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記憶は恐ろしいほど自分に都合よく書き換えられる

昨日電波少年の昔の仲間で「第2回昔の記憶を語る回」を開催した。
第一回はこちら

第一回は「”麻原くん!学校行こう!”を上九一色村の全てのサティアンでやって誘い出す生中継」をやろうとして直前に中止になった話

だったが今回は「2000年から2001年の年越し番組で2分間違えた話」をやることにしていた。当時のディレクター3名、作家2名、AP1名、AD2名が集まった。

そこで各人の証言を撮っていて自分の記憶が自分の都合のいいように変えられていることが明らかになって非常に気持ちが悪くなった。

僕がインタビューでも答えている2000年大晦日特番の経緯は
「5時間30分のスペシャル番組のスタート時に正しい時間で進行する時計と2分早く21世紀が来る時計があって、それのどちらを押すかはギリギリまで迷えるようになっていた。そして本番当日僕は2分早く世紀越えの瞬間が来る時計を押した」

だったのだが事実は違っていた。直前まで迷っていたという記憶は間違いではなかった。しかしそれは「正しい時計」と「2分早くなる時計」ではなく「2分早くなる時計」と「2分遅くなる時計」だった。
つまり当初の計画はこの年越し番組は23時58分に年越しをする番組ではなく24時02分に年越しをする、だったのだ。
それを本番の数日前、僕がスタッフに「2分遅らすではなく2分早めるにする」と宣言したのだった。ビビって。

2分遅らすと番組を見ている人は本当に21世紀になった瞬間に気づかず後で「え?その瞬間を逃したの?過ぎちゃったの?」となる。2分早めると「間違った!」と途中で気がつきそして混乱の中で正しい時報を示すことができる。どちらがギャグというか悪戯として大きいものかというのは当然前者である。2分遅くして後で「21世紀になったその瞬間はまだ2分あると思っていたあの時間だよ」と言われた方がショックはでかい。当初はそのつもりで計画が進んでいた。進んでいたと言っても僕の上のCPさえも知らないので番組スタッフの数人だけの間のことだが。
年越しの瞬間の時間を間違えるは何年も前からやりたかったことだから迷いはなかったが早くするか遅くするかを迷ったのだろう。
スタッフの証言によると「ごめん!根性なしと言ってくれ!守りに入ったと言ってくれ!遅くするのじゃなく早める!」と前日か数日前、僕が宣言したということのようだ。
そう言われて自分が記憶を書き換えていたことに気がついた。

言ってみれば明らかにビビったのだ。見ている人のショックは遅くした方が大きい。早めていれば番組の中で正しい時報を示すことができるのでそちらの方がショックは小さい。小さい方を選んだ、直前に。このことをおそらく自分の中で僕が僕自身を責め立てた。「直前でビビったな」と。

それでいつの間にか記憶は書き換えられた。迷ったことの記憶は消えないからそれは「2分早くor 2分遅く」ではなく「正しいor 2分早く」に置き換わった。そして5時間で2分狂うというありもしない時計を頭の中で生み出していた。

まあ多分僕以外にはどうでもいいことなのだ。久しぶりに集まったスタッフたちもそのどちらかであることはどうでも良かったと証言した。
でも僕には記憶を置き換えなくてはならないほど重大な変節だったのだろう。直前にビビってソフト方向に演出を変えた。

番組が終わった後、当時の編成局長が来て「土屋お疲れ!」と言ってくれたから用意していた辞表も出さなかった、という記憶も本当だろうか?編成局長は来たのか?辞表なんて用意していたのか?

そして全員の昔話は他のことに移っていったのだが「自分がビビった」という事実に20数年ぶりに気付かされ気持ちが悪くなって早々にお開きにした。
そしてそれを仕舞っておく事ができずこうして書いた。

インタビューで語ってきた電波少年の多くのエピソード。かっこいいこと言っているけど本当はその時々で実は本当にドキドキして決断してきたことなのだ。そしてそれは多分僕の中で美化する方向にかっこいい方向に記憶は置き換えられている。

僕だけではない。生き続けるために持つことに耐えられない記憶は多分誰にでもある。人は自己防衛のために記憶を書き換えてしまうものなのだ。さらに言えばそのことに気がついた時に、正しい記憶に向き合うことも必要なことだ。こんな風に書いて確認するように。

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