で踊ってもらうことは可能なのだ!」そのことに興奮した。

「見たことないものを作ることができる!」と言う体感だった。

最新のテクノロジーとクリエイティブが直接会うこと

現在スキャンされている全員のダンスシーンのGIF動画を添付いたしました。
ちなみに最後列の真ん中は私でです。

そしてこのスキャンが行われたのが1年前のGW最中の東品川Panasonicイベントだったのです。最後列は右からPanasonic齋藤さん、AR三兄弟川田さん、私、カヤック松田さん、AR三兄弟高木さんです。全部スタッフです。このアバターを使っていろんな検証をしてきました。

さて1年前一番右の齋藤さんと話をして「当日の観客をスキャンして映像に出す」と言う考えは固まりました。齋藤「何人の会場ですか?」私「着席300人、スタンディング600人です」齋藤「300人スキャンするのは無理です」「S席とA席を作ってS席のお客さんだけスキャンすればいい」などと出てくる問題に対案を出していきチェックしていきました。のちにスキャンされる人間を事前にチケットで決めるのではなくショーとしてみせる、になりましたがほぼ今の形の原型はこの日に出来上がったと思います。Panasonic齋藤さんも自分が開発して我が子のような3Dスキャナが思いもよらぬ「ライブエンタテインメント」で使われると言う可能性に興奮してくれていたと思います。

このように演出家とエンジニアが直接交わったことがこの「NO BORDER」と言う”これまで見たことのない”コンテンツを作ったのだと思います。

大きなメーカーの研究所開発クラスの技術はその会社の1年1回の展示会で披露されるのが常道です。そしてそこではエンジニアの人が考える”今までの使い方の拡張”といった見せ方がされます。

そのテクノロジーをほぼ素の状態で見て「ではこう言うことに使えないか?」と言う議論にすぐ入れる機会というのは実はほぼありません。その機会を奇跡的に得てこの「NO BORDER」は生まれました。

少し脱線しますがそういった技術の最先端とクリエイティブはもっと出会う機会を作れば日本のガラパゴス化は避けられたのではないかと思います。テクノロジーとクリエイティブその間にいろんな人が入れば入るほどその結実は鈍いものになるのではと思っています。

この後「今までにないもの」をどう予算化するか?など山ほどいろんな局面が出てきますが「やる!きっと面白い」と信じれたことで一歩一歩進んできました。

後この実現に大きく寄与したのは「リスクをとる」といった興行主催者・吉本興業でしょう。

見たことはないものは今までの実績も見ることのできる実例もないので「想像して」面白いかどうか?を判断しそのリスクを負わなければなりません。

これに関しては本当に心から敬意を示すしかありません。

それはこの企画に今支援してくれている”あなた”もそうです。

まだ世界にないものはテクノロジーとクリエイティブが出会ったことに始まり、それを楽しんでくれる観客によって完成するのです。

そしてその初日の幕が開く日まで、いや千秋楽の最終公演の幕が閉まるまで、「もっと面白く」を追求することを誓います。

今日はこの辺にしますが明日以降も続きます。

来場していただいた人目線の「NO BORDER」を力一杯説明します!

今日は改めて「NO BORDER」をお客さんの目線でシミュレーションしたいと思います。

最寄駅はJR「大阪城公園駅」または「森ノ宮駅」

目指すは新しくできた「COOL JAPAN PARK」それぞれ歩いて7分とか5分くらい。

公園内の遊歩道を通っていきます。

そして一番森ノ宮駅側のホール、SSホールが会場です。

7〜8段の階段を上がってホールに入ります。

ホールに入ってすぐ目に入るのは右隅にある3Dスキャナです。

前の公演の方がスキャナに並んでいることはないと思います。それは公演終わりで並んだとしてもすぐにスキャンが終わるからです。

さてチケットを出して座席指定券をもらって席に着きましょう。

席に着くとやはり会場の中にあるスキャナが気になるでしょう。

ステージはシンプルなものです。

両サイドには「NO BORDER」のロゴが飾られています。

そしていよいよ開演です。

MCはが〜まるちょばのHIRO-PONです。

ここで行われることはスキャナの説明や40人のスキャンされる人のピックアップですが

そこは”言葉を使わず”世界中を爆笑させてきたが〜まるちょばですから一筋縄に行くわけがありません。ここでも最新テクノロジーを使った”絶対に見たことのない”ショーが繰り広げられます。

そして後半はピックアップされた40人と”リードダンサー千手観音かずこ”のダンスショーです。

音楽は僕の大好きな森大輔さんが素晴らしい曲「NO BORDER」を作ってくれました。

この音楽に合わせて踊り歌う”見たことのないダンスショー”が目の前に!

国境を超えて年齢を超えて性別を超えて全てを超えてみんなが仲良く踊る姿は客席にいる全てのお客さんを巻き込むことと信じています。

だって自分がまたは自分の知り合いがまたは自分の国の人がステージの中から

「Let's Dance!」「一緒に踊ろう!」「Stand Up!」「さあ立ち上がって」と誘ってくるのですから。

そして舞台はダイナミックに華麗に変化していきます。

恥ずかしがっていた全ての国の人たちが立ち上がって一緒に歌っているでしょう。

一緒にクラップをしているでしょう。

一緒に踊っているでしょう。

「NO BORDER」と!

そしてフィナーレ。すべての境界がなくなり、何より自分の心の壁が取り払われ”温かい気持ち”になっているはずです。

そして終演後ロビーに出てきて今日のステージの余韻を楽しみながらスキャンの前に並びましょう。ここでスキャンすれば自分が「NO BORDER」を一人で踊っている動画をダウンロードできるようになるのです。

そしてその映像は自分のSNS(インスタ、フェースブック、ツイッターなど)にアップできるのです。

あなたがキレキレのダンスを踊っている動画は間違いなく「いいね!」の嵐になることでしょう!

そんな「NO BORDER」は世界で初めての試みです。

見たことのないライブエンタテインメントです。

今まで感じたことのない経験に感じたことのない感情に包まれていることは間違いありません。

アイデアを前に進めるには「妄想の暴走」

さてアイデア「新しくできる劇場で大阪に来るたくさんの外国人観光客にも楽しんでもらうものを作りたい」という出発点から「今までにない」という方向に向かって「テクノロジー」という武器を携えて『その日来場した観客をスキャンしてアバター化してスクリーンに出演』というところまでアイデアが具体化してきた。

そんなことができるのか?おそらくできるのではないか?いやどうだ?

そんなクエスチョンマークだらけの状態が続く。

次に必要なものは何か?

”妄想の暴走”なのだ。

今までにないものである。誰も見たことがない。具体的なイメージがあるのは世界中で一人だけ最初の企画者だけなのだ。それは妄想以外の何物でもない。

それを強くする。ディテイルを思う。難波で見かけた中国人の家族連れを思い出す。

彼らが喜んでくれるのは何か?お土産を買っていた。でももっとお土産はないのか?きっと中国でも都市部の人ではなかったようだ。帰って日本に行ってきたことを自慢したいだろう?スマホに自分がキレキレのダンスをしたら映像が入っていてそれを見せたら!それも富士山をバックに!それを見せている家族の姿を思う。

ちょっと休んでテレビを見る。トランプ大統領がメキシコの国境の壁をさらに建設するというニュースだ。日中の問題も日韓の問題も毎日のようにニュースでやっている。
そうだ!政治や経済が「国境」を作るのならば、エンタテインメントは「国境をなくす」方向はどうだ?中国人もアメリカ人も韓国人もアジアの人もヨーロッパの人もアメリカの人も中東の人も一緒に手を繋いで踊る映像を持って帰ったら「日本に来た意味」がとても膨らむのではないか?

そんな風に自分の考えを止めない。暴走させる。特に「やる意味のある」ところに持っていく。

こうして「NO BORDER」は形を表していく。

そこにはたくさんの人たちとの会話がある。行ったり来たりする。

僕が考えていた方向と違う意見が出されることもある。一回は「自分が考えていた方がいい!」と突っぱねる!でも気になる。さらに一人で考える。そして新しい意見を取り入れることを決める。それは大きな一歩だ。

今アイデアを実行に移すときに「みんなの意見を取り入れすぎる」のではないか?と思っている。

もし失敗したときに責任を分散しておきたいからというブレーキをかけているのではないか。

「みんなで決めたじゃないか?」

それがスピードとタイミングと成果物を決定的に損なわせているのではないかと思。

誰かが「見えないくらいの先の先まで先ずは走る!」

そしてそのチームの人が全力で追いかけるような作り方をして初めて「今までないもの」は形になる。

この場合は企画者である私が演出家でもありどんどん妄想を膨らませて「こうなりたい」「これはできないか?」「いやさっき言ったことは変える」「こうなったらどうか?」

そう暴走してチームのみんなが力づくで止めるような形こそ実現への道だと思う。

こんなことに付き合ってくれる人たちに会えるかどうか、という運があるか?が大切だったなあとここまで書いて思いました。

緊急連絡!初日の「40カ国の人を招待したスペシャルデー」の入場券をリターンとして選んでいただいた方へ

緊急のご連絡です。リターンの中に「初日”40カ国の方をお招きして開催するスペシャルデー”」の観覧券があり、それは40カ国の方がスキャンされる回なので会場でのスキャンはないのですが、その会を目撃していただけるというスペシャルな回で5人の方にお申し込みいただいておりました。

しかし!

