NO BORDER次回公演のために⑥

色んなところに色んな人がプレゼンをしてくれるためにNO BORDERの資料を作る。紙のプレゼン資料もあるのだがNO BORDERは実際に公演をやったのでビデオの資料を作った。

身内から「改めて完成度も含めて圧倒的な内容だなと感じた」などと言われても嬉しいものだが、一つ一つの細部に込めた想いが蘇る。「ここは中々実現したいニュアンスが通じなくて何度もやり直してもらったな」とか「ここを思いついたのは奇跡と思えることだったな」とか「ここまで感動的になるとは思わなかった思いつきをテクノロジー側で頑張ってこだわってやってくれたからこうなったんだよな」など。全てのカットと全ての動きに思い出と思い入れがあるのは演出家の悦びの大きな一つだ。

構成演出は頭の中でゼロから作るものだがしかし製作される過程で「天から降ってきた」とか「撮らせてもらった」とか「助けをもらった」などの他律的なものがたくさんある。

それがコンテンツの運というものだろう。

2年前に「We Love Television?」という映画を監督したが、これなどはその塊のようなものでドキュメンタリーは運があるかどうかで出来はまるで違う。311の夜の欽ちゃん、主演女優が降板した日の欽ちゃん、視聴率が出た時の欽ちゃん、そして倒れた後にたまたま乗り合わせた救急車の中で撮れてしまった欽ちゃん、その時の僕のふとした思いとか勇気とかによって引き起こされたシーンもあるが、全く僕が思いもよらなかったところで回された映像もある。それらも併せてコンテンツになるし、それらが「映画の神様、テレビの神様、コンテンツの神様から与えられるかどうか」がその作品の出来に大きく関わるのだと思う。

そしてその運を引き込むことのできるためには「その作品を作るという純粋な思い」だと思うのだ。それは興行成績、視聴率などの数字を目的としない「いいものを作りたい、送り出したい、楽しんでもらいたい」の思いの強さに神様が微笑んでくれるだろうと思っている。

振り返ってみると電波少年の今でも記憶に残っている全てのシーンは「撮らせてもらった」ものばかりだ。有吉もなすびも朋友も十五少女もアッコもまっちゃんも。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?