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松村邦洋は1997年大晦日にタイムマシンに乗った

電波少年Wが始まって放送・配信・放送・配信・放送・配信と都合6回、松村邦洋=まっちゃんの隣に座って演出だけじゃなくて出演もしているのだがそこで聞いて感動した言葉がこのまっちゃんの「僕はタイムマシンに乗って23年後の未来に来てるんじゃないかと思うんです」と言う言葉だ。

1992年7月に「進め!電波少年」は始まって”アポなし”というそれまでのテレビの常識を破ったやり方で当時の中学生、高校生(の特に男子)に熱狂的に受け入れられ徐々に人気が出ていった番組だった。その番組の中心キャラクターは間違いなく松村邦洋だった。渋谷のチーマーに裸にされ、名前を「松村バルセロナに変えろ」と家庭裁判所に行かされ、バツイチになれと初めて会った人とお見合いをさせられその場で婚姻届を書き、そしてさらにその場で離婚届を書かされた。何もこれからやらされることを何ひとつ知らせず僕たちに翻弄される松村邦洋の表情がチャーミングでそれはどんどんエスカレートしていった。砂漠で遭難しジャングルで猛獣とハリセンで戦い極寒地で野宿をさせられ朝生きているか試され世界中の大統領のSPの警護をかいくぐり「ヨッ!大統領!」と叫び…

しかし電波少年が松村邦洋が体を張り人気が出れば出るほど困ったことが起き始めた。電波少年のアポなしは行って「何で電話の一本もかけられないんだ!」と怒られるところから始まるのに歓迎され始めたのだ。どこのお役所に行ってもどこの会社に行ってもまっちゃんが受付に行けば何も言わないのに「あ、電波少年ですね」と偉い広報部長が出てくるようになってしまったのだ。受付で待っているうちに会社中の社員が集まってきてみんなに拍手されたこともある。みんな本当に心からまっちゃんを電波少年を歓迎してくれていたんだ。でもこれで”アポなし”電波少年は終わらざるを得なくなった。

人気者になったまっちゃんはいろんな番組に呼ばれるようになって大好きなプロ野球中継のゲスト解説者にもしばしば呼ばれるようになった。そして1997年夏のテレビ朝日の野球中継のゲストの時に放送が試合途中で終わって『この後のスポーツニュースを見てください』と言ったのだ。これが日曜日で「進め!電波少年」の裏番組だったのだ。別に大したことじゃない。でもその話を聞いたときにロケでは無い形でまっちゃんを追い詰めてまたあのチャーミングな顔を見れるんじゃないかと思ったのだ。そうしてあの『松村邦洋降板騒動』シリーズが始まった。
”電波少年を降板させられる!?”となったまっちゃんの顔はこれまでで最高レベルに追い詰められた表情になった。電話投票で300万以上の票が集まり「降板させろ」「いや可哀想だ復帰させろ」不思議なもので本当に僅差で「クビ」と「復帰」が入れ替わりまっちゃんの表情はさらに追い詰められていった。いや追い詰め過ぎた。笑えない顔になっていた。お客さんは変わらず笑っていた。その笑い声を作ったのは自分の演出であったが自分でやっておいてこんなに残酷なものはないと思った。
そうして1997年大晦日の「ドロンズゴールスペシャル・アラスカ生中継」を最終日に松村邦洋は電波少年を降板した。
スタートしてから5年半。
あの日。普通なら番組の最大の功労者を送り出すセレモニーがあって然るべきなのだろう。しかし花束どころか一言も触れずにその最後の出演を麹町のJスタジオで終えた。どう見送るべきかもわからずサブコンにいた僕にまっちゃんは最後のお別れを言いに来てくれたが振り返らずに「じゃ」と手をあげて別れた。

ある意味まっちゃんの時間はここで止まったのかも知れない。いや間違いなく止まったのだろう。僕もそれまで持っていた一つの時計は止まった。ここで「進め!電波少年」は終わった。翌週から「進ぬ!電波少年」になったのだ。なぜこの時期にタイトルを変えるのだと不思議がられて僕は「なんとなく」と誤魔化したが、せめて「進め!電波少年」というタイトルはまっちゃんと一緒に終わらせたかったからだった。

そうして23年と16日が経って「電波少年W」が始まった。この企画が決まった時に『出演者は誰にしますか?』と聞かれて僕は「もちろん松本明子と松村邦洋で行きます」と答えたのだ。

こうして時を超えてまっちゃんの隣に毎週座って「松村うるさいよ」とか言いながら「23年のタイムマシンの乗り心地は悪くない、何よりまたこうして時空を超えてまた会えているんだから」と少しゆったりとした変な落ち着いた気分になるのだ。

(もちろんまっちゃんは電波少年を降板してから本来のモノマネに磨きがかかって時代の偉人のモノマネを開発したり独特のポジションを獲得した。時にはマラソンで心肺停止になったりもしながら。そこで獲得したファンから「もう電波少年でまっちゃんをいじめないでください」というメールをもらったこともある。その人たちには毎週が嫌でしょうがないんだろうが23年の時がいろんなものを熟成させているっていうのを電波少年Wで見て感じてもらえると嬉しいとも思う)

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