そのリターンの中にある映像の中身が技術的都合で変わらざるを得なくなってしまいました。

その内容は23日14時50分にCAMPFIREを通じて送られたものです。

期間中のリターンの変更は本来あってはならないものです。大変申し訳ありません。

変更後の内容についてはメールに書いてありますのでご納得いただき返信をしていただけると大変ありがたいです。

このリターンを選んでいただいた方の変更へのご承認がいただけて、新しいこの公演のチケットのリターンのスタートができるようになりますので大変お手数ですが返信をいただけますよう重ねてお願い申し上げます。

公演を見ていただいた後にご自分のダンス映像をダウンロードできる部分の変更はありませんが内容の変更が技術的要件でやらせていただければと思います。

何かご不明な点があればお問い合わせいただければと思います。

今回はご迷惑をおかけして大変申し訳ありません。

よろしくお願いいたします。

電波少年を最初に応援してくれたテレビ誌のことを今でも忘れない

支援金額が30%を超えました!ありがとうございます!!!

現在パトロン24人!のちに自慢できると思います。

「あの世界で話題になっている”NO BORDER"な。アレ最初はクラウドファンディングだったのよ。その最初のパトロンの24人に入っているのよね。うん!」

1992年の7月にスタートした「進め!電波少年」ですけど一応”制作発表記者会見”ってやったんですよ。松本明子、松村邦洋、僕で。来た記者の人、ひとりだったんですね。1人!

それで急遽会場を応接室にしたんですけど、忘れないなあ。

来てくれた雑誌は「TV LIFE」っていうテレビ誌で、人気番組になってもとにかく他のテレビ誌より「TV LIFE」を優先しました。そういう時に応援してくれた人って忘れないもんです。

あ、ここまで一般公開にしようかな。

それでこの先をパトロン限定にするっていう作戦とっちゃうかな。

この週末にあと10万ほど増えていただいて50%を達成したいと思っております。

よろしくお願いします!

SNSによってコンテンツは莫大な流通量になった

僕自身はかなり極端な方かもしれませんがSNSにかなりの時間を割いていると思います。

一昨日八王子の中央大学でゲスト講師をやったんですが、その中で160人ほどいる学生さんにメディア接触調査をしたんですね。民放テレビ、NHK、netflixなどのSVODサイト、FacebookなどのSNS、youtubeなど動画サイト、ラジオ、雑誌、新聞。

「一週間に一度は接触したか?」という質問と「一番大事なものは何か?」

案の定LINE強かったですね。僕が若い頃から「長電話」ってのは学生の得意技でしたけど、それが携帯になって、そしてテクノロジーの力でスマホのLINEになって。

だから”上から降り注ぐ”コンテンツじゃなくて”同じ目線の高さ”の友達とのやりとりというコンテンツが一番大事なものということですよね。大昔は手紙のやり取りだったのが今は瞬時にLINEで繋がれるんだから「そうなるでしょ?」と今はそう思うけど出てきた当初はやっぱりそう評価されなかった。「話した方が早い」「字離れしている時代に打つと思えない」

人ってのは「変わらない」バイアスが一旦はかかるのかもしれないですね。

そしてライブエンタテインメントもその方向があると思うのですね。

音楽にも「体験」が重視されるようになった。コピーされた音楽よりもライブに行くことの意味。さらにFesに行く形に音楽を含んだライブエンタテインメントが向かっている。

それはまさに”体験”で「体験している私」がデジタルコピー時代に確かな手応えとしてその存在感を増している。

では次は何か?

それは”私そのもの”ではないか?

私が見に行ったライブエンタテインメントで踊っている!

それが「NO BORDER」です。

それを見たときの感情を実は正確に僕も捕らえられていない。

「自分がステージで40人の中でキレキレのダンスをしている」

これを読んでいる人はおそらく券売が始まったらチケットを買ってくれる人だろうと思う。

そのくらい早くから「このNO BORDERは面白い」と直感してくれた人だ。

その直感はまちがいなく正しいと思う。自信を持って。

でもその舞台を見たときの感情はいま思っている、予測している感情を超えるのではないか?という予感がある。

だから「等身大の大きさに」とか「ステージの高さにスクリーンの下が来るように」とか「音楽の強弱はこんな感じで」とか「ダンスはここはみんなが踊れるもの。この部分は絶対に普通の人では踊れないものを」とかディテイルを一つ一つ詰めている。

その集積が見に来てくれたお客さんに届いたときに”どんな感情が生まれるのか?”

そういえば記者発表でも大学での授業でも中国の取材陣、旅行業者、そして留学生がこの「NO BORDER」に強い関心を持ってくれました。

中国の人は今感度が高いのかもしれません。

今日の分ギリギリ!

テレビ界の大先輩たちと会ってこの「NO BORDER」の話をしたら『楽しそうだねえ』と言ってもらえたことが今日の嬉しかったことです。

あと他局の番組プロデューサーからも「面白そうですね。紹介させてもらうかも」と言ってもらえたのでHPのアドレスを紹介しておきました。

https://noborder-earth.com

連休中に大事な部分の収録があります!

ディテイル詰めに頑張ります!

この続きはパトロン限定で。

平成はテレビの時代だった。いや違うな。でも令和はもっと違うぞ。

今日は「渋谷のラジオ」の後、ある代理店で開かれていた勉強会の打ち上げパーティーに参加してきました。その60回の講座のうちの一回の講師をやらせていただいたからだ。

そこには「なるほどザ・ワールド」の王東順プロデューサーや「ひょうきん族」の三宅恵介ディレクター、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の白井博プロデューサーなど大先輩がズラリといらっしゃった。

そんな中でショートスピーチ。今やっていることとしてこの「NO BORDER」の紹介を少しだけした。するとその後その大先輩たちに「いつまでも楽しそうなことやっているな」と言っていただいたことが嬉しかったのだが、同時に「皆さんと僕ぐらいまでがテレビが楽しい時代でしたね」と言いたくなった。残念ながら僕が憧れていたこの先輩たちの時代のテレビの現場は飛び切り楽しそうだった。そして僕の時代を経て今、楽しくないというのは語弊があるかもしれないがあの頃よりはやはり楽しそうにやっている人間は少ない。全然いないということはないのが救いではあるだろうが少なくなったという実感を客観的にみて否定できる人は少ないだろうと思う。

あの頃は良かった、というのは大嫌いであるし今に至ったことは必然であるし、今のテレビの戦い方という僕の知らない楽しみを感じている人たちもいるだろうとも思う。

帰りの電車で隣に座った40代のサラリーマンが熱心にスマホゲームをやっていた。

僕らの頃も電車の中で漫画雑誌を読んでいて「今時の若いものは」と嘆かれたものだから、それが今はスマホゲームに変わっただけだろう。幸いにして僕はスマホゲームは今現在全くやらない。このことを幸いであると思う。時間がそのゲームコンテンツというジャンルに割くことがないからだ。その分SNSに割かれているから同じかもしれないですが。

その昔「電波少年」を始めた頃こんなことを思っていた。”知っていた方がいいニュースはある”

例えばその頃の総理大臣の名前。都知事の名前。牛のゲップで温暖化が進むという説があること。などなど。だからそんなニュースを”アポなし”という切り口で伝えることにほんの少し意義を感じていた。今”みんなが知っているべきニュース”ってあるんだろうか?大体ニュースってなんだろう?

最近一番ニュースが見られた瞬間は「令和」が発表された瞬間だということだ。

みんなが知っていた方がいいニュースは”次の元号”だったということだ。

そんな”みんな”と”テレビ”は相性がいい。

でももう実は”みんな”はほぼ息絶えているのではないか?

だから新聞もテレビも”みんな”はもうないから”離れ”が起きている、ということが言えるのではないだろうか?

いいこととか悪いことではない。世界にコンテンツは溢れていて、その入り口は日常的なSNSなどによって開かれている。昔はその入り口は大手メディアに限られていたからその先に膨大なコンテンツがあることも知ることができなかった。

今はインターネットとSNSによって完全に「テレビの時代」が変わってしまったのだ。

今の「テレビの生き方」はその昔の今日の大先輩たちが作っていた時代、僕らの時代と全く変わっている。

そんな中僕は「ライブエンタテインメント」という体感、体験というジャンルに移れてきていること(かどうかはこの「NO BORDER」の結果次第かもしれないが)は幸せなことなのだろう。

とても制作日記とは言えないようなものになってしまったが、時代は本当に変わったのだと感じたので今日はこんなことで。


電波少年はタイトルよりガキだった

電波少年、と言うタイトルより電波少年は「少年」いや「ガキ」だった。

と言う話を思い出してしまった。

「今までにないものを作る」と言うのは「みんなと違うものを作る」と言うことであって

だから普段から「みんなと違うことをやる」さらに「みんながやることをやらない」と言うことになっていった。

電波少年には毎回ゲストがいた。番組にマニアックな人気が出てくるとマニアックな芸能人が先方から「ゲストに出たい」と言うオファーが来ることがたまにある。普通だったら「喜んで来ていただく」ところであるから電波少年は「絶対に呼ばない」だった。たまにキャスティングをしてしまった後に直前で「電波少年の大ファンなんです」と言ったりする女優さんがいると、ゲストトークコーナー「〇〇さんにこんなことやってほしい〜!」のコーナーであり得ない下品なことを要求したりとか。小学生の男の子がクラスの好きな女の子にわざとイジワルなことを言う、そんなノリである。あまりに酷すぎてゲストは帰ってしまうし後でマネージャーから連絡があって「あの部分は絶対に放送しないでください」と言われカットせざるを得なかった。

普通の番組はなるべくビッグなゲストを呼びたいと言うものだが、それにも逆らっていたのだ。

今「NO BORDER」のパトロンになると16731文字の「制作日記」が読めます!

