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まあまあな人生だった。ナゼか? ②

昨日はこのシリーズを書き始めるきっかけとなった大学の一つ後輩の「お別れ会」に行ってきた。いわゆる告別式なんだろうが無宗教式で特に特徴的だったのは「喪服でなく来てください」と案内に書いてあったことだ。
それは本人が生前から派手な服を好んでいたことから奥様(故人はいつも”僕のパートナーさん”と呼んでいたが)がそういう案内をして、喪主席の”彼のパートナーさん”も彼とのペアのグレーのパーカーで座っていた。(その気持ちが案内から汲み取れたので僕も真っ赤なパーカーで参列したのだがほとんどの人は真面目なスーツだったからすっかり浮いてしまった)
僕はとても素敵なお葬式だと思った。こだわりを持って送った人生の最期を長年一緒にいたパートナーがその人生を肯定する気持ちを込めてそのこだわりで彩って送り出す。汲み取ってもらえなさそうだから具体的にエンディングノートを書かなくてはと思ったのだった。

イヤな仕事の中に意外と未来のヒントがあるのだった

今は最短距離を探してそれを選択することが正しいと思われている時代だと思うが時にはそうでもないかもよ、という話。
前回書いたように100本以上の企画書を書いて加藤光夫さんというプロデューサーに制作に引っ張ってもらった僕の配属された番組はワイドショーだった。
当時ワイドショーは全盛期であり転換期に差し掛かるところにいたと思う。芸能ネタは相変わらずだったが「ロス疑惑」とか「投資ジャーナル事件」とか芸能以外にも手を広げていた時代だったからだ。梨元勝さんという大物レポーターと色んな事件の現場に行った。
ところが僕が芸能スキャンダルが嫌いだった。片方で不倫ドラマを放送しているテレビ局が不倫を糾弾するという価値観に従ってワイドショーを作るっておかしくないかと思っていた。同期で入った男が歌番組のスタッフになってスタジオから出てくるタレントさんを守る役で僕がそこへマイクを突っ込んだら弾き飛ばされて「あっちの役の方がカッコいいよ」と思ったこともあった。だからそういうネタでロケに行って編集する日々は鬱々としたものだった。
ある日ある記者会見に僕はロケに行っていた。それはオリンピックの元体操選手が引退してタレントになって早々ある男と交際してその男の別の女性とベッドにいる写真が写真週刊誌に持ち込まれその話を彼女に聞くという記者会見だった。その週刊誌の発売前日でその写真自体をその元体操選手タレントはまだ見ていないどころか何の記者会見も知らずにたくさんのレポーターとカメラの前に現れたのだった。
「こんなにテレビカメラは”リアル”を映し出すのか?」と思ったのを覚えている。運動神経が人より良かった幼い少女が体操教室に通ってその才能を見出され体操だけを人生の中心に置いてオリンピックまで駆け上がった。そして歳若くして引退し芸能界入り。体操しか知らなかった無菌状態で育った少女があっという間に芸能界の強烈な毒の洗礼を受けている。
そんなことが何も知らずに記者会見場に引っ張り出された彼女の顔から全部が読み取れた。その時に「テレビの得意ジャンルは”リアル”だ」と心に刻まれた。
またカーター大統領が来日して明治神宮で流鏑馬を見るというヒマネタのロケにも行った。報道の腕章とワイドショーの腕章は色が違って入れる範囲がまるで違う。報道はすぐ近くまで行けるがワイドショーのカメラは入る時と出るときの一瞬しか撮れない場所が指定される。
それが気に食わない。
警備の警察官に「この線から出ちゃダメだよ」と砂利の上にテープを引かれた。その時「5センチ出たら怒られるだろうか?」とふと思った。カメラマンに指示してラインから5センチ出た。怒られない。10センチ出た。大丈夫。30センチ出たところで「ほらそこダメだよ出ちゃあ」と怒られた。それがたまたまカメラに映ってた。その絵がイヤに可笑しかった。
テレビが怒られるのって面白いな。

10年後に電波少年を始める時に「今までに見たことがないテレビを作る」と思った時に軸になった考え方はこの二つのことだった。
とにかく「リアル」に!(だから松村くんに今日のロケの内容はカメラが回っているところで知らされるのが決まりだった)
そして「テレビが怒られるのは見たことないし面白い」ということでアポなしが生まれた。

最短距離で結果を出すことが良しとされる昨今だが僕の師匠の欽ちゃんがよくいうのが「近いはダメ。遠いがいい」
遠回りすると何か人と違うものを見つけられる。それがその人だけの武器になる可能性があるってことだと思う。
欽ちゃんもコント55号から一人で仕事をするようになった時に「僕はコメディアンだから司会の仕事はしたくない」と事務所に行ったのだが司会の仕事しか来なかった。仕方なくイヤイヤ「スター誕生」とか「オールスター家族対抗歌合戦」の司会をするのだが、そこで『素人の面白さ』に出会う。それがその後の「欽ドン!」「欽どこ」「週刊欽曜日」という30%番組につながったのだ。

最短距離を探すのもいいが、そうではない道しか選ばせてもらえない時もある。でもその道の上に未来のジャンピングボードの元になる材料があることがある。

という話。

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