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【読書】どこかで誰かが見ていてくれる

▼はじめに

こんにちは。
4月から晴れて新社会人になったんですが、時間は早いもので明日から新人研修も三週間目に入ろうとしています。

僕の入社した会社の研修制度はかなり緻密な計画がなされていて、"新卒受入チーム"という名の人事部隊が運営をしてくれています。その人たちは、僕らと接してくる際に、上司と新人という立場だけではなく、特に勤務時間外には対等な人と人の立場で接してくれるため、コミュニケーションも盛んに取ってくれています。

今回は、そんな新卒受入チームの長に教えて頂いた、おすすめの本『どこかで誰かが見ていてくれる』を読んだ感想をズラッと綴りたいと思います。

▼斬られ役ひと筋、四十数年。代表作は「なし」。

この本の主役は、大部屋役者の『福本清三』さんです。

福本さんは、今でいうエキストラのような役柄で十代の頃から時代劇を中心に出演されてきた俳優さんです。二十代の頃から斬られ役として存在感を表し、スター俳優さんに何万回と斬られてきました。

俳優というと、誰しもが「有名になりたい」「儲けたい」「良い作品に出演したい」と思っているイメージですが、この福本さんは「自分なんて、そんなそんな、情けねぇ。」が口癖で、生まれ変わっても斬られ役をやりたいと言ってしまえるような変わった方です。

昔の時代劇はというと、階段から転がり落ちる、崖から飛び降りる、山の中を鎧を着たままとにかく走る、など今ではすぐさまクレームが飛んできそうな内容ばかりだったそうです。

それでも、四十数年という長い時間を、斬られ役として全うできたのは、こんな一つの信念があったからだと思います。

▼どこかで誰かが見ていてくれる

今でこそ言われることはほとんどなくなってしまいましたが、悪いことをしたときにおじいちゃんやおばあちゃんに「お天道様が見ているよ」と言われたことが誰しもあったかと思います。

これは、どんな小さな悪事も、お天道様が見ていて、いつか仇となって返ってくるという教えであり、日本人に根付く教訓だと思います。

しかし、福本さんがいう『どこかで誰かが見ていてくれる』の対象は、悪事や悪態とは反対にある、陰ながらの努力や、ひたむきな姿勢です。

どんな大変なことも、誰のためにやっているのか分からないような仕事も、きっとどこかで誰かが見ていてくれると思って頑張る。もう少しだけ耐えてみる。

福本さんが「映画は人の痛みでできている」というように、特に昔の映画は多くの人の痛みが、スターさんと呼ばれる大物俳優の人気や実力を支えていたのではないかと考えさせられます。

きっと、信じることの多くは、到底叶うことのない悲しみの連続です。

それでも、自分自身を自ら評価しようとはせず、ただひたすらに、目の前の仕事を全うする。そしていつしか、誰かが認めてくれると信じて。

ただひたすらに、ひたむきに。

▼さいごに

昨年度、僕にとっての空白の一年は、自身の存在意義を考えさせられたようなそんな一年でした。自分のためにすら必死になれない僕は、一体誰のために命を消費できるのか。自分のために生きようとしない僕に、生きる意味はあるのかと、肌寒い季節の中の公園でよく考えていました。

結局のところ、それらの答えは、自ら導きだすものではなくて、今まで歩んできた自らの足跡が表す、そんなものだったのだと思うようにしました。

僕にとっての生きる意味は、僕のためにはないんだと、そう思えた時、心が軽くなりました。

死にたいだとか、そんな大層なことを思い描ける玉じゃないと気付けたことが、今を楽しくさせてくれているようなそんな気がします。


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