ここまで書いた「制作日記」の字数を数えてみました。

16731文字でした。

通常原稿用紙って1枚400文字ですね。

原稿用紙42枚!結構な重さになりますよ!

主に書いているのは「NO BORDERを例にとってアイデアの思いつき方。その出発点の決め方。向かう方向。一緒に武器として携えること」です。

今このサイトから支援していただくと全部読んでいただく上に、この先も9月16日まで毎日更新される制作日記とアイデアについてのいろんなヒントを全部読むことができます。

最低料金は1500円と大体本一冊分ですが、最終的間違いなく本一冊以上になりますし、このテーマで僕が本を書くことはないので”ここだけで読める内容”であることは間違いないです。

写真にあるTシャツも作る予定で、このリターン(6000円)も選ぶことができます。

(サインなしモノクロ)と「通信欄」に書いてもらうとこのパターンのTシャツ(僕のお気に入り、佐野研二郎さんのデザイン!)が送られて来ちゃうということ!酔狂な方は(サインありモノクロ)を選ぶと僕のサインが入っているものも選べます!

ぜひこの週末で25万円、50%を達成したいので「16731文字のブログ」よろしくお願いいたします!

昨日のモーションキャプチャーは大きな山場だった

昨日は「NO BORDER」の大きな山場であるダンス部分のモーションキャプチャーの収録日でした。大きな山場でした。これがうまく行くか行かないか、でこの「NO BORDER」が成功するかどうか?という日でした。

朝9時台からセッティングをしてTOMOさんKENZOさんが入り時間は13時。

打ち合わせ(事前に振付を考えてくれていたのでそれをどのパターンにするか?)などを軽くして早速着替え。

写真はその中のワンシーンの秘蔵メイキング写真。

二人が来ているのは特殊なモーションキャプチャー用のスーツ。

ダイビングのウェットスーツのようなものに特殊な蛍光塗料を塗ったボールが53個ついています。これを360度取り囲んだ特殊なカメラでキャッチして3次元空間の中に二人の動きを記録していきます。

最終的にこの記録したものを40体作り、そのダンスするボーン(骨)に当日来場したお客さんのスキャンした3Dの姿を着せると「その日来場したお客さんがDA PUMP TOMO&KENZOの踊りそのものを踊ってしまう」ということになるのです。

「踊りそのもの」っていうのが不思議なことで、KENZOさんが言っていたのですが「普通振付を作ると次はそれを誰かに覚えてもらうレッスンの時間が必要なんですね。それがこのシステムはそれを飛び越して僕が踊ったそのものを誰かが踊れてしまう。こんな経験はないですね。僕の踊りも世界中の何万、何十万の人が踊ってくれるってことですものね。いや嬉しいです」

という嬉しい熱意に支えられて収録は進むわけですが「今までにないもの」ですから、そう一筋縄には進みません。


いよいよ今日DA PUMPの二人による振付をモーションキャプチャーで撮る!令和一発目の仕事だよ!

今日は「NO BORDER」のメイキングの日としてはとても大きな日だと言えるだろう。

振付けのDAPUMP KENZO&TOMOのお二人によるダンスのモーションキャプチャーが行われるのだ。

モーションキャプチャーは二人にとっても初めてのことだし、通常ゲームを作られるのに使われる技術で、こういうライブエンタテインメントに使われるのは初めてだ。

初めてのことと言うのは思っても見なかったことが起こるもので、今日はそれをみんなで一つ一つ超えていく日になるだろう。

今日が超えられればあとは初日まで一気に走ることができる気がしている。

そんな日が令和初日というのも縁起がいい。

大まかな振付け案は二人が何案かもってきてくれて、それを現場で話し合って選んで、次は実際にモーションキャプチャースーツを着て踊ってもらう、という段取りでゴールまで進んでいく。

果たして!




NO BORDERの1部の中身はまだ決まっていない

「NO BORDER」は基本的には2部構成になっています。

一部はが〜まるちょばが進行します。

ここはまさにライブ=生部分になります。

が〜まるちょばらしい毎日何が起きるかわからないステージです。

これまでのが〜まるちょばのステージを見たことある方もかなり驚くと思います。

ライブとテクノロジーが合体した見たことのないステージになります。

そして毎日違います。

なぜなら毎日お客さんが違うし、毎日”気づき”があるし、それに対応してこそライブだし、そこに関するテクノロジーをAR三兄弟がバリバリに作り上げていく気が満々だからです。

実はが〜まるちょばのHIRO-PONはバリバリのアナログ人間です。

ARもVRも何もわかりません。これからも今現在も。

そこにある空気(お客の表情、ちょっとした仕草、起こってしまったハプニング、お客さん誰かが出した音など)を操って世界中を言葉なしで笑わせてきた男です。僕は多分通算100回以上が〜まるちょばのステージを見ていると思いますが、毎回新鮮に爆笑します。それはライブという”空気を操る”からです。

そこにAR三兄弟のテクノロジーが絡みます。

お互いが大変リスペクトをしています。

本格的には内容はこれからです。

会っているのはもう1年前です。もう10回以上会っていますがまだ内容はほとんど決まっていません。というよりあえて決めてないと言った方がいいでしょう。7月7日の初日まで決めていないのだと思います。決まったことは何一つなくオープニングが始まることは間違い無いと思います。

それがライブだからです。その日のそこでしか起きないことが最終日まで毎日起こります。

そこの空気が毎日違い、それを操り変幻自在に変わるのがが〜まるちょばだからです。

とにかくこれまでバリバリのアナログだけでセットも音楽も照明もほとんど使わなかったが〜まるちょばに最新のテクノロジーが掛け合わされるのです。

それを楽しみと言わず何を楽しみというのでしょうか?



電波少年はタイトルよりもガキだった(後編)



当日までゲストをキャスティングせずに、本番の1時間前にMCの松本明子に「ゲストキャスティングしてくれ」と言ってその時間に日本テレビにいた他の番組の出演者にお願いしたり、それでみんなに断られて「他の番組観覧に来ていた一般のお客さん」をゲストにしたり「結婚したばかりの番組放送作家の奥さん(一般人)」をゲストにしたり、まあ普通の番組でやることの逆ばかりをやっていた。

それによって番組スタッフの頭が痺れていった。痺れている番組を見ている人には「他にない」から中毒性があったかもしれない。この時代の電波少年が好きだと言う人は本物の「フリーク」だと思う。そう言えば「電波少年フリーク」と言う言葉は一部にあった。

メジャーなテレビメディアで「マニアックなファンを表す”フリーク”と言う言葉」があることが異常だと思うがあの頃は確かにあった。

「なんとなく好き」「嫌いでない」ではなく「刺さっている」だった。

作っている方もどんどん”なんでもあり”になってくる。

そんな中で「猿岩石ユーラシア大陸ヒッチハイク」は生まれたのだと思う。

半年以上海外に行きっぱなしのロケの企画など”今までにない”

有名人ではなく全く無名のオーディションで選んだ芸人が行く企画など”今までにない”

ちゃんとしたテレビカメラではなく、一般用のビデオカメラで撮ったものは”今までにない”(どころかやってはいけないものだった)

それをカメラマンでなくディレクターが撮るなども”今までにない”

それだけ”今までにない”尽くしな企画が実行できていたのも”普通の番組がやることをやらない”と言う日々の生活態度が生み出したものだったと思い返せばそうだったと思うのだ。

「NO BORDER」は”今までにない”ものです。だからテクノロジーもCGも美術も券売も営業も”今までにない”ことをやって行かざるを得ないし、やっていきたいです。

ぜひ目撃、体験しに来てください。


NO BORDER は人に説明するのが難しい

ご支援ありがとうございます。「水道橋博士のメルマ旬報」にNO BORDERについて寄稿しましたので支援者の皆様にも共有させていただきます。
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大阪のウィークリーマンションに住んでいる。
1年以上前から準備していたライブエンターテインメント「NO BORDER」が大阪城公園内COOL JAPAN OSAKA SSホールで始まったのだ。
正直、連日満員御礼とはなっていない。確実にぶっちぎりに面白いのにお客さんが中々入らない。こういう現象って送り手側が面白いと思い込んでいるだけで客観的に見ればそうでもないから、と言うのが通常であるだと思うのだが、このNO BORDERについてはそうではないと確信できる。それはコンテンツ作り40年をやってきた全てを賭けてそう言い切れる。
だから焦ってはいないとも言える。いずれは世界中で「これはすごい」と評価されるだろうと思っているからだ。でも「なぜだ?早く気がつけ世界」とも思う。
なぜ「NO BORDER」はクイックなレスポンスで爆発的な集客が起こらないか?
と言うことについて考えてみようと思う。
体験してくれた人たちが口を揃えて言うのが「人に伝えるのが難しい」と言うこと。「あなたの分身がキレキレダンス!アバターテインメント誕生」現在劇場前で叫ばれているキャッチコピーである。この文字数では言い得ているんだけれど、でもこの出し物の魅力を伝えられていないと見た人は思う。
例えば映画の宣伝で「感動」だの「絶対泣ける」だのコピーを駆使し、それでこの監督、この俳優女優でと言うとある程度は想像ができる。またはその監督、俳優または原作者のファンがいてやっぱり見る前に想像をしてチケットを買う。それは想像以上のこともあり裏切られることもあるが、でもそれは「想定内」の範囲である。
ところがこのNO BORDERは自分のアバターが舞台上のスクリーンの中でキレキレのダンスを踊ると言うことが「今までに無さすぎて」想像できない。
いや理解はできるし、それがどんなことかは想像できるだが「それを見たときにどんな感情になるか?」が想像できないと言うべきだろう。
だからそれを体感した人間が「人にこの感情を説明するのが難しい」となる。
ほんの数分前に銀色のボックスに入って「バシャ」とシャッター音がしてどうも写真を撮られたような気がするが、それがが〜まるちょばのパントマイムで笑っている最中に突然暗転してスクリーンの奥から自分が40人のうちの一人として出てきて、さらにそれが等身大で、そしてキレキレのダンスを踊り始める映像を目の当たりにしたときの感情を「なんと伝えたらいいのか分からない」となるのだと思う。
そのアバターが色んなコンビネーションで色んな情景の中で踊りそして最後にはNO BORDERな感情を持ってステージが終了するをものを見ている感情、それは正直“感動”と言っていいものだと思うが、想定を超えているので「言い表せない」となるのだと思う。
劇場内の一番後ろの席で最後のシーンを見ることが多いのだが、不思議な感情、感動が劇場内に満ちているのを毎回実感する。感想を聞けば非常にリアルな「面白かったです」と言うコメントを聞くことができるがそれ以上はあまりない。分析が難しいのだ。自分が「キレキレのダンスを踊る」と言う“有り得るかもしれない別の自分”に会った直後の自分の感情にどう対処していいか分からないと言う感じなのだろうと思う。ドッペルゲンガー現象が本当に自分に起きたときの感情。
だからこそ、このNO BORDERは革命的と言っていい新しいエンタテインメントになっている。
このNO BORDERからエンタテインメントは新しいジャンルが生まれていくことになるだろう。
それをいつ触れるべきかはあなた次第だ。




