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新しいものを生み出すことがなくなった時にテレビはその使命を終えたことになるのではないか

大いなる自戒を込めて2021年〜2022年のテレビの番組表を残すべきだと思っている。どこかに今までに見たことがない新しいものがあるだろうか?
YoutubeとNetflixなどのSVODなどの伸張が著しいと明らかに言われた2021年の年末そして2022年の年始のテレビ番組表の中にそれに抗する地上波テレビ局側からの意志を感じる番組が一つでも見つけられるのだろうか?

このままではマズイ!と全てのテレビ局関係者が思っているはずであるのにその意思が反映されているはずの番組が並んでいる番組表に何のトライも感じることができないのは僕がもうすでにテレビ界の大外に居て知らないだけなのか?多分現場にいる“中の人”たちは「あれもやっている」「これも大変なんだ」とたくさん挙げてくれるだろうが大外からテレビ群という森を見ている人間には目立った息吹があるとは感じない。

ホラだからテレビはオワコンなんだよ!とせせら笑う人たちには顔を真っ赤にして反撃するだろう程度にはまだテレビを愛している。だからこの年末年始のテレビの番組表が悔しい。

逃げ切り世代と言われるがそれは決して嬉しくはない。自分達がやるべきことをやらなかったから今の状況があると思うからだ。それは変化に対応した例えばアメリカのテレビ局の現状を見れば「あの時あの手を打っていればもう少しは状況はよかった」ことは明白だからだ。
だから今のテレビマン全ての人に今年の年末年始の各局の番組表を見てほしいと思うのだ。

この春に幾つかの変化が各テレビ局の番組表に表れると報じられている。どこで「テレビ」が歩止まりするか?この変化の打ち筋がそれを決めるだろう。「それでもテレビはなくならない」当たり前だ。でもこれからの時代にどんな存在になるのかが決まってくる。その芽がこの春の番組表に表れるのか?そしてそれが2022年〜2023年の今度の年末年始の番組表に表れていて欲しい。

自分自身でいうともう一度作り手としての自分に戻ろうと決めた。2021年1月からWOWOWで「電波少年W」をやらせてもらい自分にとっての「これまでのテレビ」についての総括を終えることができた。もちろん「テレビの記憶を集める」というコミュニティを作りそこから番組を作れないかという挑戦はしたのだがこれは完成には至らなかった。しかし多くの学びはあった。そしてそこでも改めて確認できたことは「「テレビはテレビであり続けたのは“今までにないもの”を先人たちが生み出し続けた」ということだった。テレビは「そんなものテレビじゃない」ものがそれまでのテレビの常識を塗り替えていったからその命を保ってきたのだ。今一度言うこの年末年始に「こんなテレビ見たことがない」と思わせる番組があっただろうか?

「これまでのテレビ」の総括が終わったのでもう一度「動画の作り手」に戻る。ワンカットワンカット自分で撮って自分で繋いで一本の作品に作り上げていくことをもう一度やり直す。
『異にして狂である』という言葉が年始にスッと出てきた。
嬉しいことに2022年はすっかり白紙である。
何ができるのか?何をするのか?
それは何を撮るのか?何を繋ぐのか?の集合体でしかない。
2022年の年末に「今年はやりきった」と思っていたい。

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