「NO BORDER」オープニング公演のためのクラウドファンディングがあと18時間に迫りました!

NO BORDER第一回目のクラウドファンディングあと18時間になりました。

現在達成率45%。なんとか残り時間で50%を超えたいものです。

All-In方式なので達成・未達成にかかわらず我々の方にお金をいただくことになります。

現在41名のパトロンの皆様に心から感謝いたします。

22万5500円に対して41名って人数は多いです。内訳をみるとこの制作日記(活動報告)を18人もの方がリターンを選んでくれているということです。

すでに41人の方が「自らお金を払うほど」強い関心を『NO BORDER』に持ってくれている」というのは本当に心強いことだと思っています。この方達から初日7月7日に向かってその応援の気持ちが拡散していくことがクラウドファンディングを始めた理由でありますから負け惜しみではなくていいスタートが切れたと思います。

と言うことで最終日になりました。今後世界に向けて広がっていく「NO BORDER」の最初の支援者であったと後々自慢できるようになるために残された時間はシンデレラのように時計の針が12時を指すまでです。

ぜひ今から参加してください。

58人の支援していただいた方に心から感謝します!

先ほどCAMPFIREでのクラウドファンディングが終了しました。

ご存知かと思いますがAll In方式ですので100%を達成できませんでしたが支援はありがたく受け取らせていただきます。有難うございます!

内訳は活動報告「The Making of NO BORDER」閲覧権21人

   オリジナルTシャツ(が〜まるちょば、千手観音かずこ、土屋敏男サイン入り)22人

   そして7月7日初日オープニング企画「40 Countries Special」観覧権がなんと15人!

この初日のチケット!この日のために至る物語をこの活動報告の最初から書かせていただきました。その初日のチケットが正式に発売される2週間前に15枚も売れているということに、今身が引き締まる思いです。(つい先日チケット発売日は5月19日と決まりました)

「今ないものを作りたい」

1年半前吉本の大崎洋社長の「ツッチーなんか考えてや!」という言葉から始まった物語が実を結ぶ瞬間がその初回ステージです。「NO BORDER」国境がない瞬間をエンタテインメントとして映像として作りたい!という思いが果たして叶うのかどうか?世界中の国境が日々高くなっていると感じる中で日本から”NO BORDER!"という声があげられるかどうか?

その瞬間を見届けていただけること本当に嬉しく思います。

今スタッフはGWの最中もその実現に頑張っています。もちろん英気も養いながら。

そして7月7日のその初回ステージはスタートを切る日でもあります。

最終日9月16日まで連日ブラッシュアップが行われていくことだと思っています。

その原型となる一回だけの初日ステージを見ていただけること。

見終わった後に「確かに『今までないもの』」と言っていただけるように日々頑張っていくことを

改めて支援者の皆様に誓わせていただきます。

なんと初日のチケットを15人!の方がリターンに選んでいただきました!
とにかく有難うございます!とお伝えしたく残り5分ですが書き込みます!


残り2時間になりました!56%を越えました!

7月7日初日第一回公演「40 Countries Special」のクラウドファンディングがあと2時間となり最後に急伸しています。誠に有難うございます!

All In方式で達成してもしなくても支援はいただく仕組みですのでご了承ください。

応援される喜びというのを感じにくいシステムでコンテンツを作り続けて来たので非常にそれを感じています。

テレビは視聴率という指標が何100万、20%以上だと理論値で1000万を超えますので正直一人一人という個人が見えてこないで「みんなが見てくれているかどうか?」を気にすることになります。テレビ番組以外をテレビ局の中ではかなりした方だと思うのですがこの癖はなかなか取ることができませんでした。そこで今回興行=一人一人がお金を出してチケットを買ってくれるかどうか?ということに挑むに当たってクラウドファンディングという方法にこだわりました。

そして「やれること」ということで(ほぼ)毎日この制作日記を投稿する、ということを自分に課しました。これは糸井重里さんがほぼ日をやり始める時に課したことでそれを本当にやり続けたことが”ヒットした理由”というより”やるべきことを見出した理由”なのだと思います。インターネットとは何か?を毎日「今日のダーリン」を書き続けることによって自分で見つけられたのだと思います。

僕もようやくテレビ以外のものを作ることとは何か?を見出せ始めたような気がしています。

まだ本当に入り口に立っただけでしょうが。

そしてそれが本当にマスメディアだけではない時代に、皆が発信者となりその時間をシェアしてもらうための、そしてそのコンテンツが”意味のある”コンテンツになるには?という問いの答えにつながるような気がしています。

今現在52人の支援者の皆様本当に応援ありがとうございます。

その方達を裏切らないためにこの「NO BORDER」を享受してもらってよかったというライブイベントに少しでも近づけていきます。

次回の「Mama & Baby Special」@Makuake は来週早々から始まります。

引き続きよろしくお願いいたします!



みんなの知恵が集まる、と言うこと。

結局コンテンツというのはスタッフ全員でかけた時間に面白さは比例する。

最初は僕の思いつきでしかなかった原型が多くの人とのキャッチボールを経て観客の前に姿を現すまで後2ヶ月をもう切った。

そして素晴らしいアイデアが昨日生まれ数ヶ月解決できていない問題がクリアになった。

僕にとっての原点であり原典でもある欽ちゃんの言葉をまた思い出すことになる。

「家に帰って考えるようになったら数字(視聴率)は行く」(「We Love Television?」より)

欽ちゃんは何かと言うと「数字=視聴率」を例えに出すのだが、それはテレビ業界の人間のちからを結集するために言うのであって「数字=面白さ」と言い換えてもいい。

つまり番組に関わる出演者、スタッフが会議などの場だけではなく「家に帰っても」つまり常に番組のことを考え続けなければ面白くはならないと言っているのだ。

欽ちゃんはそのことを何十年もやってきたし(お正月やGWなど人が遊んでいる時こそ”考えるべきだ”とそれを実行してきた)そうやってきた番組、少し視野を広げれば事業、研究、会社経営全てに当てはまるのだと思う。

そう言えば「あの働き改革ってのがわからない。”働きたい人の自由”ってどうなっているんだ」とつい先日も言っていた。僕もあの議論は「労働」と「仕事」をゴッチャにしている議論だと思う。

これから仕事を選んでいく人にやはり言いたい。仕事を選ぶとは自分が何を通じて社会に貢献するかを選ぶことであって、そのことと「労働」という数値化されることをゴッチャに考えてはいけない。

とにかく「NO BORDER」は家に帰っても解決策を考え続けたスタッフのアイデアで大きな問題が解決されたというお話でした。





選べる未来は一つだけ。

思わぬことが起きます毎日。

「NO BORDER」は誰もやったことがないことだからそれはそうなります。

今日はプロジェクターの置き方に関して変更がありました。

いかにお客さんから邪魔にならないように、そしてステージ上の演者に妨げにならないように

と思って最初の設置の仕方を考えていましたが、技術的にどうしてもクリアできない点が出てきました。プロジェクターの技術の方とがっつり打ち合わせです。その前に当然代替案を考えていきます。ところがその代替案が素人の机上の空論だとすぐに判明します。

「こういう方法ならできます」「いやそれは演出意図がまるで逆になります」

などなどの議論があり、そこで大事なのは想像力です。

客席からどう見えるか?
それはスクリーンの中をどう作るか?ということに関係しています。そのことの最新状況を知っているのは演出家の僕だけです。全体の照明をどう作るかにも関係しています。それもこれからですからそこも計算して「想像」しなくてはなりません。そしてそれは今までの経験を全部足しても「多分こうなる」しかありません。

最終的には「神様味方して!」です。

最初にこだわっていた部分を全部捨てました。そして新たな見せ方が決定。このことが後で振り返って「あそこでこのプランにしてよかったね」となるかどうかは

やってみなけりゃわからない!

そして何より大事なのはその結果を「やっぱりこれで良かったんだ」とその時に思うこと。
どうやっても選べる未来は一つなのだから前向きに受け止める。

そうしたら次のツキもやってくる。





何かを作る時に思い出すこと

制作日記としては実り多い二日間でした。

昨日はCG打ち合わせ。新しいスタッフと顔合わせもありました。

ここから加わってくれる人が増えてきます。

今日は音楽の録音。ダンスパートが実に10分ありますからこの音楽の役割は極めて重要です。

森大輔さんが作ってくれています。

イメージをなるべく細かく伝えていきます。

でも日々揺らぎがないか?そのイメージに。

あります。と言うより打ち合わせの最中にそしてレコーディングの最中に「こっちのほうがいいかも」と言う提案があったりします。いや双方のコミニケーション不足で行き違いがあったりします。でもその行き違っているほうが面白いと言うこともあります。

常に何百万通りの方向があることを考えながら、そのことに気がつこうとしていることが重要です。何も自分の最初のイメージ通りに作ろうとしないことです。

でもそのスタジオを出た瞬間に「元に戻したほうがいいかも」と思うこともあります。

躊躇わずに「こう言う懸念がある。そのことを考えて入れて最終仕上げをして欲しい」と歩きながら伝えます。

それらをすることに躊躇がないのは20代で関わったあるスペシャル番組の強い記憶があるからです。それは世界の料理を集めて1位を決めると言う番組でした。

これも「今までになかった番組」でした。たった一人のプロデューサーがその番組を企画しスポンサーを見つけ世界を飛び回り生放送に漕ぎ着けました。成立したのが全く奇跡としか言いようのない番組でした。フランス、アメリカ、中国、トルコ、スイスなどなど世界10数カ国から有名シェフを集めてホテルのキッチンで作ってもらい世界中のトップスターが審査をしたのです。僕はアシスタントプロデューサーという雑用係でした。でもほとんどの準備を僕が8割したのだと思います。生放送が始まる前の数日間はほとんど寝ていなかった。

そして生放送が始まって10分過ぎて「この番組は面白くない」とわかりました。大先輩大ベテランディレクターが中継車のD卓に座っていたのだと思いますがどこをどう見ても面白くなかった。

それは20代の僕でもわかった。そんな番組のために何日も寝てない。いやこの数ヶ月は全てを犠牲にしてこの番組に全精力を費やしてきた。

それでも「面白くなかったらどうしようもない」

その時の悔しさを今でも忘れていません。

その後もいくつも番組をやって正直それよりも面白くない番組をいくつも作った。視聴率はその通りに出ました。1%台の番組は赤字を出し過ぎた他のレギュラー回を穴埋めするために作った回だった。これほど視聴率は正確なのかと思いました。

その後「元気が出るテレビ」のディレクターをやりました。いまのテリー伊藤さんが演出家伊藤輝夫だった時代。現場は無茶苦茶だったけど放送されるものは面白かった。いろんな人が倒れていったけどそれでも面白かったから結束は崩れなかった。

だから「面白いかどうか」という追求は全てを犠牲にしても100%成し遂げなくてはならない。

「NO BORDER」未知の部分がまだまだたくさんあります。

後もう2ヶ月しかない。


この後Makuakeで次のクラウドファンディングが15日から始まります

タイトルに書いた通り次のクラウドファンディングは5月15日からMakuakeで始まります。

テーマは「Mama&Babies Spcial」の開催です。

これがどう言うものかは Makuakeが始まってそちらに書くことにします。

ちなみにMakuakeで書くものと同じもの、と言うか「活動報告」は一つだけですので、引き続きこちらにも書き続けさせていただきます。

とは言うもののひょっとすると「ほぼ」毎日、と言っていたのがこの期間になって、今日以降15日が始まるまで少しお休みする日があるかもしれませんのでご了承ください。

GWが遂に終わりましたがいかがでしたでしょうか?

僕はテレビを作っていた時代にGWという習慣を失くして、今回も仕事が入れば仕事をするし、入らなければ休む、という日々を送っていました。

そして幸いにも新元号が始まった日にこの「NO BORDER」の大きな山場であるダンスのモーションキャプチャーがありました。

2日にも打ち合わせが入り3日も打ち合わせ。でも後7日は休んでいたことになります。

映像業界の人間はこういう時に見たかった映画に行ったりするのですが僕は「アベンジャー」が気になりつつ見たのは自主制作映画の試写会に一度、単館系の映画に一度という極めて少ないものでした。

そしてその2本を見て「なぜ作るのか?」ということを考えていました。

テレビは「みんな」に見てもらうことを目標に作られています。しかし自主制作映画、単館系とその「みんな」からは離れていきます。もちろんそれらも「一人でも多くの人に見て欲しい」という作り手の思いはありますが最初から「みんな」を前提にしているテレビとは大きく違います。

ではこの「NO BORDER」はどうなのか?

そんなことを考えながら日々を過ごしています。

「今ないもの」はそれだけで存在の意味があるものだと考えています。それは「今ない幸せ」を生む可能性があるからです。それが「世界に今までにない」ものだったら「世界中の人を今ない幸せ」にする可能性があると思うんですね。

58人の支援していただいた方に心から感謝します!

先ほどCAMPFIREでのクラウドファンディングが終了しました。

ご存知かと思いますがAll In方式ですので100%を達成できませんでしたが支援はありがたく受け取らせていただきます。有難うございます!

内訳は活動報告「The Making of NO BORDER」閲覧権21人

   オリジナルTシャツ(が〜まるちょば、千手観音かずこ、土屋敏男サイン入り)22人

   そして7月7日初日オープニング企画「40 Countries Special」観覧権がなんと15人!

この初日のチケット!この日のために至る物語をこの活動報告の最初から書かせていただきました。その初日のチケットが正式に発売される2週間前に15枚も売れているということに、今身が引き締まる思いです。(つい先日チケット発売日は5月19日と決まりました)

「今ないものを作りたい」

1年半前吉本の大崎洋社長の「ツッチーなんか考えてや!」という言葉から始まった物語が実を結ぶ瞬間がその初回ステージです。「NO BORDER」国境がない瞬間をエンタテインメントとして映像として作りたい!という思いが果たして叶うのかどうか?世界中の国境が日々高くなっていると感じる中で日本から”NO BORDER!"という声があげられるかどうか?

その瞬間を見届けていただけること本当に嬉しく思います。

今スタッフはGWの最中もその実現に頑張っています。もちろん英気も養いながら。

そして7月7日のその初回ステージはスタートを切る日でもあります。

最終日9月16日まで連日ブラッシュアップが行われていくことだと思っています。

その原型となる一回だけの初日ステージを見ていただけること。

見終わった後に「確かに『今までないもの』」と言っていただけるように日々頑張っていくことを

改めて支援者の皆様に誓わせていただきます。



吉本興業という会社のDNA


7月分のチケット売り出したのにこんな呑気なこと書いてる場合ではないのかもしれませんが、会社毎のDNAはあるなあと思っている次第です。

それは昨日の「ブラタモリ 大阪ミナミはなぜお笑いの聖地になったのか?」を見ていて思ったのです。元々は湿地だったあの辺りが開発されて人を集めるために芝居小屋や見世物小屋が多かった。その末裔というのがあのミナミのなんばグランド花月=NGKということなんですね。でここは大阪吉本の本社もあって吉本興業の発祥の地なんですが、その場所のDNAという漠然とした話ではなくて、この見世物小屋的な発祥が大阪の興行の基礎になっているのではないかと思ったのです。つまり劇場はチケットを買っていくという習慣があるんですが見世物小屋は当日その小屋の前を通って「面白そうだな。入っていこうか」というお客が大半です。この当日劇場の目の前を通った客を捕まえるというDNAが吉本になるなあと思い当たったということです。

今のNGKは常に満席で予約しないとダメ、それこそシーズンの初めに会社単位とか団体で席を抑えるというのが当たり前になっているらしいんですが、それでも劇場の前にはキャラクターのぬいぐるみとかいてPRという名目でチラシを配ったりしています。

他の大阪の劇場だけでなく吉本の新宿ルミネも若手芸人が下で呼び込みをしています。これは見世物小屋が周りにたくさんあった大阪のミナミのDNAではないかと思ったのです。吉本の人と話すと大前提として「今度の劇場の前にどのくらい人が歩いているか?」というのが工業の基本になっていることを感じるんです。

だから今回夜の回を今現在設けてないのは、新しい劇場で大阪城公園の中にあるので夜になると誰も通ってないのですね。普通は会社が終わってからの時間に来れるようにって夜の回を設けると思うんですが、それが繁華街にあるんなら吉本興業としてありかもしれませんが今度の劇場の環境だとないのだと思います。

これは興業をやって来た会社のDNAだと思いますし、NYのブロードウェイは当然チケットを買ってくる人がお客ですから夜ですけどそれとは違うということです。

そんなことですが「NO BORDER」は前売りチケットを買って見に来るのがオススメです。というのは「スキャン確約チケット」が前売りであるからですね。それも全公演8枚しかありません。

こちらのサイトでお買い求めください。

詳しくは https://noborder-earth.com #no_border


まだ明日ですが5月19日がチケット発売日です。


7月7日からいつまで売るのか?千秋楽の9月16日まで売るんでしょうか?

それとも7月いっぱい?

「スキャン確約チケット」というのが各公演8枚ずつ売るはずです。

これが安心してご来場になれるチケットです。

基本的に各公演40人の人が会場から選ばれてスキャンされます。

最初はS席=スキャンされる席。A席=見てる席 に分けようかなんて話もあったんですが、そうすると日本人に買い占められたらこの「NO BORDER」の一つの意味、国境ナシ、つまり日本に来た色んな外国人と共に踊ろう!というコンセプトに反するんじゃないか?ということで全体の2割だけ「スキャン確約チケット」を売ることにしたんです。

最初の方が狙い目ですよ。そしてその映像をシェアしたり、一人で踊っている映像をシェアしたりすることができますから。

本当に実感ないかもしれないですけど「本当に味わったことのない感覚」です。間違いないです!自分がダンサーで踊っているんですよ!ステージで!

それを見ている自分!訳わかんなくエキサイティングであることは間違いなしです。

関西にいる人!だけじゃなく関西にちょうど行く人!だけじゃなくこのために大阪行っても絶対に後悔させません!

僕を信じてアクションを起こすのは今です!

この「NO BORDER」の企画を思いついたかなり初期に「赤ちゃん40人が踊ったら最高に面白い映像になる!と思っていました。
残念ながらこの40人のベビーダンスは今回は見送らざるを得なくなりました。3Dスキャナに入ってシャッター一発で周りを取り囲む70台のカメラが撮影をしてそれが立体像を5分後には作り出すという夢のようなスキャナなんですけれど、対応身長が100cm以上なのです。それ以下だと結局何も写っていないカメラがたくさん出てしまって立体像を結ばないということなんです。
それでも諦めの悪い僕は「では前抱っこをしているお母さんと一緒ならできるんじゃないか?」ということで実験したのがこの映像なんです。
不思議なのは前抱っこされている赤ちゃんの足がお母さんのダンスに合わせて動いているように見えるということなんです。
4歳までOKですのでこれに該当する赤ちゃん、お子さんをお持ちのママ&パパに是非参加して欲しいです。
お母さんとベビーの2ショットでキレキレのダンスを踊る映像なんて絶対他で撮ることはできません。すごい記念になると思います。赤ちゃんが大きくなった時に見せてあげたら絶対に馬鹿受けすること間違いありません。
NO BORDERという意味には国境という意味もありますが「心の障壁をなくそう」という意味もあります。赤ちゃんが泣くことを電車の中で済まなそうにしているお母さんがいます。レストランも赤ちゃんが泣くと迷惑だということで同伴禁止というところも多いようです。ましてや演劇やライブもお母さんは赤ちゃんのために我慢しなくてはならないのが今の日本の現状だと思います。
でもNO BORDERはこの日だけではなく、すべての日で赤ちゃん歓迎です。
世界のが〜まるちょばは赤ちゃんが泣くことぐらいでビビったりしません。
泣くことが仕事なのです赤ちゃんは!という気持ちでMama&Babyを受け入れていますという象徴にこの「Mama&Baby スペシャル」を設けました。
是非すっごい記念の映像が手に入りますのでご参加ください!



明日からはMakuakeにも書くことになると思われます



制作段階は細部に来ているのですが、そこでぶち当たった大きな問題。

細部なのに大きい、という。そういうもの。

それを忘備録として。

極めてリアルな「あなた」が画面上で踊る。

おそらくかなり驚くことになると思います。間違いなく。

「なぜこんなことができるの?」としばらく茫然自失するくらいのインパクトがある。多分。

しかし人は時間とともに慣れる。その状況を受け入れるようになる。

すると今自分がいるこの現実とステージ上の出来事の境界を見つけようとする。

例えば映画でも演劇でも「その世界に入り込む」ことはお客さんがやること。

そうしてステージショーは成り立つ。
演劇、音楽ライブ、映画。それぞれの世界にどう連れて行くか?が作り手が最新の注意を払わなくてはならないことだ。

それが「自分!」が出ている舞台だ。自分が踊っている!ステージの上で!

その世界に連れて行く。見ている人たちの気持ちを!

そのディテイルを最新の注意を持って進めよう。

LONDON 参戦記

LONDON で開かれてた「Comic Conference」コミコンに1964 TOKYO VRをNHKエンタープライズが「THE TIME MACHINE」として出展したので、そのスタッフとして行ってきました。
とても面白かったですねえ。日本だと「コミケ」=コミックマーケットの略らしいですがコミコンも基本的には変わらなくて、この運営をしている人たちが世界中でやっていると。
そのイベントに昼間いて合間にロンドンの美術館などを回ってきました。何と言っても大英博物館でやっている「マンガ」展。大英博物館のキュレーターから見た「マンガ」。「マンガとはミケランジェロが描いた絵画と同じ意味がある」と彼女はインタビューに応えて言っています。その文脈で鳥獣戯画からスタートする展示はジブリの作品の裏にある井上雅彦さんのこの展示会のための書き下ろし作品で終わります。子供の頃から非常に見慣れた作品群をイギリス人の手によって並べ直される、分類される、それはマンガの過去も未来も。面白かった。
もう一度じっくり見たいですね。できれば英語の解説文も全て。
さらに行ったのは the DESiGN MUSEUM で開かれていた「スタンリーキューブリック」展。彼の全作品の様々なものが一気に展示されています。僕は「時計じかけのオレンジ」を中学生時代に見て言葉に表せないほどの衝撃を受けているのですが、こうして全作品を見ると一つとして同じ傾向の作品がない。それはテーマ、ジャンルのみではなく表現の仕方も。
キューブリックは常に前作をいろんな意味で「超える」ことを常に求めていたことがわかります。
そしてモダンテート美術館、JAPAN HOUSE,ナショナルギャラリー(ここでミケランジェロを見てマンガ展のキュレーターの言葉を再確認しました)
とにかく数えきれない刺激、インスパイアをもらいました。
これらの美術館、展示に当たり前のこととしてあって、日本では当たり前ではないこと、これをNO BORDERでも取り入れることにしました。
それは「全作品写真撮影可!」ということです。




本日はモーションキャプチャーと199カ国の国名録音




本日2回目のモーションキャプチャー。
黒沢とが〜まるちょばHIRO=PON。ダンス部分の本人の動き部分。
これ不思議なのは動きって他の人がやると絶対他の人だってわかってしまうことです。と言うとお客さん40人の中身がDA PUMPのTOMO&KENZOだとわかるのではないか?となるのですが「振り付け」がついているとそれは「ダンス」として完成しているので大丈夫なんですね。
ところが自由な動き。アドリブな動きとなるとこれはどうみても黒沢かずこでしかないしHIRO-PONでしかないんですね。
センサーを身体中に20ヶ所以上付けるんですが、これで個性が出ると言うことです。
そしてそれが終わって録音スタジオへ。
ここでは舞台上に上がっているダンサーを国別に紹介する部分があるのですが、そこのコールを世界中どこの国の人が来ても大丈夫なように199ヶ国の名前を英語で録音。これは千手観音かずこの役目なので「英語ではどうかな〜苦戦するかなあ〜」と思っていたのが黒沢の耳が予想以上に良くてお手本をおうむ返しに叫ぶ!と言う方式が上手く行って約30分で終了!
と言うわけで二人で新宿の居酒屋に行きました。
こんなこと電波少年の企画中にも終わってもなかったことなのですが。
やはり電波少年、雷波少年、ウリナリに出ていた出演者は僕にとっては特別な人たちなのだなあと改めて思ったのでした。

小屋入りしました!


いよいよクールジャパンパークSSホールの仕込みが始まり僕も今日入りました。やはり予測できないことはあるもので3万ルーメンという普通は屋外で使う巨大プロジェクターをこのNO BORDERでは使うのですが、これが舞台埋め込みにしたら床でジャンプするとその投射角度が大きいためかちょっとした揺れでも画面が大きく揺れてしまう。これは困った!誰かが「あの卵を落としても割れないっていう吸収材を下に引いたら揺れを吸収するのではないか?」いや各地点が一緒に揺れるから駄目だろうなどなどいった意見もあったが「とりあえずやってみよう!」となり近くのホームセンターに美術スタッフが走った!

とりあえず大きいの小さいの厚いの薄いの全部買ってきた!果たして!?

結果はいろいろ試してあるやり方をするとその吸収剤が効果を発揮することがわかった!

ということで一件落着!

やったことのないものなので予測できないトラブルがこれからも起きることでしょう!

しかし今日、海外のツアー客の予約が団体で入ったとの知らせにスタッフは沸き立ちました!

トラブルを乗り越え、ここからは地道な宣伝活動もして必ずこの「今までになかったライブエンタテインメント”NO BORDER"」を世界に向けて発信することを成功させます。

引き続きご支援をお願いいたします。




あと必要なのは思いも寄らぬドラマだ




NO BORDER開演まであと半月となった。

そして「今までになかったもの」が世にでる時に必ず直面する問題に直面している。

最大のボリュームゾーンは「今流行っているらしいから行ってみよう」というフォロワー集団であるから、この集団に到達するためにアーリーアダプター(新しいものに敏感な層)をどれだけ刺激できるかという段階がある。でそのためにはそういう層に体験してもらうための期間が必要ななるのだがテクノロジーが新しすぎて(このライブに合わせて初めて世に出すようなもの)その完成がギリギリになるので体験してもらうのがスタート半月なのにまだできていないのだ。

これは「今までになかったもの」を世に出す時に明らかなハンデを背負っている状態だ。

しかしこれはその体験期間が初演まで短かったとしてもそれが全体で二週間遅れているとすれば、世の中のボリュームゾーンに届くのが二週間遅れるだけだから実はまあどうということはない。

しかしここで思い返したいのが電波少年のユーラシア大陸ヒッチハイクの旅が日本中を巻き込むブームになった時に起こったことだ。このことを振り返りながらこのあとNO BORDERに起こるであろうことを予測しようと思う。

「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」という企画は僕の頭の中で生まれた。それは忘れもしないバブルの匂いの残る六本木の今はなき「青山ブックセンター」深夜3時だった。

「深夜特急」が文庫になって平積みされている光景に出くわした。そこで「香港〜ロンドン」

「バスではなく(スペシャルでやり始めた)ヒッチハイク」「毎週の連続もの(ドラマの経験から)」この思いつきから様々な検討が始まりそして「半年空いている芸人コンビ(つまりド新人)」のオーディションが始まった。ここで猿岩石に出会い選んだ。この後のあるポイントを考えると重要なキャスティングになるのかもしれない。
そして技術体制はディレクターが民生機のカメラを持って撮影することにした。(これは当時からするとかなり大きなジャンプだ)いよいよ生放送の中で何も知らない猿岩石有吉、森脇の二人に企画が言い渡された。生放送の混乱の中で二人は出発した。

次のポイントは香港から深圳に入る出入国ゲートだ。改めてビザを取って入国するという日に僕はそのゲートに会いに日本から行った。そこで猿岩石の二人に言ったのは「もしやっぱり嫌だ、日本に帰りたい、と言うならここから一緒に日本に帰ろう。行くんなら行かされるんじゃなく自分達の意思で言って欲しい。それが旅というものだろうから。行くか行かないか?(これがこの後の電波少年の企画のスタート時に僕が言うことになる『やりますか?やりませんか?』の原型である)二人は「行きます!」と言って国境のゲートをくぐって行った。この言葉を言ったことが有吉、森脇がリタイアできなくなる言葉としてこの後重くのしかかることなど全く意識しないで。

こうして香港〜深圳〜ベトナムとヒッチハイクの旅が続き最初に渡した10万円が尽きたのとベトナムの次の国ラオスの検問所に行ったのはほぼ同時だった。ところがこれが土曜日だったのだ。ベトナムとラオスの国境検問所で出国の手続きをするのは土日は休みだったのだ。これで金無しの状態で2泊48時間ベトナムの公園で野宿をして過ごすことが決定した。

これが“もし”何か順調に行って金曜日に検問所に着いていたらそのままラオスに入っていたら。

今ユーラシア大陸横断ヒッチハイクのハイライトシーンを作るときに使われるベトナムの公園で有吉が虚ろな目で横たわっているシーンはなかっただろう。そして何より月曜日に検問所でハンコを押された時の「このハンコのために三日。。。」と言う絞り出すような有吉の声は撮れていなかったと思うのだ。

この瞬間からそれまで「誰だかわからない二人組のヒッチハイクなんてやめてまっちゃんのアポなし見せろ!」と言う視聴者からの声は消えた。

つまり期せずして起こったドラマ、国境に到着したのが週末でその時ちょうどお金も使い果たしていたからなす術なく48時間ベトナムの公園で寝ているしかなかったと言う時間。

これがターニングポイントだった。このシーンで見ている人たちもこの企画の本質とこれから起こることがちょっと見えた。

「今までにないもの」が広く届くためにはこのようなドラマが必要になる。

NO BORDERにもこの後きっとそんな事件が起こり、のちに「アアあれがターニングポイントだったね」と言う瞬間が訪れるだろう。

それはとても意外なところから現れるに決まっている。

誰かが体験してそれがその人のSNSにアップされてそれが予想以上に反響があってなのか?その人も本当は来る予定がなかったけどたまたま巡り合わせで来たとか。
そこには偶然の重なり合いの奇跡みたいなものが起こるからだ。

でも必ずある。その瞬間に立ち会いたい。
まもなく大阪での日々が始まる。

チケットのお求めはhttp://yoshimoto.funity.jp/search/?kgid=CS19070713&kaien_date_type&kaijyo_code=*&kw=no%20border&senkou_flg=0


支援者の方へのフライングのお知らせ

第2弾のMakuakeのクラウドファンディングも終了まで24時間を切りました。

おかげさまでMama&Babyスペシャルも8月10日に開催されることになると思います。

ここで支援者の方に特別な予告をおしらせします。

このあとCOOL JAPAN PARK SSホールは6月20日から立て込みが始まりまして美術、照明、プロジェクター、スキャナ、音響、そしてプログラミング班(AR三兄弟、カヤック)が入って行きましてそれぞれセッティングをしまして一応全体リハーサルというかテストが始まるのが7月の頭くらいかなと思っております。遅くとも7月2日くらいには全体リハーサルが始まりませんと7日の初日には間に合わなことになります。

それでこのリハーサルにたくさんの人員が必要になると予想されています。

このリハーサルに参加してくれる人を6月最終週くらいにツイッターで募集することになると思います。

それはいろんなところの準備ができていることが前提ですのでまだあくまで予定なんですが。

ということでもしその時期に大阪にいらして参加できるという方はそういう心算でいていただけるといち早くNO BORDERを経験いただけるということです。

一般の方におしらせする前に支援の感謝を込めておしらせします。

ご自分はいけないけど大阪、関西方面に行きたそうな友人がいるという方も「こっそり伝えていただく」事は結構です。

詳細はツイッターの NO BORDER OSAKA(公式)@NoBorderOsaka をフォローしていただくと6月後半におしらせすると思います。

引き続きご支援よろしくお願いします。







こんなにでかいスクリーンだから40人の等身大が写すことができる


大阪のCOOL JAPAN PARKの会場セッティング開始が今月20日!もうあと2週間切った!美術、照明、音響あたりが入ればリハーサルが始まるのが普通のライブだが、この「NO BORDER」は全く違う。プロジェクターチーム、デジタルAチーム、デジタルBチーム、そしてスキャナチームが入ってそれぞれがセッティングして調整をしてそしてリハーサルが始まるのが10日後の7月1日。

みんな「見た事のない」ライブの準備をここまでやってきた。

ここまで音楽チーム、振り付けチーム、モーションキャプチャーチームが作ってきたものを最大限に生かすため(実はまだそれぞれが作業中だ!)それで世界をアッと言わすためにいよいよライブというお客さんを迎える日のために集結する日が近ずいてきた。こうしている間にも広報チーム、制作チーム、このクラウドファンディングを運営するチーム、営業チームたくさんの人が一人でもたくさんの人にこの「NO BORDER」を届けようと頑張ってくれている。

そしてオープニングの日「それは面白いかどうか?」で全てのチームの苦労が報われるかどうかが決まる。

それは大丈夫と演出チームの僕は自信を持って言える。

そしてそれはこれを読んでくれている全ての人の想像を超えていることも自信を持って言おう。

NO BORDERを目撃せよ!

朝令暮改、君子豹変

今日はVコン(絵コンテのビデオ版)の打合せがあって2時間ほどグイグイ濃い打合せをしたのですが終わって「お疲れ様!」と言って近くの喫茶店に一人で入って20分ほどした時に「いやさっきはこう言ったけど違うな」と考えを180度変えてメールしたりする。

「いやさっきはこう言っちゃったんだから節操なさすぎだろう」とは思わない。そこで演出が我慢すると最終的にグズグズしたものになる。だからいつでも考えを変えることに躊躇いはない。

と言うのは二人の師匠の影響だろう。

テリー伊藤も欽ちゃんも判断は一瞬で、それはいつでもコロコロ変わった。5分後に「さっきこう言った」ことと180度違ったことを言った。それほど演出とは感覚的なものなのだろうと思う。

1秒後に変えるのは実はあまり周りに迷惑を掛けないが、36時間後に変わると大体みんな動いてしまった後なので大変困ったことになるらしい。

だから「ン?」と思ったらすぐに共有するのだ。





10社の媒体に取材していただきました



取材してもらえるというのは本当にありがたいことである。
1992年のスタート前の電波少年の制作発表記者会見がテレビ誌一社だけだった時の記憶があるだけに来てくれるところがあるだけでなんと嬉しいことかと思うのだ。
10社NO BORDER公演についての取材な訳だから「同じこと何度も聞かれて大変でしょう?」と心配してくれる人がいるが「これが全く大変じゃないんです」と言ったら信じてもらえるだろうか?
質問は例えば「このNO BORDERをやることになった経緯を教えてください」と同じだったりするのだけれど、こっちは毎回違うから飽きもしないし「また同じ質問か」とか思わないのだ。
質問は同じでも質問者が違うと聞き方も反応も違うから当然答え方も変わってくるということです。「こう答えよう」とか全く準備をしないんですね。で真っ新で「何を聞いてくるんだろう?」とワクワクする。で、聴きたくて聞いてんのか?メモを見てなのか?まっすぐなのか?でこっちの気持ちも変わります。仕方なく聞いてると思えば、そこをもっと乗ってもらえるように熱が入る。聞きたそうにしてくれてれば思い切って隠しエピソード喋っちゃうし。などなどどのインタビュアーがどうくるかで全部その時の自分の反応が違うから自分で飽きないんです。だから記事によってばらつきがあるかもしれないですけど、それが生きた答えだと思っているから。
まあでも気がついたら一番大事なお客さん来てくださいポイント忘れている事がままあるんですけど。

今日付の活動報告を短く

残り18日で14%。

決していい数字ではないでしょうが達成に向けて日々頑張りたいと思います。

たまーに好きな言葉は?と聞かれることがあります。

その時に思いついたことを言うのですが結構「地道」と言ったりします。

意外な感じみたいです。乱暴?破天荒?横紙破り?ルール無用?なイメージがあるようですが、結局達成への一番の近道は「地道」なことをやれるかどうか?だと思っています。

「今ないもの」の達成は「地道」にやるしかない。

はいメモメモ!w

この後色々とあるので今夜の更新が難しく続きはまた明日。


アイデアへの旅は何を持って出発するのか?

何か役に立つことを、1500円の価値があることを書こうと思っているのですがぶっちゃけ自信はないです。でもまあ「NO BORDER」を開催するに至る道筋を思い出して書き留めるいい機会ということで書き続けます。

「今ないもの」という方向に向かって歩き出す。そこで何を持つかという話なんですがテクノロジーが僕は一つの有効なツールだと思っているのですね。
つまり最新のテクノロジーは「今までできなかったことをできるようにする」ものですから「今までにないものを作る」には非常に有効なわけです。
で僕の持っているテクノロジーの知識なんてものは屁みたいなもので、そこは専門家に聞いてみようとなります。僕はこのテクノロジーは「電波少年」時代からスタジオをCGにしたり、SONYのHi8カメラで猿岩石のヒッチハイクの旅をやったり、最近では1964TOKYO VRという1964年の東京を3Dで再現するなんてことをやっています。
そっちでは2011年にやった欽ちゃんの番組ではまだそんなに有名ではなかったチームラボとやっていますし、ライゾマティクス、カヤックといろんなテクノロジスト集団とやっています。

でやっていないのがAR三兄弟だったんですね。知り合っているのは多分すごく古くて10年以上前なんですがタイミングが合わなくて仕事はしてなかった。
そんな折にAR三兄弟長男の川田十夢さんのラジオからゲスト出演の話が来たんです。
それで本番終了後に「今度こういうのやるから一緒にやりましょう!」という話をしたんです。
その時にアイデアがどの段階だったのか?覚えてないんですが渾然としていたと思います。
そうしたら「連れて行きたいところがある」と言われて行ったところが今はもうない渋谷の公園通りを上がったところにあった「3Dスキャナー屋さん」だったのですね。
そこは外から見ると何をやるところかわからないショールームだったんですけど、世界最新鋭の3Dスキャナがあって、スキャンしてそれで3Dプリンターに出力して像を作るみたいなことしていたんです。でそのスキャンしたデータを走ったりジャンプしたりすることができると聞いて、プラスチックの像を作ることには興味なかったけど、このスキャンした自分が走ったりジャンプしたりするのは面白いと思った。何かできる!と思った。

考えてみるとこの時に川田さんのラジオのゲストに呼ばれていなかったら「NO BORDER」は間違いなくなかったと思うのです。アイデアの実現にはこういう奇跡とも言える人との出会いがないとありえないということが言えます。
そしてさらに奇跡的な人との出会いが起きていきます。

それはまた明日。


記念すべき第一回公演のチケットが売れました!

現在この公演のチケットってまだチケットよしもと(だったかな?)でも販売開始していないからこのCAMPFIREでしか買えない。こっちも売れないという時期なのですね。そのチケットが記念すべき1枚目が売れていました!演ずる側、お客さんが両方いて初めて興行というのが成立するという意味で「正式に」成立した瞬間です。ありがとうございます!

初日のオープニング公演だからなあ、ドキドキする瞬間だなあ。とにかく世界で誰もやったことのないステージですから!盛り上がるなあ。独特の雰囲気だなあ、きっと。

引き続き頑張ります!

パトロン限定(ほぼ)毎日制作日記 「NO BORDER のアイデアが生まれるまで」も連載中!

アイデアへの強い思いとは?

昨日は吉本の大崎さんから「ツッチーなんか考えてよ」と言われて、その前の京都国際映画祭に「We Love Television?」を招待してくれたことから『何か考えて期待に応えたい』という強い思いがあったからこの「NO BORDER」が生まれたと書きました。

では強い思いがあれば生まれるか?それは強さなのか?と言うとそうではなくて、その強い思いが導き出す「長い時間ずっと考える」ということだと思います。結局は”時間の長さ”何時間いや何十時間そのことを考えたか?というのがアイデアを出す秘訣なのです。

なんだ。そんなことなら聞くまでもない。当たり前ではないか?聞きたいのは短い時間で効率よくポンポンアイデアを出す方法だ。ですか?

あるかもしれません。柳澤大輔さんが提唱する「ブレスト」はその方法の一つではないかと思います。今だったら「アイデア 効率よく 方法」あたりの検索で色々出るかもしれません。

でも僕は違います。何時間も何十時間も暇さえあれば考えています。歩きながら、風呂に入りながら、本を読みながら、こうして文章を書きながら。食事をしながら。他の人と話をしながら。

考えるというより、いつも頭から離れない、という方が正確かもしれません。

それと大事なのはテーマ「大阪で2019年に新しくできる劇場で大阪に来る外国人が楽しめるライブエンタテインメント」という出発点から”どっちの方向”に向かっていくか?ということです。

僕はここを「今ないもの」という方向に歩き出すと決めています。

会社で何かを考えろ?企画、プランなどの時、普通は「当たりそうなもの、売れそうなもの」と考えるのが一般的かもしれません。そうすると「今当たってるもの」が知りたくなります。そしてそれをパクりたくなります。だって今それが当たっているのですから。

僕は正直に言えば「電波少年」をやる前に他局のヒット番組のパクリ番組を2つもやって両方とも大失敗をしました。そしてそれに懲りて電波少年は「今ないもの」を作りました。アポなしは今当たり前になっていますが、当時はあり得ないことだったのです。

ということでさっきの条件がスタート地点で「今ないもの」を考え始めます。

今ないものを考えるためには「今あるもの」をまず知って、それを全部排除しなくてはならないのですが、それは無理ですね。世界中にあるライブエンタテインメントを全部知って「それ以外のもの」を考え出す。無理です。でも「今ありそうなもの」はわかります。実は世界の大抵のものは今やっているものの似たところにあります。演劇。音楽ライブ。それ以外。最近でたその世界で全く新しいものとは「シルク・ド・ソレイユ」くらいではないか?と思います。
ありがたいことにインターネットで世界中のエンタテインメントで今まで見たことのないような新しいものがあれば必ずニュースとして耳に入ってくるでしょう。

だから「今ありそうなもの」を推測することは比較的簡単でそこを避ければ「今ないもの」という広大な土地を目の前にすることはできるのです。

ではアイデアを出す旅に出るときに持つべきものはなんでしょう?空身ではいけません。何をツールとして持っていけばその度が実りあるものになるか?

その話はまた明日。

アイデアはどうやれば出るのか?

とは言うものの、いきなり高校時代を振り返られてもねえ

と言うことでこの「NO BORDER」が誕生した経緯から振り返ります。

ことの発端は2017年の秋ですかね。1年半前です。吉本興業の大崎洋社長とカヤックの柳澤社長と日本テレビの嘱託社員が久しぶりに飯を食おうと言うことになったんですね。

飯を食おう、と言うのは大人な会話ですねえ。こう言う大人の会話が恥ずかしいんですねえ。こう言うのが恥ずかしいってアイデアの話と関係ない気がするでしょ?多分関係あります。それは後になってわかります。

メシ食いましたねえ。和食だったけど何食べたか忘れました。きっと美味いものだったのは間違いないですが「美味いですねえ」と言った記憶はあるんですけど、あと部屋が和室だったのは間違い無いですね。あ、この記憶はどうでも良いか?

それでどんなタイミングか忘れましたけど、大崎さんが「ツッチーに頼みたいことがあるんや」と言いました。「今度大阪城公園の中に”COOL JAPAN PARK"というのが出来て、その中の一番小さなホールでの出し物を考えてくれへんか?」ということでした。一番大きなホールが1200人くらいのキャパで中が800人。一番小さいところが300人。スタンディングで600人。

実はそんなに真剣な本当に困った感じはなかったんですね。そういう記憶です。

だから「まあ久しぶりに会ったから”何にもなし”もなんだから一応頼んでみた」くらいなんだろうなと思った気がします。真剣に困っていたら「いついつまでに」とかいうはずですから。

大きなホール、中くらいなホールはその時点でもう決まっていたんでしょうね。でまあ一番小さいから「ま、どうにでもなるけど一応ね」くらいの感じだったんですか?

思い起こすとそんな気がするんですけど、その後「考えなきゃ」とは思ったんだから真剣な感じがあったのか?多分その少し前に「京都国際映画祭」というのがあって、ここに僕が初監督した『We Love Television?』を大崎社長が招待作品にしてくれたんですね。それで恩義を感じていたんだと思います。それで「考えなきゃ」と思ったことは思い出しました。

うん、そういう意味でいうと企画への強い意志は必要な気がします。「考えなきゃ」とスタートしないと最初の推進力が出ないです。

よく企画募集があって「企画考えなきゃ!」ってならざるを得ないってことも普通ありますね。でもそれだけでは推進力は弱いですね。その先「企画考えて採用されて今の部署を出たい!」とか無いと弱いですね。「査定をよくしたい!」じゃ弱くて「査定をよくして給料上がらないと子供のランドセルがマジ買えない」とかがあれば推進力はあります。

こんな感じでまた明日。


本日より活動報告を(ほぼ)毎日書きます

本日4月15日11時〜制作発表記者会見を開きました。

その様子は

https://youtu.be/7JYXcZRtt9U で見れます。

なのでその様子をぐだぐだ書くのも違う気がしますし、リターンで「活動報告が読める」=1500円ってのを作って『何書いたら良いかなあ』と考えて『1500円って言ったら一冊の本だものなあ』とも思って、じゃあ今日の記者会見でも聞かれて、いろんなインタビューで一番聞かれる「なんで色んなことを思いつくのか?」「アイデアを出すコツ」みたいなことも書きつつ、制作日記も書いていこうと思う次第です。

アイデアの最初ってなんだろうと振り返ると高校時代になるなあと。

アアあれがアイデアを出したことの最初か?とか。

僕の好きなエピソード。ウォークマンの失敗の話とか。

なんで年取れば取るほどアイデアは出なくなるのとか。

ということでここまでは一般公開で、この先は『パトロン限定』にしないといけないんだなあ、と思う次第です。



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